日本一アツイ教育を実践する男が語るBLOG

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「縁尋機妙」

「縁尋機妙」は、
安岡正篤師がよく口にされた言葉である。
「よい縁がさらによい縁を尋ねていく
仕方が実に機妙である」という意味である。

また安岡師はこれと対句のように、
「多逢勝因」という言葉もよく説かれた。
「よい人に交わっていると、気づかないうちに、
よい結果に恵まれる」ということである。
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意義と息

すべて長く続けることに
意義がある
息でもそうだ
長い息が
長生きにつながるのだ


                                            坂村 真民

偶然からは感謝は生まれてこない。
特に仏教は因縁の不思議を知らせてくれる教えである。
因縁の糸は広大無辺である。
それを知ると生きていることがありがたく、
生起する一つ一つが生き生きしてくるのである。
従って病気も治ってくるであろう。
困難も突破できるであろう。
どうか必然の理を知り、
二度とない人生を意義深いものにして頂きたい。

                                             坂村 真民

「志」を育てる。

「死んだ後に花が咲くと信じ一所懸命種まきをする。それが志 」
                 上甲晃(志ネットワーク代表)

「志なき人は、聖人もこれを如何ともすることなし」
                              荻生徂徠

「志ある者は、事竟(つい)に成る」
                              『後漢書』

「志立つたざれば、舵なきの船、轡(くつわ)のない馬の如し」
                           陽明学の始祖・王陽明

「人間を偉大にしたり卑小にしたりするのは、その人の志である」
                              シラー

「大切なことは、大志を抱き、
それを成し遂げる技能と忍耐を持つということである。
その他はいずれも重要ではない」
                              詩聖ゲーテ


志なき人間は人間と言うことはできない
                               竹葉秀雄(教育者)  


「老人には安心されるように、
友達には信ぜられるように、
若者には慕われるようになることだ」
                               孔子


人物の三つの等級

明末の儒者呂新吾は、自著「呻吟語」の中で、
人物を三つの等級に分けて次のように論じております。

一、深沈厚重なるは第一等の資質なり
   ・・・どっしりと落ち着いて物事に動じない人物、
      これが第一等である。

ニ、磊落豪雄なるは第二等の資質なり
    ・・・太っ腹でこせこせしない人物、これが第二等である。

三、聡明才弁なるは第三等の資質なり
   ・・・頭が切れて弁が立つ人物、これは第三等に過ぎない。
    
舜も禹も「巍巍乎たり、而して与らず」とありますから、
磊落豪雄の者・聡明才弁の者を見事に生かし切った、
深沈厚重たる第一等の人物であったようです。
近頃は、頭が切れて弁が立つ人物こそが第一等
と勘違いされているようですが、
これはテクノクラート(技術官僚)型と云って、

兵に将たることは出来ても、
将に将或は将に王たるには不向きなんですね。
将に将たるには磊落豪雄、
将に王たるには深沈厚重なる資質が要るんです。

季氏第十六で孔子は「陪臣(ばいしん)国命を執(と)れば、
三世(さんせい)にして失わざること希なり。
(官僚が国の政治を取り仕切るようになると、
三代続くことは希である)」
と述べておりますが、

テクノクラート(聡明才弁)が実権を握ると、
たいてい国がひっくり返っている。

そこで群雄(磊落豪雄)が割拠して、益々混乱に拍車がかかる。
最後に英雄(深沈厚重)が立って、ピシッと国を平定する。
適材を適所に登用して、用いて任せ、任せて生かす。
用いられれば発奮し、任されれば使命感に燃え、
生かされれば生き甲斐を感ずる。

トップが確乎たる理念(拠って立つ所の理想とする思い)と、
明確なビジョン(未来像)を示してさえいれば、
直接与らずとも部下は意気に感じて情熱を燃やすものなんですね。

現代の日本の社会をみると、政官財をとわず
明末の儒者呂新吾のいう第3の資質しか持たない人物が
リーダーに選ばれていることが多々ありますね。

たしかに彼らは能力があり、
有能な人物かもしれませんが
リーダーとしてふさわしい資質を備えているかは疑問です。

現代の日本社会が荒廃している原因の一つには
このように第3の資質(聡明才弁)しか持ち合わせていない人物を
われわれ自身のリーダーに選択していることが
あげられるのではないかと思います。

語録と論文

語録は、いうならば、
葉末からしたたるしずくである。
しずくは内に満ちみちた樹液が、
おのずからにしてにじみ出たものである。

無理に出したものでもなければ、
人に示すために作ったものでもない。
そこが論文と違う。

一本の松の木を取り扱うのに、
根・茎・枝・葉・花・実と分けて
それを切ったり割ったりして、
さらにはそれを顕微鏡で覗いて、組織を調べたり、
樹液を分析して成分を調べたりする。
それが論文である。

語録と論文。
この2つはどちらも必要だ。
しかし、そのものの生きた生命を、
生きたままで掴むには、
論文よりもむしろ語録の方がよいであろう。
なぜならそれは、
その人の体験や思想の樹液が、
そのままおのずと、にじみ出たものであるからである。

                            渡邉 五郎三郎

【二度とない人生だから】

二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛を
そそいでいこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳を
かたむけていこう

二度とない人生だから
一匹のこおろぎでも
ふみころさないように
こころしていこう
どんなにか
よろこぶことだろう

二度とない人生だから
一ぺんでも多く
便りをしよう
返事はかならず
書くことにしよう

二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど
こころ豊かに接していこう

二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめていこう

二度とない人生だから
のぼる日しずむ日
まるい月かけていく月
四季それぞれの
星々の光にふれて
わがこころを
あらいきよめてゆこう

二度とない人生だから
戦争のない世の
実現に努力し
そういう詩を
一篇でも多く
作ってゆこう
わたしが死んだら
あとをついでくれる
若い人たちのために
この大願を
書きつづけてゆこう


                     「坂村 真民 一日一言」より

【曲礼】

中国古典に「曲礼」(きょくらい)という『礼記』の一篇があります。
「曲」というのは「くわしい」という意味です。

その「曲礼」の中に「年齢」のことが書いてあります。

人生まれて10年を「幼」という――学ぶ。
(教えを受ける年齢ということです)
20を「弱」という――冠す。
(冠をつける年齢だということです。
「弱冠」というのはここからきたようです)

30を「壮」という。
40を「強」という。
50を「艾」(がい)という。
60を「耆」(き)という。
70は「老」という。
80、90を「耋」(てつ)という。

30代はエネルギーが旺盛です。まさに壮です。
40になると、それがさらに強くなる。
50は「艾」(がい)。
艾というのは、頭に白いものがまじってくるという意味のようです。
ごま塩頭というやつですね。
ただ、艾には、刈りとるという意味もあるようですが、
30代、40代は意気盛んである故に、
いろんなムダなものをつけている。
そういうムダなものを取り去り、省いていく――
そういう年齢だということだと思います。

そして60は「耆」(き)。
これがおもしろいですね。「老」の上の字に
「旨」で「き」といいます。
「旨」というのは「うまい」ということです。
「うまい」というのは、
甘いとか酸っぱいとかという単純な味ではない。
5つの味をミックスした、
たとえようのないデリケートな味のことをいいます。

だから、これに手ヘンをつけると、
「指」――指というのは独得のデリケートな働きをしますね。
魚ヘンをつけると、「鮨」――独得のうまい食物です。

つまり、「耆」というのは、
人生のあまいもからいも、あらゆる体験を通して、
なんともいえない人間の風味がでてくる年齢だということです。

この伝でいえば、60代は人生の黄金期といえそうですね。

70は「老」。これは「老い」という意味もありますが、
「練れる」「熟する」という意味もあるのです。
「耆」がさらに練られ、熟していく年齢です。
そして、80、90は「耋」。
「老」――すなわち「練」がさらに至るということです。

道にいい道、悪い道
というのがあるのではない。
その道をどんなふうに
生きるかという、
その生きざまによって、
よく見える道も悪くなったり、
悪く見える道もよくなったり
するんですね。
                 東井義雄

【積小為大】

大事をなさんと欲せば、
小さなる事を
怠らず勤しむべし。
小積りて大となればなり。
凡そ小人の常、大なる事を欲して、
小なる事を怠り、
出来難き事を憂いて、
出来易き事を勤めず。
それゆえ、終に大なる事あたはず。
それ大は小を積んで、
大となる事を知らぬ故なり。


                               二宮尊徳

『繋がりの信仰』」

川口雅昭先生は次のようにおっしゃっています。

「神道は、祖先があってこそ、いまの自分が存在するという
『繋がりの信仰』」を大切にしています。
そして、生きている私たちが祖先や子孫に対する責任を
果たせるかどうかは、いまをどれだけ懸命に生きているかに
かかっていると思うんです。松陰先生の生き方はまさにそれでした」

吉田松陰をはじめとする維新の志士たちは皆二十代、
三十代の若者でした。
彼らは国家の柱石となるという強い覚悟のもと、
いつでも公のために自らをなげうつ覚悟でいました。
それだけに一瞬一瞬を真剣に生きていたに違いありません。

同じ日本人でも、暖衣飽食の恵まれた環境が
いつまでも続くと思って生活している
現代の私たちとは大変な違いです。
環境も人々の考えも150年前とはまるで異なりますが、
ただ一つ、日本が発展か衰退かという大きな転換期を
迎えている状況は一緒です。

子孫に誇れる国を残すために、
私たちはいま何をしていくべきか。
真剣に考えねばならない時だと思います。
志士たちの生き方は決して過去の物語ではないのです。

人生の方程式

京セラの名誉会長の稲盛和夫氏が
自分の体験から編み出した方程式です。


人生・仕事の結果=情熱×能力×考え方


仕事、人生に成功するには情熱も能力も必要です。
しかし、一番ベースになるのは考え方だというのです。

そして、情熱も能力も0から100までだが、
考え方にはマイナス100から
プラス100まであるといっています。

ここが大事なところです。

つまり、いくら情熱、能力があっても、
考え方がマイナスの人は情熱や能力が高いほど、
結果は大きなマイナスになる、ということです。

この言葉に初めて触れた時、
決して大げさではなく、
鳥肌が立つように感動しました。

子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは惨めな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、
子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
褒めえてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、
子どもは、この世はいいところだと思えるようになる

                            ドロシー・ロー・ノルト

負ける練習

 『にんげんだもの』(相田みつを)より、

 負ける練習、恥をさらす訓練、
カッコの悪い体験を、
できるだけ多く子供にさせておくことです。
人間の身体は使ったところが強くなります。
これは至極単純な原理です。
その反対、使わぬところはどんどん弱くなります。

現代っ子にとって一番弱いところはどこか?
負けに耐える心、恥に堪える心、
カッコ悪さに堪える心です。
負けるということは
自分の思いが通らぬことです。

生きていく中では自分の思い通りに
ならないことがたくさんあります。
競技や勝負などでは負けることがあります。
能力や成績などで人に負けることもあります。
ミスや失敗をすることもあります。
苦手なことやヘタなこともあり、
うまくできずに恥をかいたり、
カッコ悪い姿を人に見られることもあるでしょう。

だが反対に、勝つことも成功することもあります。
得意なことや上達できることもあるはずです。
そういうことには、喜びや幸福感があります。
そういう可能性があることを避けてばかりいて、
自分の思い通りになることしかやらないようにしていると、
ますます何もできずに幸せを感じられることが
少なくなってしまうでしょう。
 また、努力を続けられない、つらいことに耐えられない、
負けや失敗をした時に不幸に陥りやすいなどの、
弱い人間になってしまうのではないでしょうか。

弱い人間にならないためにも、
幸せになる能力を向上させるためにも、
何か目標をもって、
努力する習慣をつくることが大事だと思います。
その中で、意志の強さや我慢強さや落ち込まない強さなどを
身につけていくことができるのではないでしょうか。

自己効力感


「自己効力感」は
どんな小さなことでもいいから
自分から挑戦して
「できた」「わかった」「やり遂げた」
という成功経験のつみかさねに
よって養われるものです。

はじめからできないと決めてしまわずに
とにかく、行動に移してみる。
そうすれば、案外、
自分にもできるということが実感でき、
道が開けるものです。
その成功経験のつみかさねによって
「自己効力感」が養われ、
それによって自信が芽生え、
さらに挑戦しようとする
意欲が泉のように湧いてきます。

中年の人よ

中年の人よ 自己と戦え
孤独になれば 孤独と戦い
名声を得れば 名声と戦い
いつも手綱を 引き締めよ
不遇だった時を 忘れるな
貧乏だった頃を 思い出せ
つねに謙虚であれ
奢りは悪魔の誘いだと思え


                        坂村 真民

「気」と「氣」

「気」は、なかの字を「メ」と書きますよね。
これは、どういう意味でしょう。
正解は「しめる」という意味になります。
皆様、封筒を思い出して下さい。
たった今手紙を書き終えたとします。
はい、それを封筒に入れました。
そのあと封をする時、ていねいな方は
「緘」と書いたり「緘」の字のスタンプを押したりすると思います。
では、そうでない方は、「メ」って書く方が多いのではないでしょうか?
これは、つまり「しめてとじている」わけです。
もし、このことがわかりにくい人が、おられましたら、
漢字で「しめる」を書いてみて下さい。
その後「とじる」を書いてみて下さい。
「緘」も音読みは「かん」と言いますが、訓読みは「とじる」です。
そうです。両方とも「閉」の字を使い、「閉める」「閉じる」と書くわけです。



一方「氣」は、中の字を「米」と書きますよね。
これは、どういう意味でしょう。
正解は「四方八方・しほうはっぽう」のはっぽう・・
「八方」をさし「八方へ出る」 という意味です。
「米」と言う字は、八つの方向に、線が出ていますでしょう。

ですから、「氣」という情報を持ったエネルギーを、
「しめてとじて・・・閉めて閉じてしまうのではなく、
八方に出してあげて欲しいのです。
「そんなの?」と思われる方が、いると思います。
漢字を書く時、「メ」と書いた方が、「米」を書くより早く書けると・・・。
そんな方は、ぜひ、次に書く実験をしてみて下さい。

では、白い紙に「気」と書いてみて下さい。
次に別の白い紙に「氣」と書いてみて下さい。
「気」と「氣」のそれぞれの紙の上に、
左手(これには、意味があります。)
をかざして少しずつ紙に近づけてみて下さい。
何か、感じられましたでしょうか?

わからない方は、次の方法を試してみて下さい。
それぞれの紙の上で、ちょうど「ドアのノブ」を、
最初時計と同じ方向に回す。すぐに時計と逆の方向に回す。
この動作(シャッフルするような動作)をできるだけ、
すばやく行ってみて下さい。
どちらの「字」の上が、しやすかったでしょう。



皆様、わかりましたでしょうか?
「気」ではなく「氣」なのです。
このように、「字」からも「氣」という
情報を持ったエネルギーは、出ているのです。

人を動かす 

 『人を動かすことのできる人は、
          他人の気持ちになれる人である』

 
                                            本田宗一郎


  相手の感情を考え、感情にうったえる
  相手の望みを考え、「相手のため」になることを提案する
  相手の思考を考え、相手の考えを変えられるように説得する

  相手の心を動かすためには、
  相手の身になって考えることが大切でしょう。
  その際に、相手の心(感情・望み・思考の3つ)を
  よく考えてみるといいのではないでしょうか。


  『人間を動かす二つのてこは、恐怖と利益である』                            
                                            ナポレオン

  『人を動かす唯一の方法は、その人の好むものを問題にし、
   それを手に入れる方法を教えてやることだ』 

                          
                                            D・カーネギー



  相手が不幸を回避する方法、もしくは、幸せを得る方法、
  つまり、相手のためになる方法を
  示唆してあげればいいのかもしれません。


  『人を動かすには模範を示すことが大切だ。
   というよりそれしかない』 
                 シュバイツァー

  『やってみせ、いって聞かせて、させてみて、
   褒めてやらねば人は動かじ』 
                          
                                         山本五十六


  自分にできもしないことを
   人にやらそうとするのは無理があるのでしょう。
  自分がいいお手本を見せ、
   相手をその気にさせることができたらいいのではないでしょうか。

  『深い思いやりから出る
   感謝のことばをふりまきながら日々を過ごす――
   これが、友をつくり、人を動かす妙諦である』 
                                                                   
                                         D・カーネギー

努力の上に辛抱という棒を立てる

「一念発起は誰でもする。
 実行、努力までならみんなする。
 一歩抜きん出るには
 努力の上の辛抱という棒を立てるんだよ。
 この棒に花が咲くんだ」

                            

≪今日の一日一言≫

かなしみは みんな書いてはならない
かなしみは みんな話してはならない
かなしみは わたしたちを強くする根
かなしみは わたしたちを支える幹
かなしみは わたしたちを美しくする花
かなしみは いつも枯らしてはならない
かなしみは いつも湛えなければならない
かなしみは いつも噛みしめていなくてはならない


                                           坂村 真民

今日10月14日は鉄道の日です。

『日本の鉄道の歴史』

明治2(1869)11.10 鉄道建設の廟議決定
(東京~京都間の幹線及び東京~横浜間、
京都~神戸間、琵琶湖畔~敦賀間の3支線の建設計画)

明治5(1872)10.14 我が国初の鉄道開通(新橋~横浜間:29km)

明治22(1889) 7. 1 東海道線(新橋~神戸間)全通

明治24(1891) 9. 1 東北線(上野~青森間)全通

明治28(1895) 2. 1 京都電気鉄道開業(電気鉄道の曙)

明治33(1900) 3.16 鉄道営業法公布(10.1施行)

明治39(1906) 3.31 鉄道国有法公布(4.20施行)、
            全国17の私鉄の約4,800kmを買収、
            その後、市街鉄道も東京を皮切りに市営化が進められる

大正14(1925)11. 1 山手線(神田~上野間)完成に伴い環状運転開始

昭和2(1927)12.30 我が国初の地下鉄開業(上野~浅草間:現在の銀座線)

昭和5(1930)10. 1 特急「燕」号、東京~神戸間で営業運転開始

昭和17(1942) 6.11 関門トンネル完成

昭和24(1949) 6. 1 日本国有鉄道法の施行により日本国有鉄道(JNR)設立

昭和39(1964)10. 1 東海道新幹線(東京~新大阪間)開業

(昭和39年度) 国鉄が初の赤字計上

昭和50(1975) 3.10 山陽新幹線(新大阪~博多間)全通

昭和57(1982) 6.23 東北新幹線(大宮~盛岡間)開業

昭和57(1982)11.15 上越新幹線(大宮~新潟間)開業

昭和60(1985) 3.14 東北・上越新幹線(上野~大宮間)開業

昭和62(1987) 4. 1 国鉄改革に伴いJRグループ誕生
           (旅客6社、貨物1社に分割民営化)
昭和63(1988) 3.13 青函トンネル(津軽海峡線)開業

昭和63(1988) 4.10 瀬戸大橋(本四備讃線)開業

平成3(1991) 6.20 東北・上越新幹線(東京~上野間)開業

平成3(1991) 9. 4 東北新幹線(盛岡~青森間)着工

平成3(1991) 9. 7 九州新幹線(八代~西鹿児島間)着工

平成3(1991) 9.17 北陸新幹線(軽井沢~長野間)着工

平成4(1992) 7. 1 山形新幹線(東京~福島~山形間)新在直通運転開始

平成4(1992) 8.27 北陸新幹線(西石動信号場~金沢間)着工

平成5(1993)10.13 北陸新幹線(糸魚川~魚津間)着工

平成5(1993)10.26 JR東日本株式上場

平成6(1994)10.14 第1回「鉄道の日」

平成7(1995) 1.17 阪神・淡路大震災

平成8(1996) 10.8 JR西日本株式上場

平成9(1997) 10.8 JR東海株式上場

平成11(1999) 8.2 JR東日本株式第2次売却

平成13(2001) 6.22 「旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に
             関する法律の一部を改正する法律」公布
             (JR東日本、JR東海、JR西日本純民間会社化)


          

松下村塾(しょうかそんじゅく)

萩城下の松本村(現在の萩市)に、
松陰の叔父である玉木文之進が
1842年(天保13年)に設立したのが松下村塾のはじまり。

松陰は1855年(安政2年)に、
実家である杉家に蟄居する事になり、
杉家の母屋を増築して、引き継ぐ形で松下村塾を主宰、
武士や町民など身分の隔てなく塾生を受け入れた。

松陰が塾生達の指導に当たったのは
僅か2年余りにしかすぎなかったが、
松陰の指導・薫陶を受けた松下村塾門下生達は
尊王攘夷を掲げて京都で活動した者や、
明治維新で新政府に関わる者など
幕末・明治において大きな活躍を果たす。

久坂玄瑞や高杉晋作、吉田稔麿など
倒幕運動の中で重要な役割を果たしながらも、
それ故に明治維新を前にして道半ばで斃れた者も多いが、
生き残った者は、伊藤博文、山県有朋の内閣総理大臣を筆頭に、
多数の国務大臣、大学の創業者など
近代日本に繋がる大きな役割を果たした。

塾生名簿は現存しないが、著名な門下生には
久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一、伊藤博文、山県有朋、
前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、飯田俊徳、渡辺蒿蔵、
松浦松洞、増野徳民、有吉熊次郎などがいる。

「吉田松陰」と「松下村塾」の名は門下生達の活躍により、
全国に轟き、現在まで語り継がれる歴史上稀に見る
奇跡の私塾となったといっても過言ではない。


学は、人たる所以を学ぶなり

『失敗を恐れない』

ずっと今までと同じことを続けていれば、
今までと同じものしか手に入れられない。

真の喜びは、積極的に関心を持ち、
ある程度の危険を冒したときにもたらされるのです。
そう、あなたはさらなる失敗体験をはじめるでしょう。
でもそれだけ成功する回数も増えるのです。

私にとって唯一の失敗とは
試みなかったこと、
夢を見なかったこと
挑戦しなかったことです。

真のリスクはリスクのない生活に潜んでいます。
今から20年後、あなたはしたことより
しなかったことにもっと失望しているでしょう。


                                  ロビン・シャーマ


≪今日の一日一言≫

一難去って
また一難
でも思えば
この難によって
念が鍛えられ
念の花が咲き
念の実が熟するのだ
信仰によって
難を乗り切る
念力を養ってゆこう
   

                                坂村 真民


恐れるな。恐れることは、恐れることを、引き寄せる。

とキリストが言った。

人間の心はその波長に合ったものを
引き寄せるようにできているらしい。
恐れは恐れを、
怒りは怒りを、
引きつける。

人を妬む心
奢り慢心する心は
それにふさわしい事象を引き寄せる。

逆もまた真なりである。
常に心を善意で満たしている人は
善意を引き寄せ
他人に親切に接している人には
親切が
他人に感謝している人には
感謝が
ブーメランのように返ってくるものである。



≪今日のことば≫

『世の中には幸福も不幸もない。
         ただ、考え方でどうにでもなるのだ』

                         シェークスピア

『幸不幸は、財産、地位、あるいは
   職業などによって決まるものではない。
   何を幸福と考え、また不幸として考えるか――
   その考え方が幸不幸の分かれ目なのである』  D・カーネギー


『運命は、我らを幸福にも不幸にもしない。
   ただその材料と種子とを提供するだけである』 モンテーニュ


『運命がレモンをくれたら、
   それでレモネードを作る努力をしよう』 D・カーネギー

一燈照隅・萬燈遍照

安岡正篤先生は、言われた。

天下国家をあれこれ論じるよりも
まず自分がいる場所を明るく照らせる人間に
という意味を込めて「一燈照隅・萬燈遍照」とおっしゃっています。
青年を相手に語られた先生の言葉に耳を傾けてみましょう。

おのおのがそれぞれ一燈となって、一隅を照らすこと。
この「一隅を照らす」は、
伝教大師がその著『山家学生式(さんげがくしょうしき)』のなかに、
提唱しておることです。

なんで片隅を照らすなどと、心細いことを言われたのか
ーーとよく考える人がある。
大光明を放つとでも言ってもらいたいところです。
しかし聞くだけなら愉快だが、
人間みずから大光明を放つことなど、
どうしてなかなか出来るものではない。

つまらない人間も「世界のため、人類のため」などと言います。
あれは寝言と変わらない。
寝言よりももっと悪い。
なにも内容がない。
自分自身のためにも、親兄弟のためにも、
ろくなことができない人間が、
どうして世界のために、人類のために、なんて大口きけるか。

それよりも、自分か居るその場を照らす。
これは絶対に必要なことで、また出来ることだ。
真実なことだ。片隅を照らす! 
この一燈が萬燈になると「萬燈遍照」になる。
こういう同志が十万、百万となれば、
優に日本の環境も変わりましょう。

賢は賢なりに、愚は愚なりに
一つのことを何十年と継続していけば
必ずものになるものだ。
別に偉い人になる必要はないではないか。
社会のどこにあっても、
その立場立場においてなくてはならぬ人になる。
その仕事を通じて世のため人のために貢献する。
そういう生き方を考えなくてはならない。


≪今日の一日一言≫

ただ一つの
花を咲かせ
そして終わる
この一年草の
一途さに触れて
生きよう

歴史を学ぶのではない、歴史に学ぶのだ

大切なことは、

歴史学ぶのではない、歴史学びたいものである




なぜ織田信長が天下統一を果たすことが出来たか。

 あなたはどう考えるだろう。
「信長は好奇心が強かった」
「西洋文化を採り入れた」
「地理的に恵まれていた」
「調略を用いた」
「能力主義の人事を行った」等々、
もちろん、すべて間違いではないが
究極の答えはこれである。

「兵農分離」


 それまで足軽と呼ばれる一般兵士は全て農民であった。
いざ戦(いくさ)となると粗末な鎧と槍、刀を
持って駆けつけるのである。
兵士の大部分が農民のため、
戦が出来る期間というのは決まっている。
農閑期である。
田植え、稲刈りの時期になると戦いを
止めて国へ帰らなければならない。
そうしなければ農作物が取れず、
国が滅んでしまう。
つまり、短期決戦しかできなかったのである。
武田信玄と上杉謙信が
何度も戦いながら決着が付かなかった
「川中島の戦い」という有名な話がある。
今では良きライバル談として
語られることが多いが、何のことは無い。
双方とも、とことん戦えない
物理的事情を抱えていたにすぎない。
彼らには雪という難敵もいた。

それに対して信長は戦う専門軍団を作った。
彼だけが長期戦を可能にした。
そうすることで「弱小」と有名だった
尾張の兵を最強軍団に変貌させた。
後に秀吉が「城攻めの名人」と言われるようになるが、
彼の得意とした兵糧攻めは長期戦が
可能であればこそ採用できる作戦である。
また、教科書にも載っている「刀狩り」は
兵農分離を全国的に行ったわけである。
(諸国の兵力削減を目的とする。)

つまり、信長だけが他の武将にない
「戦略」を持ったのである。
当時、戦術に関しては多くの指南書が流布され、
「優れた現場指揮官」は数多くいた。
真田幸村などはその代表であろう。
しかし、戦術だけでは天下は取れない。

もう一つ、信長が天下を取った大きな理由がある。

天下統一の野望(願望)を持っていたのは
信長ただ一人である。
武田信玄も上杉謙信も天下のことには興味がなかった。
ところが、信長が早くから天下統一の野望を
持っていた明確な証拠がある。
彼は岐阜に侵攻して
京都への道を確保することになるのだが、
この「岐阜」というのは信長の命名である。
中国の天子が岐山から直轄地へ号令を
発したという故事に倣っている。
それまでの地名は「井ノ口」と言い、
城も「稲葉城」であった。
岐阜と改名した信長は、
かの有名な「天下布武」の印を使用し始める。
(ちなみに秀吉は地名についても信長の真似をする。
最初に手に入れた領地「今浜」を「長浜」に改名し、
「をさか」「逢坂」と呼ばれていた地を「大坂」と命名する。)

なぜ信長が天下統一を果たしたか。
それは彼だけが「天下統一」という願望を持ち、
それを実現するための戦略を持ったからである。


≪今日の一日一言≫

いのちの根

なみだをこらえて
かなしみにたえるとき

ぐちをいわずに
くるしみにたえるとき

いいわけをしないで
だまって批判にたえるとき

いかりをおさえて
じっと屈辱にたえるとき

あなたの眼のいろが
ふかくなり
いのちの根が
ふかくなる


           相田みつを

発憤の「憤」の一字こそ学問向上の大本である。

  ・・・言志録5条・・・

★偉人伝の良さはこれからの日本を背負う子供たちに
「負けてなるものか」「ナニクソ」と発奮の材料を提供することである。
 発奮こそ志のエネルギーである。
★『論語』で「本当に力が足りないのだったら、一所懸命努力しても力及ばず、
       途中で力尽きてしまうはずだ。しかしお前の場合は、自分で自分を見限り
       おれは駄目だと最初から見限りをつけている。
       これでは目標が達成できるはずはない」
      「お前がお前を見限ったら、お前を作り出した天は
一体全体どうしたらいいのだ。
自分を見限ることは天を拒否することだよ。」
☆画る(かぎる)とは・・・・・・
  自分で線を引いてこれ以上進めないと限定してしまうことを意味する


人間を駄目にするのにこれ以上の有効な方法はない。
                                     

「八百長」の語源

八百長は、明治時代の八百屋の店主「長兵衛に由来するといわれる。
八百屋の長兵衛は通称を「八百長(やおちょう)」といい、
大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫と囲碁仲間であった。
囲碁の実力は長兵衛が勝っていたが、
八百屋の商品を買ってもらう商売上の打算から、
わざと負けたりして伊勢ノ海五太夫のご機嫌をとっていた。

ところがその後、回向院近くの碁会所開きの来賓として招かれていた
本因坊秀元と互角の勝負をしたため、
周囲に長兵衛の本当の実力が知れわたり、
以来、真剣に争っているように見せながら、
事前に示し合わせた通りに勝負をつけることを
八百長と呼ばれるようになった。


対義語は「ガチンコ」。

なお、事前の示し合わせがなく、
プレーの態度でそれとなく為される“談合”は八百長ではない。





今日の一日一言


人生は情熱を
いかに実行するかですよね。

  遊びでも仕事でも
命懸けじゃないといけないと思うし、
手を抜くとか適当とか、
私の人生にはあり得ないです。


           中丸三千繪(オペラ歌手)


情熱をまず行動に移す。
そして自分で決断したら、妥協は絶対に許さない。
必ず結果を得るために、努力を突き抜けた努力をする。
中丸さんの人生は、まさにそれを体現したものです。
だからこそ、適当などありえないと言い切る
この言葉が放つ本物の力強さと輝きに、
自分に甘い私は惹かれ、またショックを受けました。

人は仕事で、家庭で、またその他の場で、
様々な役割を担っています。
自分は自分の役割を一所懸命やっている。
その心と姿勢は当人にとっては嘘ではないと思います。
しかし、その深さと持続は人によって大きな違いがあり、
それはそのまま、その人の人間力の深み、人生の深みに
直結して行くのではないでしょうか。

同じ力のかけ方を、「よくやっている」と思うか、
「こんなものではない。自分はまだ甘い」と思うか。
自分の限界を決めているのは、他ならぬ自分です。

人生は己の心次第なのだということを気付かされます。
人生は自分が選択し、そしてどう行動したかの積み重ねです。

「この山のようにたぶん世界は広いから、
 これから私の知らないものが
 たくさん押し寄せてくるだろう。

 しかし、私は勇気をもってそれに立ち向かい、
 絶対に自分から『ノー』を言わない人間になろうと、
 その時決意したのです」

大学1年の夏休みに、アイガーの北壁を目の前にした
中丸さんの決意です。

“才”

“才”という字は名詞では働き・能力の意だが、
副詞だと“わずかに”という意味になる。

能力というものは非常に大事なものだが、
それだけではわずかなものにすぎない。
“才”の大事さを充分に知りつつ、
わずかにと訓(よ)ませることは大変なことだ。
昔の人の識見の高さをみることができる。



今日の名言


百遍倒れたら百遍立ち上がれ。

万策尽きたと言うな。

策は必ずある。

              松下 幸之助

メビウスV

kibi4
10月1日、吉備学習システム販売会社(本社 岡山市  川上社長)が
待望の新モデルのスーパー学習メビウスVを発売開始しました。


ユーザーの声に応える新機能を紹介しますと

①発見問題の作成では、問題をプレビューで見ながら
  作成できるようになっています。
  また、複数の作業を同時に行えるようになり、
  問題を作成中に採点したり学習カルテを
  出したりなどが同時にできるようになっています。
  
②パック問題の保存

  パックの管理が簡単になりました。
  従来はパックを登録するところが3つしかありませんでしたが、
  パック登録するフォルダが自由に作成できるようになったので
  あらゆる種類のテストや生徒さんのレベルに分けて、
  分類、保存できるようになったので
  作業時間が大幅に短縮できます。
  また、パック問題から問題を作成して印刷すると、
  問題用紙にバーコードがついているので、
  そのバーコードを読み込ませれば
  問題を解いた後からでも採点できるようになっています。
  ゆえに、事前にどの生徒さんに印刷するかを考えなくてもよくなり、
  また、問題冊子にもしやすくなっています。
  これで毎日パック問題を更新することが容易になりました。

③成績管理表が5教科まとめて印刷できるようになり、
  生徒さんの弱点が見やすくなっています。


今日の名言



めぐりあい

人生は深い縁(えにし)の不思議な出会いだ
大いなる一人のひととのめぐりあいが
わたしをすっかり変えてしまった
暗いものが明るいものとなり
信ぜられなかったものが信ぜられるようになり
何もかもがわたしに呼びかけ
わたしとのつながりを持つ親しい存在となった
めぐりあいのふしぎに手をあわせよう

                         by 坂村 真民



菜根譚前集71項 弁舌が爽やかであるよりも実践において勇敢でありたい

言っている事の90%が正しいからと言って、
必ずしも優れた人間とは言えず、
誤った10%の不備に非難が集まることがある。
戦略の90%が達成できたからと言って、
必ずしも大きな功績があるとは言えず、
10%の未達に誹謗中傷が集まる。
これが、上に立つ者は雄弁よりは寡黙で、
如才ないより気が利かない方が良いという理由である。
つまり完全がないからと言って、
ほぼ完全で満足していれば、粗探しされるので、
賢明な指導者は、そこそこが良いということ。
言い換えれば、活人は100点を目指して、
95点で嘆くより、100点を目指して80点で満足し、
次の機会に120点を目指すようにしたい。

一と積

「一」という字「積」という字は、
とりわけ畏れなくてはいけない。
善や悪の兆しというのも
最初の一念にあり、
善や悪が固まるのも、
その一念が積み重なった後の
結果としてそうなるものである。


                                      言志後録38条

永久不変の真理

第一は
「人は必ず死ぬ」ということです。
いま生きている人のうちで50年後も生きている人は
半分くらいいるでしょう。
しかし、100年後も生きている人はきっと一人も
いないでしょう。

第二は、「自分の人生は自分しか生きられない」
小さな子が病気になって苦しんでいる時、
親は自分が代わってやりたいと思いますが、
代わることはできません。
その人の人生はその人以外に生きることはできないのです。

第三は「人生は一回限りである」ということ。
人生にリハーサルはない、ということです。

そして、最後に、この悠久の宇宙において、
あなたという存在はたった一人しかいない、
過去にも、未来にも、
あなたと同じ人間は生まれていないし、今後も生まれてこない。
あなたも私も広大無辺の時空の中で、
たった一人の、たった一回の命をいま生きているのだ、
ということです。

これほど不思議なことがあるだろうか。
そう問いかけました。

皆さんがこの私の話をどう受け止めたかは知りませんが、
実はこれは大変なことです。

私たちがいまここに生きているということは
まさに奇跡中の奇跡としかいいようがありません。


「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」
お釈迦さんは生まれてすぐに、すっくと立って歩を進め、
天と地を指さして、この言葉を発したといいます。
お釈迦さんはこの天地、天上天下に自分ほどすぐれた者はいない、
ということを宣言したのでしょうか。

そうではないと思います。
あらゆる命はこの天上天下の中でたった一つしかない、
それほどかけがえのない、尊い命なのだということを
私たち衆生に示されたのだと思います。

今日のニュース


理科教師の75%「自腹切った」=実験用備品が不足-公立中調査・教育政策研など

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/education/?1223104320

経済

「経済」という言葉は「経世済民」


つまり「世の中を経め民を済う」という
孔子の言葉から出たと言われています。

「経」・・・物事の大筋を立てておさめること、管理すること
「済」・・・世の中を調整し、人民の凸凹をなくすこと

つまり、人々の全体を思いやり、その生活を救う
これが「経済」の意味です。


また孔子は
「君子は、まず徳を慎む。徳あれば、これに人あり。
 徳は本なり、財は末なり。」
と説いています。
まず、思いやりの心を持つべきだ。
そうしたら、人々は信頼し、あとからついてくる。
したがって、徳こそ本であって、
カネやモノはひとつの結果にしかすぎない。
と説いています。

責任

責任はとるべきものではない。
果たすべきものだ。


その手段として権限が与えられる。
権限は他人に委任できるが、責任を免れることはできない。
決して他人に転嫁できない。
だからこそ人の上に立つ者の職責は重く尊い。

前首相や前大臣は免職されたのではない。
自ら職責を放棄したのだ。
敵前逃亡に等しい。
霞が関を背にして指弾する。
上司として尊敬に値しない。
文字通り「責任者不在」の政治である。


今日の名言


根を養えば

樹はおのずから育つ



東井義雄


人間はどんな境遇にあっても
その根を、その心を養っていけば、
かならず改善、成長、発展できるのだよ、と
賛歌のように響いてきます。

与えられた場所で、
精一杯の花を咲かせている植物のように
いま、ここにある環境を生かし切ることの大切さに、
感謝します。

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プロフィール

矢野 一成

Author:矢野 一成
愛媛県新居浜市 アール塾塾長

備忘録、すなわち
忘れたときのために備えて、
書きとめておく、
個人的な雑記帳です。

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