日本一アツイ教育を実践する男が語るBLOG

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朽木は雕るべからず

きゅうぼくは えるべからず

人間であればどのようなタイプの人物でも必ずよい点があり、
欠点を修正することができると考えられがちですが、
人によっては、矯正できない資質の人もいますから、
その対応は、別に考えなければなりません。



「論語」「公冶長編」によると、孔子は弟子の宰予が、
昼から居室に入り込んで寝ているのを見て、
「朽木は雕るべからず。糞土の牆(かき)は朽(ぬ)るべからず。 予に於てか何ぞ誅(せ)めん。」
となりましょうか。」といったとのことです。

現代訳すると「腐ってポロポロになってしまった木の上に彫刻することはできないし、
すぐどろどろに溶けてしまう糞でかためた土塀の上には上塗りはできません。
私は、宰予のことを叱ったり、とがめたりする気にはなりません」ということになります。
「朽木牆糞」というように略して言うこともあります。

要するに、教育して本人の成長をのぞんだり、欠点の修正ができない人がいるということです。
そのときは、叱ったり、咎めたりしてはいけない、と教えています。

「馬鹿は死ななきゃ、治らない」などという俗諺もこの主旨に似たところがあり、
改善のきかない頭脳を比喩したものでしょう。「蚊をして山を負わしむ」という言葉は、
「荘子・応帝王」に見るものです。「小さな無力な蚊に、
大きな山を背負わせようとすることは無理なことだ」という意味です。

経営者のなかによく、「少数精鋭主義」をとなえる人がいます。
つまり、自分の部下はすべて優れた人物を集めて仕事をするという考えです。
しかし、この考えは、現実にはそぐわないものです。部員が10人いれば、
そのなかの2~3人は、やや能力に問題があったり、
性格上難点があったりする者が見いだされるものです。
これをいかにリードして全体をうまく指導していくかということが、
上司の仕事なのであって、はじめから全員が優秀であるにこしたことはありませんが、
まず無理な話です。

荘子の教えは、帝王の治世に関するもので
現代サラリーマン社会のことを想定したものではありませんが、たいへん参考になります。
よく会議の席上などで、特定の出席者に対して風あたりが厳しく、
皆の前で集中的に詰問されるようなケースを見ます。
その席では改善を約束したり、
業績向上への努力を誓ったりして一応対処しますが、
その後も同じような失敗や、不良成績は続くものです。
問題は本人の能力・資質に適した業務が与えられているかどうかであり、
むしろ、管理者側の責任が問われているのです。

「朽木牆糞」の教訓は、
「どうしようもない人罪は、本人を責めてはいけない」ということではないでしょうか。



「人財」 「人材」 「人在」 「人罪」



人財

宝です
「人材」+会社や部署の方向性をしっかりと理解して
今、自分が何をしなければならないかをしっかりと把握している人
そしてそれを日々実践できる人
プラス発想で周囲を明るくすることができる人
周囲(自分の上司や部下)のやる気を引き出すことができる人
人を育てることができる人
どんな問題も解決することができる人
自分が結果を出すのはもちろん、自分以外の人の結果を出させることができる人
自分の給与の何倍も利益を生むことができる人

貢献度100%以上の人でしょう


人材

気がつく人、気がきく人
与えられた仕事をしっかりとこなせる人
周囲に迷惑をかけたりすることもなく
社内でも、お客様からも信頼を得ることができる人
リピーターや紹介をいただくことが多い人
「ダスキンさん」ではなく「名前」でお客様から呼ばれる人
目標達成に向けて、自分自身で創意工夫をして努力することができる人
そして目標を達成することができる人
自分の仕事以外にもすすんで手を貸す人
自分の給与以上の利益を生むことができる人

貢献度80~100%の人でしょう


人在

人が在る
つまりいるだけの人
存在するだけの人
やる気のない人
創意工夫のない人

目標に対してシビアではない人与えられた仕事をそのままやるだけの人
マンネリ化してしまう人
自分の仕事以外に興味もなく、人の手伝いをするのは損だと考える人
できる限り頭は使わず楽をしたいと考える人

貢献度10~40%ほどの人でしょう


人罪

いると罪になる人です
つまりは周囲に悪影響を与える人のことです
お客様との約束を忘れる人
ご迷惑をおかけする人
まわりに迷惑をかけても平気な人
ルールを守れない人
やることをせずに不平不満を漏らす人
人の足をひっぱる人
やる気のなさを伝染させる人
もらえる給料以上に働いたらバカらしいと考える人

貢献度0~マイナスの人でしょう。
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感性と感受性

「感性」は、その人自身が持ち合わせていて内側から出てくる感じ方の特質を指します。
「感受性」は、受という漢字を含むことから、ある人や物事が働きかけたとき、
それをその人自身がどのように感じ取るかの特性を指すように思われます。

例えば絵画や作曲などを通して、その人自身の特質を表に出すものが「感性」で、
他人から何かを言われたり、事件などに接して
どのような考え方をするかの特質が「感受性」と思います。



北尾吉孝氏の「私の人生観」

「自らの国の言語でしっかりとした考え方を身に付けることがいちばん大事だと考えます。
言葉はツールですから、まず国語をきちんと勉強する、歴史を勉強することが大事です。
古典は自分自身が読んでそこから何を感じるか、何に共感できるかが大事だと思います。
戦後の日本人の教育の根幹の中に、
もう一度、東洋思想というものを入れていかなければならないと思います。

「わかる」とは行動が「かわる」こと

  「知性と行動の選択は全く別物である。
   わかったということと、やることは一致しない」
                                   by 飯塚 毅

   『わかった』ことを実践行動し、起こるであろうさまざまな障害に
   創意工夫して対応し、具体的成果を出さなければ意味がないし、人は評価しない。

小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただひとつの道

               
イチローはプロ野球界だけでなく、
今となっては、発言一つ一つが有名になりました。
これは、メジャーリーガーという実績により、
注目されるようになったのも大きいと思います。

● すぐに伝えたことは、すぐに忘れてしまうんじゃないか。
   考えてもらったあと、伝えたことなら、残るんじゃないか

● はじめから、今があったわけではありません。
   状況はすこしずつ。かえていけるものです。

● これは本当に必要なものだな、と思ったら
   無理しても手に入れたいというのが、ぼくの考えです。

● 結果がおなじものになったのだとしても
   結果を出すためのプロセスが、絶対にちがいます。

● 練習は裏切らないといわれますけど、
   練習はウラギリます。錯覚を与える場合もあるのです。

   たとえば、やたらマシンを打ち込む練習。
   あれは一定の軌道でボールが来ますから、
   間違えたフォームのまま、これでいいと錯覚してしまう。
   それでは、本物のピッチャーに対応ができないんです


● 練習には限界がある。
   本番のゲームでしか、縮まらないものがある。

たら・たい・ます・・・どの魚がお好みですか?

「・・・・・たら」・・・・・・・・・どうにもならない過去を思い煩う「未練派」
「・・・・・たい」・・・・・・・・・夢・ロマンを追い求める夢追い人
「・・・・・ます」・・・・・・・・・自己責任型


反省×反省=0
 
反省×行動=前進
 
反省×行動×謙虚=円熟

● 『教師たるもの五者たれ』

○「学者」とは知識を100知っていて1教える。

○「役者」引き付ける魅力。

○「易者」不安を取り去る、成功出来ると言い、激励する。

○「芸者」楽しく学べる。

○「医者」生徒の性格を知り、それに沿って指導する。

『維新と革命』

物が改まるのには、大きく分けると2つあります。
『革命』と『維新』の2つあります。

『革』は改まるという意味で『命を改める』というのは根本からやりかえること。
それが『革命』

それに対して『維新』というのは『維』は接頭辞ですから、
だんだん日々に変化していく。日に新たに、また日に新たに
だんだん変化していくのを『維新』というのです。

病気でいえば『維新』というのは内服療法で徐々に治していくやりかたですね。
『革命』というのは外科手術ですね。
外科手術は患部をすべて取り除くため、治りが早いですけど
必ず後遺症や痛みを伴うことが多いですね。

『平成』の由来・・・書経 「地平らかに天成る」
『昭和』の由来・・・書経 「百姓昭明にして万邦を協和す」
『大正』の由来・・・易経 「大いに亨りてもって正しきは天の道なり」
『明治』の由来・・・易経 「聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)いて治む」

           
● 過去問は解くのではない!分析するのだ!

過去問とは『敵を知る』ために使うもので、傾向の分析、 
すなわち、どの分野の、どの領域の、どの項目の どの知識が 
どのような形で出題されるのかを把握して、 
今から何を学ばなければならないかを知るためのものです。  

ですから、過去問は試験勉強の仕上げにやるものではなく、 
いの一番に目を通すべきものです。 
どこが出題されるかだけでなく、 
どのように出題されるのか 
これも過去問から得なければならない情報です。 

教科書の太字の知識で解けるレベルか 
他の分野との融合レベルの問題か 
記述式やヒネリを含んだレベルの問題か 
どういう具合に答えれば正解とみなされるか 
それは過去問なくしては知ることができない。 

過去問の分析なくして受験勉強を始めるのは 
目的地の方向もそこまでの距離も調べないで 
地図も持たないで旅に出るようなものです。

愛媛県社会大問1の出題傾向

18年 
     ① 古墳時代
     ② 天平文化
     ③ 京都で起こった戦乱・事件の年代の古い順に並べ替え
     ④ 江戸幕府の農村の様子
     ⑤ 坂上田村麻呂
     ⑥ 中尊寺金色堂
     ⑦ 元寇の戦法と武器(記述)

19年
     ① 聖徳太子
     ② 聖武天皇(記述)
     ③ 平清盛
     ④ 東大寺南大門
     ⑤ 琉球王国
     ⑥ 桃山時代の世界文化遺産
     ⑦ 徳川家光

20年
     ① 卑弥呼
     ② 最澄
     ③ 倭王武
        元寇
     ④ 豊臣秀吉
     ⑤ 朝鮮通信使(記述)
     ⑥ 解体新書
     ⑦ 田沼意次

『正解のない問題』

学校の優秀さを競う試験にはすべて正解がある。
正解のない試験というものは存在しない。
ところが、実社会には正解というものはない。
いや、正解があるかないかさえわからない。
答えのない問題を考えるのは、偏差値的発想法ではダメだ。
学校の試験で点数を取るのは、易しい問題から解いていくのが鉄則だ。
しかし、実社会ではそうはいかない。ランダムでやってくる。

実社会では易しい問題だけ解いて、難しい問題に挑戦しないというのは
新しい課題に挑戦しないということで、そんなことばかりしていれば
マンネリ化し、衰退に向かうしかない。

正解があるかどうかわからない。
参考書もない!そんな中でどうするか?

日本人が決断する力が弱いのは、もともと農耕民族だからという説もある。
とくに、稲作は苗を植えて収穫するまで集落単位の横並びの妥協が必要だ。
苦労して育えても日照りが続き、台風に襲われたらどうしようもない。
そこで神頼みが生まれ、八百万の神が存在することになった。

かつて、日本人に要求されたのは忍耐・妥協・神頼みであって決断ではなかった。
この横並びの妥協は、現代の国際社会では通用しない。
感情に流されない冷静な目と自分が何をやりたいのかというこだわりを持ち続け、
その状況に対応できる柔軟性を養う必要があるのではなかろうか?

『素直』

『素直』という言葉を『広辞苑』でひいてみると、
次のように書かれていました。

①飾り気がなく、ありのままのこと。曲がったり、癖があったりしないさま。
②心の正しいこと。正直。
③穏やかで人に逆らわないこと。
④物事がすんなりゆくこと。
⑤技芸などで、癖がなく、すっきりしていること。



「飾り気がなく、ありのままのこと」が
          「激しい感情をストレートに表すこと」や「自分の欲望のままに振る舞うこと」
とよく勘違いされるようですがそのすぐあとに
          「曲がったり、癖があったりしないさま」
と付け加えられている点を忘れてはいけません。

つまり、ありのままの自分とは心がまっすぐで癖のない自分なのです。
と同時に心の正しい、穏やかで人に逆らわない自分なのです。
わがままを押し通すことや感情のままに振る舞うことも素直であるとはいえません。
つまり、素直とは、人の心や世の中の流れにそった生き方ができることです。
だから、何も妨げるものがありません。

松下幸之助さんは
「素直な心とは、単に人に逆らわず従順であるということではありません
 何物にもとらわれず、物事の真実と何が正しいかを見極めて、
 これに従う心です」と言っていますね。

素直と、主体性もなく人に依存することは、似て非なるものですね。
主体性のない素直さ?は、ただ怠けているだけの安易な妥協です。

『道具も生き物』

シーズン中にシアトルの小学校を訪問したときに子ども達を前にしたイチローは
次のようなことを語ったそうです。

「みんな道具を大事にしてください。
お父さんやお母さんに買ってもらったバットやグラブを大切に扱い、
手入れをすることで好プレーが生まれるんです。」


高校時代からイチロー選手は、父親に勝ってもらった野球用具を大切にしていたそうです。
どんなに夜遅くまで練習があっても、ロッカー室に戻ったイチローは、
スパイクの土を落とし、バット、グラブを丹念に手入れをしてから帰ったそうです。

テキストやノートに対しても同じです。
テキストやノートに対してどういう意識で対処するかは大変重要です。
単なる印刷物程度に扱っていると、その損失ははかりしれません。

はじめはそうでなくても、何回も使っているうちにだんだん向こうの『なかみ』がこちらに移り、
同時にこちらの『こころ』も向こうに移入され、やがては一体化するからでしょう。
テキストやノートもこちらから全幅の信頼をおいて、すべてをゆだねるつもりで接していかないと、
力を貸してくれませんし、期待通りの働きもしてくれないでしょう。

テキストやノートに対して、単なる教材としてではなく、
もっともっと大きな視野に立って、自分を培ってくれる
『師』であり『友』であり、『こころ』や『エネルギー』を内蔵した『生き物』であるという
意識で対処すれば、むこうがほっておきません。
必ず、手を差し伸べ、力をつけてくれるはずです。

『とりあえず頑張ります』

『とりあえず頑張ります』には何の意味もない
私は『とりあえず』『ボチボチ』という言葉が大嫌いです。
やるんだったらトコトンやる、やらないのだったら全くやらない!
『とりあえず』という言葉で、中途半端な努力を肯定して、
自分の心を慰めるのをやめましょう。

この『とりあえず』という言葉にはいろんなマイナスの思いが込められています。
「失敗するとカッコ悪い」
「自分の限界をさらけ出すのが恥ずかしい」
「できなかったらどうしよう」

だから、本当は一生懸命にやりたいのだが、『とりあえず』と言ってみる。
『とりあえず』は、周囲の人だけでなく、自らをも欺く逃げの言葉です。
では『とりあえず』ではなく、何と言えばいいのでしょうか?


答えは「必死でやります」「夢中でやります」です。


厳しい言葉で自分をギリギリまで追い込んでいきます。
そういった戦いの中にこそ、人間の成長があるのです。


上野由岐子選手はじめソフトボール日本代表チーム 
       悲願の金メダル おめでとうございます!


上野由岐子選手の精神力を示す言葉がココにある。

「どんな状況に立たされるか考えて悩むより、
何かが起きたときにどう対応できるかを大切にしている」。

『無駄になる努力はない。』

川上哲治(元巨人軍監督)

高いレベル、より高い目標を目指して努力し、工夫し、研究していく。
基本的な学習をしっかりやって、その研究は試行錯誤の繰り返し。
その途中では、無駄な努力もたくさんする。
しかし、あとになって無駄だったと思うことでも、
そのとき、その時点では「無駄だ」と思ってやったものは何ひとつないはずで、
すべてそのとき、その時点では「ベストだ」と信じてやったことばかりだろう。
あとになって振り返ってみて、あるいは人に教える立場になってみると、
だからこそ無駄だったというようなことは何ひとつない。


工藤公康(プロ野球)

『教えることなんてできない。本人にその気がなければ、何を言っても同じですから。』
質問というのは、聞く耳を持ち学習する意欲がある者が自発的にするもの。
自分から声をかけても効果はたかが知れている。とは言いつつも
「ヒントを話しているだけ」とアドバイスする姿勢は忘れないようです。

少年よ大志を抱け

土俵際に追い込まれるまで待たず、
余裕を持っている時に
必要な行動を起こしなさい。

だれでも、試験前に一夜漬けをした経験があると思います。
そういったときは、たいてい時間切れになって、
絶望的な気持ちで試験に臨んだと思います。
試験の日時は予め分かっているのですから
前回よりも良い成績をおさめたいならば、
早くから準備しましょう。
余裕が十分あるときに危機感を持って
必要な行動を起こしてみましょう。


小出義雄 語録

『いい練習を見つけるため、いま世間でやっている練習とは違ったものを
模索する。もしかしたら「非常識だ」といわれるかもしれません・・・
非常識な練習が正しければ、結果は出ます。
結果が出れば、それが常識となっていくのです。』


日本語の「夢」と英語の「dream」の意味のズレ!

松坂投手の発言

「僕はもともと、夢という言葉が好きではないです。見ることはできても、
かなわないものが夢だと思っていますので。
僕はここで投げられることをずっと信じてやってきたので、
今、ここにいるのだと思います」
                       レッドソックス入団会見で

新明解国語辞典によれば、日本語の「夢」の定義はこうです。

ゆめ【夢】
①現実の生活においては起こり得ないような事などを睡眠中に経験する一種の幻覚。
②実際には有りそうにも思われないが、万一実現すればいいなと思って・いる(いた)事柄。
③活社会や厳しい現実から遊離して暫時享楽する、甘くて楽しい環境。

日本語の「夢」にはずいぶん否定的な意味合いがあります。
夜見るもの、幻覚、の意味が最初にあるので、
「かなわないもの」という定義が出てくるんですね。


かたや、ロングマン現代英英辞典での定義はこうです。

1 wish to think about something that you would like to happen or have
2 while sleeping to have a dream while you are asleep

英語の「dream」は、かなえたいもの、願い、が先ですね。
そして「かなわないもの」という意味合いは、ない!


少年よ、大志をいだけ


本当のところは、クラーク博士の「少年よ、大志をいだけ」の後には、

「それは金銭や利己的誇示のためではなく、
また世の人々が名声と呼ぶような
虚しきものに対してでもない。
すなわち人間が人間として当然身につけるべきことを
達成せんがための大志を持つべきである」
と続くのです。

「自己実現」という言葉が広がり始めたのは、いつ頃からだったでしょうか。
しかし、この言葉には毒素が含まれているように思われます。
理想の自分のイメージに固執するあまり、何もできなくなったり、
諦めたり逃げたりしてしまうというようなこともあるようです。

「自己実現」を、「金銭や地位が目的でなく、
やりたいことをやる」とすれば、聞こえはいいかもしれません。
しかし、やりたいこと、やって楽しいことをやることへの欲求と考えるなら、
クラーク博士の言う、金銭や「世人が名声と呼ぶあのむなしいもの」と、
実はそこまで大差はないようにも考えることはできないでしょうか。

「人間が、人間として、当然身につけるべき全てのものを身につけること」は、
今現在まさに人間として生きている以上、誰でもできることであり、
かつ、すべきことなのではないでしょうか。
人間それぞれ、内と外に多くの事情を抱えていますが、
どんな状況下でも、「人間として生きる覚悟」を持って行動すれば、
その具体的な行動は人それぞれ異なっていても、
等しく価値あるものなのではないでしょうか。

『当たり前を当たり前と思う人に、成功はない』

身の回りのことを少し考えてみよう。
あらゆることを『あたりまえ』と思って過ごしていないか。
身近にあるが故に、それ自体が大きな価値観を持つものであるにもかかわらず、
大切にしていないことがたくさんあるのではないかと。

たとえば、「1億円貯まった。幸せだ」と言っても
実際には、絶対にそれを幸せとは言わない。

健康であること。
家族がいること。
友達がいること。
食べることができること。
笑うこと。
泣くことができること。

幸せとはそういう当たり前の状態であることだ。

わたしたちは、こうした絶対的価値よりも、
まだ手にしていない他者との比較の相対的価値ばかりに目がいきがちである。
私たちはもうすでに手に入れている、真に価値のあるものに対して感謝してみよう。

幸せというのは

向こうからから勝手にやってくる
ものではありません
すでに自分を山ほど取り囲んでいるもの
それにどれだけ気づくか
というだけのものです

『机はコの字、チョークなし教壇なし 進む「教室革命」』

机は普段からコの字形に並べ、教壇はない。
教室と廊下を隔てる壁はなく、背の低い棚で仕切る。
黒板は電子化し、チョークは見あたらない。
小中学校の教室では、そんな変革が静かに進んでいる。

千葉県八千代市立阿蘇中学校は昨年1月から、
全学級で机をコの字形にした。
多くの教科で1時間に1度は3~4人組のグループ学習が入る。
生徒同士の表情がよく見え、言葉も交わしやすい。

教壇も無くした。教務主任の唐沢正美先生(51)は最初、
おしゃべりが心配だった。
ところが、今は「自信のない子も意見が出しやすいようだ。
分からないところを聞き合う雰囲気が
自然にできている」と感じている。

これは、佐藤学・東大教授(教育学)らが提唱する
「学びの共同体」と呼ばれる取り組みの一環だ。
「子どもが一人残らず学べる形態」として10年ほど前に生まれた。

武森公夫校長が赴任した3年前、
阿蘇中では生徒が歩き回ったり大声で話したりして
授業が成立しないこともあった。
そこで、清掃や朝読書に力を入れるとともに
「学びの共同体」を導入。
「授業中に出て行こうとする子を、
他の子が止めるんです。
雰囲気が激変した」。
40人近くいた不登校生も数人に減った。

約3万4千ある全国の小中学校のうち、
少なくとも約3千校で実践されている。
佐藤教授は「一斉授業から共同学習・ゼミへ
、この15年で世界的な教室革命が起こっている」と話す。

小学校では、そもそも「部屋」でなくなった教室も増えている。
廊下側の壁が全くなかったり、必要に応じてキャスター付きの棚や
パネルで仕切るだけだったりする「オープン型教室」だ。

国立教育政策研究所の屋敷和佳・総括研究官が06年度に
秋田、東京、富山の3都県の公立小を調べた。
それぞれ15、6、21%がオープン型で、全国では十数%とみている。
84年から国の補助金が出るようになり、
新改築を機に切り替えるケースが相次いだ。
02年から始まった「総合的な学習の時間」で、自分の机から離れて、
自由に動ける空間を使う機会が増えたことも拍車をかけたという。

一方、黒板は「電子黒板」の普及が進む。
1台10万円以上にもかかわらず、
全国の公立小中に07年3月時点で約8千台ある。
千葉県柏市は61校中21校に1台ずつあり、
10校の全学級に配置する計画もある。

東京都墨田区立文花中学校では06年度から導入した。現在は3台。
各教室に運んで使うほか、昨年秋には専用教室も作った。

2年生の理科の授業。山本一郎先生(56)はパソコンで作っておいた
20の図を次々に電子黒板に映し出した。
黒や赤の電子ペンで字や線を書き込む。
生徒に電子ペンを渡し問題を解かせることも。
パソコンに戻らなくても、
すべての操作が電子黒板上でできるのが特長だ。
動画も呼び出せ、板書の保存も可能だ。

山本先生は「準備は大変だけど、子どもの反応がいい」。
教科書の全ページや資料を表示できる
「デジタル教科書」が一部の教科ではできていて、
これを利用すれば準備作業は軽減できる。
赤堀侃司・東京工業大教授(情報教育)は
「うまく使えば子どもの興味を引き、
集中力を持続させられる」と話す。

『よい子を育てるお母さんの法則 』

子どもはありがとうと言われたらやる気のホルモンが出ます。
ほめるのが一番いいのです。
ほめるためには、その材料をつくります。
じょうずに用意できたら、子どもはぐんと成長します。

(「空腹ではじめて感謝と満足がうまれます」より)


今日の言葉

人間は努力する限り、迷うものだ
by ゲーテ  

悟りということはいかなる場合でも平気で生きること  
by 正岡子規(俳人)  

一眼は歴史の彼方に、一眼は脚下の現実に  
by 森信三(哲学者)  

昨日の我に今日は勝つべし  
by 柳生家の家訓  

日本の唯一の地下資源は勤勉だ  
by 吉田茂(元首相)  

「喜び、感謝、歓喜」は運命をよくするポイント  
by 神渡良平(作家)  

『あんまり勉強するんじゃないよ』

あんまり勉強するんじゃないよ。

親から言われたとか
先生から言われたとか
宿題があるから

というように

他からの命令で勉強したものは身につかないよ

何か必要を感じて学べば
必ず実になるよ

『人間力を養うには何が必要か』

1.『憤』の一字・・・物事に出会い、人物に出会い、発憤し、感激し
            自己の理想に向かって、向上心を燃やす
2・『志』・・・・・・・・・いかなる志・夢を持っているか
3・与えられた場で全力を尽くすこと
4・一貫持続すること
5・古今の人物に学ぶこと

最後に一番大切なことは『素直な心』
                         by 松下 幸之助

山水は無心

仰いで山を観ると、重々しくどっしりして動かない
俯して川の水を見ると、広々としてはてしがない
仰いで山を観ると、四季ごとに景色が変化する
俯して水を見ると、昼夜の別なく絶えず流れている
仰いで山を観ると、雲や霞が出たり入ったりしている
俯して水を見ると、小波や大波を起こしている
仰いで山を観ると、空高く聳えている
俯して水を見ると、遠く水源まで通じている

                                    言志後録 155条


山も川も無心であるが、見る人の心によって様々である
俯して川の水を見たり、仰いで山を観たりすることは、
われわれの教訓にならないものはない

                          
一口アドバイス
○覚えなければならないことは分割して覚える
○ライフルのように1つのことにねらいを定めて行なう

最後の日本兵 生きる極意

昭和49年、”最後の日本兵”が帰還した。
 その人は、小野田寛郎元陸軍少尉。

 終戦から30余年、いまだ戦争が続いていると思い、
 ルバング島に潜伏していた小野田氏の存在は、 
 平和と高度経済成長に沸く当時の日本に大きな衝撃を与えた。

 島に潜伏していた30年間、
 小野田氏が発熱したのはたった2回だという。

 「獣のような生活をし、
  あと何年したらケリがつくか保証もない。 
  いずれはこの島で朽ち果てることを覚悟しているので、
  ついつい目の前のことに振り回され、
  『それなら早く死んだほうが……』と思ってしまう。
  結局、健康でなくなり、頭が働かなくなると、
  目標とか目的意識が希薄になるのです」

 次々と仲間を失い、
 最後はたった一人で島で生き抜いてきた小野田氏。
 それでも”自分が日本を守る”という
 強い意志を決して失わなかったのは、
 目の前の出来事やその日の気分に振り回されたり、
 感傷的になったりしなかったからではないだろうか。
 
 これはなにも小野田氏のような
 極限の状態にだけいえることではない。
 人は夢や目標を持った時、
 様々な障害に出遭い、心折れそうになることがある。
 その時、いかに心身を健全に保てるか。
 そして最後まで目標や目的意識を失わないか。
 
 86歳にして凛とした立ち姿が印象的な小野田氏から、
 真の強さとは何かを教えられたような気がしたのである。


『時は今、場所はここ』

鎌倉時代に生きた道元禅師が名誉「正法眼蔵」の中で

「人間が真に生きるとは、自分の持っているすべての力を燃焼尽くし、
 一転の余燼も残さない生き方、
 つまり、時間は”今”、場所は”ここ”の時間的空間的なものと一体になる生き方が必要だ」
 と説いています。

人間の生き方には、十代のときにしかやれないこと、二十代のときにしかやれないこと、
三十代、四十代、その年代にしかやれないことがあります。
また人間としてその年代にしなければならないことがあります。

ところが、多くの場合、その年代に手抜きをし、その結果
「あのときにやればよかったのに」と後悔三昧の人生を過ごしています。
悔いを残さず生きるには、まさにそのとき、そのときに全力投球をし、
身も心も、いま、ここに100%参加する生き方をしたいものです。


道元(どうげん)
鎌倉時代初期の禅僧。曹洞宗の開祖。晩年に希玄という異称も用いた。
同宗旨では高祖と尊称される。
諡号は、仏性伝東国師、承陽大師。
一般には道元禅師と呼ばれる。

日本に歯磨洗面、食事の際の作法や掃除の習慣を広めたといわれる。
dougenn
最初に孟宗竹を持ち帰ったとする説もある。

私が見た『できる子ども』の共通点

○ 余計なプライドが少ない子
○ 素直な子
○ マメである子
○ 間違ったら悔しがる、しかし落ち込まない子
○ とにかく書く、ノートに書く子
○ 完全主義でない子
○ 叱られることに抵抗のない子
○ 神経質すぎない子

傍楽

『傍を楽』にさせるから『働く』というのだ。

と何かの本で読んだ覚えがあります。
この言葉からもわかるように
生活やパンのためではなく
傍の人を楽にしていくために働くから功徳になる

ゆえに、何かの目的を果たすためだけでなく、
目的が果たされようと、果たされまいと
自分が為すべきことをしていく
こう考えいくと深い人生の目的が生まれてくるものですね。

「教育に競争はいらない」

フィンランドやオランダ・デンマークなどは、
学校教育で子どもたちにテストをして順位などはつけない制度を取り入れています。
能力別の学級編成なども行いません。
能力別にクラスを分けることは、差別をつくり、何の効果もないと考えているのです。
 
フィンランドは学校教育の中で、子どもたちに競争させることをやめたら、
世界一の学力国になってしまいました。
フィンランドでは、落ちこぼれの子をつくらないという方針で、
学校の授業を行っているのです。日本ではできる子どもを中心に授業が行われますが、
フィンランドではあべこべです。中低位の子どもに手厚いのです。
成績の悪い子どもに力をつける教育をしているのです。
その結果平均点があがり、全体の学力が伸びているのです。
できる子は、自分で学ぶ力があるので、どんどん自分で学ばせるのです。
競争させると、全体が地盤沈下する現象が起きることを、
この国の人々はよく知っているのです。
 
フィンランドは人口520万の小国です。
かつては、優れた人的資源もなく、
会話も人とコミュニケイトするのがとても苦手な国民でした。
それが今はコミュニケーション力を重視する、
世界学力テストで第一位の国なのです。かつては農業国でしたが、
今は工業国に変わり、しかも世界のIT産業の先端に位置し、
国際競争力ランキングでもナンバー1の国になっているのです。
ちなみに2位アメリカ、3位がスウェーデンです。
日本は2003年度11位、2004年度9位となっています。
 
フィンランドは高い生活水準を保ち、活力ある経済活動を行っています。
その源になっているのが、競争力を廃止したフィンランドの学校教育なのです。
フィンランドでは、子どもが自ら学ぶことを教育の基本に据えており、
競争などで学習を強制したりすることを廃止し、
グループ学習、生徒同士の教え合いを大切にし、
子どもたちがマイペースで学べるように工夫しているのです。
落ちこぼれをつくらないということを基本に据えているので、
学校で子どもたちの学習水準が高くなり、バランスの良い教育がなされています。
フィンランドでは、学校でいじめや不登校問題などもありません。
 
今教育で大切なのは、自分で学習する子どもを育てること、
自立学習者を育てることです。日本の文部科学省も、
そのことを日本の教育の根幹と考えています。
けれども、今の日本の学校制度ではこの目標を達成することは至難の業です。
とても不可能なことでしょう。
 
競争を取り入れた教育方法では、差別をつくります。
できない子どもたちは、学校教育に適応しなくなり、
ドロップアウトしていきます。学校に行かなくなり、
不登校への道を歩み出したりするのです。
 
これは日本の教育制度がこのような現象をつくり出していることを、
子どもを育てる両親が知らなくてはならないことなのです。
不登校問題は、制度公害なのです。今の学校制度には、
子どもが学校に合わないとき、子どもをどう保護するかが考えられていないのです。
日本の憲法第26条に「すべての国民は、法律の定めるところにより、
その能力に応じ、等しく教育を受ける権利を有する」とあります。
これでは法律通りにやることが憲法だということになるので、
学校に行かないと義務違反になって、学校に行かない子どもたちは、
おかしな子どもという目で見られることになります。
日本の学校制度には、子どもたちが学校を離脱する自由がないのです。
 
日本の教育では、子どもに合った教育が提供されていないのです。
フィンランドやオランダやデンマークなどでは、
競争がなく、入試がなく自由に学校が選べ、
学校が子どもに合わなければ、ホームスタディの制度もあります。
これなら不登校問題は存在しなくなり、子どもたちが追いつめられることがなくなります。
学校に行かないことが自由になっていて、束縛がないので、
子どもたちは追いつめられることがなく、かえってそのため、
学校に行かない子どもなど存在しないのです。

日本の学校教育の大きな問題は何でしょう。
不登校の子どもたちを多くつくり出すことです。
これは日本の教育方法にオプションが少ないからです。
国民の多くが学力中心の教育観に縛られていることも大きな問題です。
教育に競争はいらないのです。
世界を見ると、競争を廃止して、優れた学校教育の成果を上げている国々がたくさんあります。
時代が大きく変わってきているのです。
世界の教育は、1995年を境に、知識を詰め込む教育を廃止して、
自ら学ぶ子どもたちを育てる教育を目指すという方向に大きく変わってきているのです。
                                                  

●素読(そどく)とは

時代劇の1シーンで、寺子屋で師範の読み上げる声に続いて生徒たちが
「子曰く~」と論語を読み上げている光景を見たことがありますか?

そうです、あれが素読です。

素読とは、文章の意味を考えることなく、
その文章を暗誦できるようになるまで繰り返し音読することです。
多くは寺子屋でのシーン同様、お手本を読む役の人がまず一文読み上げ、
それに全員が続く形式をとります。

素読は文章を頭で理解するものではなく、
何度も繰り返し読むことにより、
体に覚え込ませることを目的としたものです。

一見非効率的に感じるかもしれませんが、
文章を目で見、耳で聞き、声に出すことによって体に染み込ませた
内容は、単に目で読んで覚えたものよりも深く心に刻まれます。

評論家の小林 秀雄さん曰く、

素読を暗記強制教育だったと
簡単に考えるのは、
悪い合理主義ですね。
『論語』を簡単に暗記してしまう。
暗記するだけで意味がわからなければ、
無意味なことだと言うが、
それでは『論語』の意味とは何でしょう。
それは、人により、年齢により、
さまざまな意味にとれるでしょう。
一生かかってもわからない意味さえ
含んでいるかもしれない。
それなら意味を考えることは、
実にあいまいな教育だとわかるでしょう。

丸暗記させる教育だけが、
はっきりとした教育です。


【知識・見識・胆識】

いつも申しますように、識にもいろいろあって、
単なる大脳皮質の作用に過ぎぬ薄っぺらな識は「知識」と言って、
これは本を読むだけでも、
学校へのらりくらり行っておるだけでも、出来る。

しかしこの人生、人間生活とはどういうものであるか、
或(あるい)はどういう風に生くべきであるか、
というような思慮・分別・判断というようなものは、
単なる知識では出て来ない。
そういう識を「見識」という。

しかし如何(いか)に見識があっても、
実行力、断行力がなければ何にもならない。
その見識を具体化させる識のことを「胆識(たんしき)」と申します。

けれども見識というものは、
本当に学問、先哲・先賢の学問をしないと、出て来ない。
更にそれを実際生活の場に於いて練らなければ、
胆識になりません。

今、名士と言われる人達は、
みな知識人なのだけれども、
どうも見識を持った人が少ない。
まだ見識を持った人は時折りあるが、
胆識の士に至ってはまことに寥々(りょうりょう)たるものです。
これが現代日本の大きな悩みの一つであります。


                               『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)

「わが庭のひまわり」

himawari08

仕事に就いて、最初からいい仕事にめぐりあえるわけではありません。
まずは、自分に与えられた仕事を、明るさと素直さを持ち続けながら、
粘りに粘ってやり続けることが必要です。絶対にやめてはいけません。
それは、苦労に苦労を重ねてただ一つのことを極めた人だけが、
素晴らしい真理に触れることができるからです。

しかし、最初に決まった仕事を、
生涯の仕事としてただ辛抱すればいいというわけではありません。
ひたむきに努めながらも、常にこれでいいのかということを考えるのです。
決して、昨日と同じことを、同じ方法で、同じ発想でやってはいけません。
小さなことでも、毎日これでいいのかということを反省し、改良するのです。
あらゆるものに対して、「これでいいのか」という問いかけをするのです。
これを長年繰り返しますと、素晴らしい進歩を遂げるはずです。
基礎を教わったら、自分自身で工夫をしていく、これが創造です。

日々新たな創造をしていくような人生でなければ、
人間としての進歩もないし、魅力ある人にはなれないだろうと思います。

                                                by 稲森和夫

『燈心』

狭くともいい
一すじであれ
どこまでも
掘りさげてゆけ
いつも澄んで
天の一角を
見つめろ
いじけるな
あるがままに
おのれの道を
素直に
一途に
歩け


                   by 坂村 真民

友歓迎 孔子の思い出今に

子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎

子の曰わく、学びて時にこれを習う、亦た説(よろこ)ばしからずや。
朋あり、遠方より来たる、亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。

先生がいわれた、「学んでは適当な時期におさらいをする、いかにも心嬉しいことだね。
[そのたびに理解が深まって向上していくのだから。]

だれか友達が遠い所からからも尋ねて来る、いかにも楽しいことだね。
[同じ道について語り合えるから。]
人が分かってくれなくても気にかけない、いかにも君主だね[凡人にはできないことだから。]」

いろいろあったけど北京オリンピック開幕ですね。
どなたが通算115個目の金メダルを取るのでしょうかね?
頑張れ、日の丸戦士たち!

中江藤樹生誕400年

五事を正す

近江聖人中江藤樹先生の教え

「貌」・・・顔かたち

愛敬の心をこめてやさしく和やかな顔つきで人と接しましょう

「言」・・・言葉づかい

相手に気持ちよく受け入れられるような話し方をしましょう

「視」・・・まなざし

愛敬の心をこめて暖かく人を見、物を見るようにしましょう

「聴」・・・よく聞く

話す人の気 に立って相手の話を聞くようにしましょう

「思」・・・思いやり

愛敬の心をもって相手を理解し思いやりの心をかけましょう

中江藤樹(なかえ とうじゅ、
1608年4月21日(慶長13年3月7日) - 1648年10月11日(慶安元年8月25日))は、
近江国(滋賀県)出身の江戸時代初期の陽明学者。近江聖人と称えられた。
字は原(はじめ)、諱は惟命(これなが)、通称は与右衛門(よえもん)。
別号に珂軒(もくけん)、顧軒(こけん)。
「別号に嘿軒(もくけん)、頤軒(いけん)。
出典 先哲叢談/原念斎・漢学者伝記集成/竹林貫一編」



[編集] 経歴
農業中江吉次の長男として誕生。
9歳の時に伯耆米子藩主加藤家の150石取りの武士である
祖父・徳左衛門の養子となり米子に赴く。
1617年(元和2年)米子藩主加藤貞泰が伊予大洲藩(愛媛県)に国替えとなり
祖父母とともに移住する。1622年(元和8年)祖父が死去し、家督100石を相続する。

1634年(寛永11年)27歳で母への孝行と健康上の理由により藩に対し
辞職願いを提出するが拒絶される。
脱藩し京に潜伏の後、近江に戻った。そこで、私塾を開く。
1637年(寛永14年)伊勢亀山藩士・高橋小平太の娘・久と結婚する。
藤樹の屋敷に藤があったことから、門下生から藤樹と呼ばれるようになる。
塾の名は、藤樹書院という。やがて朱子学に傾倒するが次第に陽明学の影響を受け、
格物致知論を究明するようになる。

1646年(正保3年)妻・久が死去。
翌、1647年(正保4年)近江大溝藩士・別所友武の娘・布里と再婚する。
1648年(慶安元年)藤樹が亡くなる半年前に郷里である小川村(現在の滋賀県高島市)に
「藤樹書院」を開き、門人の教育拠点とした。
その説く所は身分の上下をこえた平等思想に特徴があり、
武士だけでなく商工人まで広く浸透し「近江聖人」と呼ばれた。
代表的な門人として熊沢蕃山、淵岡山、中川謙叔などがいる。toujyu

ウォーキングは最高の抗うつ剤

某ドクター曰く

ほとんどの病気は、カラダの一部分の血行不良から起こる。
なぜ、一部分の血行が悪くなるのかはわかっていない。
また、その一部分のみの血行を良くしようと思っても、それは難しい。

そこで一部の血行を良くしたければ、全身の血行を良くすることが効果的。
全身の血行を良くするには、方法は2つ。
1つは温泉に入ること。
もう1つは30分以上歩くこと。

とにかく30分以上歩くことによってドーパミン、ベータエンドルフィンといった
人間特有の素晴らしい脳内物質を放出させ、
楽天的に、ポジティブに、イキイキとやる気に満ちて、
爽快に生きることができる。」


まずは頭で考えるのではなく実践あるのみ。
とにかく、早朝に30分歩いてみよう。

ウォーキング!

その第一歩を踏み出したものが勝利する。
おもしろいことに机の上で考えた内容より
歩きながら考えたほうが新アイデアが続々と吹き出します。
さらにご利益を蒙りたかったら、ただ歩くのではなく、
課題を持って歩き始めよう。
効果倍増になるはずです。

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プロフィール

矢野 一成

Author:矢野 一成
愛媛県新居浜市 アール塾塾長

備忘録、すなわち
忘れたときのために備えて、
書きとめておく、
個人的な雑記帳です。

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