日本一アツイ教育を実践する男が語るBLOG

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学校では教えてくれない、神社参拝の作法

1.入口の鳥居をくぐる前に会釈をし、気持ちを引き締めてから境内に入ります。

2.手水舎の水で心身を清めます。このことを「手水をとる」といいます。


手水をとる作法

(1) 右手で柄杓(ひしゃく)を持ち、
  水を汲んで左手にかけ左手を清めます。

(2) 次に柄杓を左手に持ち替えて、同じように右手を清めます。

(3) 再び柄杓を右手に持ち、
  左の手のひらに水を受けて口をすすぎます。

(4) 口をすすぎ終えたら、もう一度水を左手に流します。

(5) 最後に水の入った柄杓を立て、
  柄に水を流してから伏せて置きます。



3.参道を通ってご神前へ進みます。

4.賽銭箱の前に立ったら会釈をし、神さまに捧げる真心のしるしとして、
  賽銭箱にお賽銭を入れます。

5.二拝二拍手一拝の作法で拝礼し、会釈をしてから退きます。


二拝二拍手一拝

1.まず神前の少し手前に立ち、軽く会釈(小揖=しょうゆう15度)、
  次に少し進んで神前に立ち(出来れば真ん中を少しよける)、
  続いて深いお辞儀(深揖=しんゆう45度)
  この後鈴を鳴らしたり、お賽銭を納めたりする。
   
2.次に2回深くお辞儀(二拝=にはい90度)をする。
  この場合直立した姿勢から連続動作でゆっくり2回繰り返す。 
  この時、手は指をつけたまま腿から膝、膝から腿へと、
  上体の傾きにあわせ、自然にずらして行く。

3、直立の姿勢にもどり、両手は5本の指を付けたまま、
  胸の高さで合掌(てのひらをあわせる)し、
  右手のひらを左手のひらより約1関節下にずらす。
  次に、両手を肩幅に開き、ポン、ポンと二回続けて打ち鳴らす。(二拍手)

4、手を打ち鳴らした後、そのまま合掌した状態で、お祈りをする。

5、手を腿の位置に戻し、もう一度一番深いお辞儀(拝=はい)をする。

6、次に深いお辞儀(深揖45度)をし、3歩ほど後ずさりし、
  軽い会釈(小揖15度)をし、内回り(神前の真ん中より左にいる場合、
  右回転、右にいる場合、左回転)に回って、神前を後にする。
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「本榊(ほんさかき)」と(ひさかき)

一般に榊(さかき)といわれているものには、
実は2種類のものがございます。

近縁種「ヒサカキ」とは、また異なる美 しさと格式があります。
しかし、榊(さかき)が育成しない地域(主に東日本)では、
「ひさかき」という種類の植物を「本榊(ほんさかき)」の
代用として利用してこられました。
「ひさかき」といわれる由来は、
榊にあらず(非榊)とも云われていますし、
本榊(ほんさかき)よりも葉っぱの大きさが小さいので、
姫榊(ひさかき)といわれるなど、諸説あります。

では「ひさかき」では問題なのか、
というとそういうわけではございません。
特に関東以北では、
ひさかきを一般的にお供えしている方は
多くいらっしゃいます。


本榊(ほんさかき)はひさかきに比べ葉が大きい伝統の樹木。


本榊

ひさかきは本榊(ほんさかき)に比べ葉が小さく、
葉の周りがギザギザしているのが特徴。
葉っぱの大きさが小さいことから、
姫榊(ひさかき)といわれなど、諸説あります。



ひさかき

竹内文書(たけのうちもんじょ)

竹内文書は人類の「創世記」である

 竹内文書は茨城県磯原(北茨城市)の皇祖皇大神宮天津(あまつ)教の
官長職竹内家に代々伝えられたという神代史関係資料である。
そこには元始神の宇宙創成、神々の地球光臨、人種・文明の発生が
年代誌的に記されている。

竹内文書によれば私たち人類は過去二度にわたって
《上古25代、不合(フキアエズ)朝73代》高度の文明を
建設してきたことになっている。
そしてムー、アトランティスの沈没をもたらした
大異変(1万2千年前?)によって崩壊した。
現在《神倭(カンヤマト)期》はいわば第三次文明の段階にあたっている。
 
それだけに竹内文書の登場人物は実に多彩だ。
キリスト教の創造神エホバも、
人間の祖先とされるアダム=イブも出てくる。
中国神話の元始神である盤古神も欠かせない登場人物である。
もちろん、記紀の元始神である天之御中主神も国常立尊(クニトコタチノミコト)も出てくるが、
これらの神々は(天照大神もそうだが)いずれも竹内文書によると主神とされてはいない。
また、記紀に出てこない神々の名やその活躍も多く記されている。
ということからみれば、
この竹内文書はきわめてスケールが大きく単に日本一国のみの「創世記」でなく、
人類の「創世記」であるといえよう。つまり、記紀とは全く異質の神話体系ともいえる。

■ 竹内文書は「古事記以前の書」である
 
 竹内文書はもともと神代文字(シンダイモジ)で記されていたが、
第25代武烈天皇の勅命により、5世紀後半に竹内宿禰(タケノウチスクネ)の孫、
平群真鳥(ヘグリノマトリ)が漢字仮名混じり文に書き写したものといわれる。
したがって第43代元明天皇の代(712年)に成立した
日本最古の史書とされる古事記よりはるか以前に成立した書ということになる。
 
もちろん、このように古い文書であるから、
現在、竹内家に保管されている「原本」にしたところで、
古代以来いくどとなくコピーされた写本であることは間違いない。
戦前その一部が公開されたとき、
文書のうち何枚かが学者や専門家によって鑑定されたことがあった。
その結果、用紙、記述された文体などから近世以降のものと判断された。
しかし、古事記とて現在の最古の写本(善福寺本)は南北朝時代のものである。
したがって、写本の時期自体は偽書であることの証拠にはならない(問題はその内容である)。
 
なお、現在の保管者である竹内義宮氏は竹内宿禰67代の孫と称されている。

■ 竹内文書は「禁断の書」である

 竹内文書は、戦前その一部が公開されたとき、
その内容に当時の最大タブーだった皇室の出自(天皇家の祖先)に触れている部分や、
古代における日本とユダヤとの深い交流を示す箇所があった。
このことから(特に国民信仰の中心とされていた伊勢の皇大神宮にまつわる記述)、
公開者の竹内巨麿(タケノウチキヨマロ)《義宮氏の父》は当局ににらまれ、
昭和12年『不敬罪』で起訴され、天津教は解散させられた。
 
巨麿の起訴と天津教の解散とほぼ同時に、
竹内文書自体も、当時の碩学と謳われた加野亨吉j博士によって徹底的に批判され、
学問的に偽書、偽作と断定された。
以来、竹内文書は歴史家にとって、単に異端の書であるだけでなく『禁断の書』となった。
現在、古代史・国語学者でこの文書の存在を知らないものは無いといわれているにも拘らず、
いずれも「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿主義をとっているようだ。

■竹内文書は「日本人の存在証明(アイデンティティ)」のルーツである

現代に生きるわれわれ日本人の「日本人の存在証明(アイデンティティ)」の追求は、
日本列島と世界との係わり合いの歴史を無視しては成り立たない。
ひとくちに我々は、単一民族(日本民族)とはいうものの、
厳密にはそれぞれルーツを異にする複数民族を祖先に持っている。
それ故この民族統合の精神的な基盤(バックボーン)となるべき宗教的な信仰に於いては、
キリスト教や回教国の一神教の人々からみるとかなり異色である。
 たとえばわれわれの身辺から見ても、
神道・仏教・キリスト教と実にバラエティに富んでいる。
生後30日目や七・五・三のお宮参り(神道)。
結婚式は教会(キリスト教)で挙げ、葬式はお坊さんにお経をあげてもらう(仏教)。
あるいは上棟式は神主さんに御祓いをしてもらい、元旦には神社に詣でる(神道)。
盆踊りに興じ(仏教)、お祭りでワッショイと騒ぎ(神道)、
クリスマス(キリスト教)にはケーキを食べる。
 
平均的な日本人はこれらの神・仏・キリストが混淆する
歳時記的な行事になんら違和感を抱かず、
ごく自然に溶け込み慣れ親しんでいる。
このことは確かに欧米人にとって理解しがたいであろう。
 
日本人のこの雑多な宗教的感覚のルーツは太古代に求めるほかはあるまい。
これは「万教帰一」、「万教同根」という原始神道に根を発しているのである。
竹内文書を貫く一本の線がこの原始神道的な世界観なのである。

■竹内文書は「天皇制の謎」を解くカギである

 我々が『日本人である証』の一つに、『内なる天皇制』という厄介な問題がある。
近代合理主義や物質主義が骨の髄まで染み込んでしまった現代人である我々も
「天皇制」を捨てきれずにいる。むろん『万世一系の天皇』という不合理な観念は、
史実を逐一検証することでその虚構性を暴くことはさほど困難ではない。
「源氏物語」をちょっと読むだけでも、そのことはすぐわかる。
たとえば、光源氏と藤壺の女御の間に生れた子が桐壺の帝の息子として即位する(冷泉院)。
 
といっても天皇へのこだわり(コンプレックスと言い換えても良い)をそう簡単には払拭できない。
かつて日本列島を事実上支配していた最高権力者たちもそうであった。
古代では蘇我氏を頂点とする古代豪族たち。
中世では藤原一族、平清盛、源頼朝、足利義満。
近世を開いた織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。
いずれもその時代に権勢をほしいままにしていた人達である彼らですら、
天皇制を廃することにためらい、あるいはしようとしても出来なかった。
日本人ではないが、戦後の占領軍のマッカーサー元帥も天皇制を温存せざるをえなかった。
 
竹内文書は、天皇の系統を神武天皇よりはるか以前にさかのぼって記述している。
われわれは竹内文書の行間から天皇制成立の裏の事情をかいまみることが出来る。
そしてそれを知ることによっていわゆる天皇制コンプレックスの呪縛を解き放つ
ヒントをつかめると思えるのである。

■ 竹内文書は「日本の正当な支配者」がだれであるかを示唆する
 
竹内文書には、神倭(カンヤマト)朝《神武天皇》以前に、
上古25代、不合(フキアエズ)朝73代にわたって支配していた王朝の存在が記述されている。
このことは神武朝とそれ以前の皇統の系譜は、別種のものであったらしいことを暗示している。
 
また神倭朝の支配の正統性に疑惑を抱き、
いわゆる天皇コンプレックスを全く持たず2千年近くにわたり、
神倭朝に抵抗してきた人々の存在を私は探り出すことが出来た。
 
この一群の人々の抵抗は、彼ら自身の平和愛好性からか、武力抗争という形をとらなかった。
当然ながら体制派は彼らの存在を認めたがらなかった。
この結果、彼らの行動の記録は、歴史や政治史の中でほとんどといっていいほど欠落している。
しかし、公認の文書から抹殺された彼らこそ日本列島の正統な支配者ではなかっただろうか。
少なくとも彼らが支配権保持有資格者であることだけは間違いないようである。
ちょうどアイヌ人が北海道の正統な支配権保持有資格者であるように。
 
つまり竹内文書は、現在日本が抱えているいくつかの
深刻な問題の因って来るべき原因を記しているのである。
たとえば文化的・経済的地域落差や、依然として残っている
被圧迫者グループに対する偏見(差別意識や拒否反応)の源泉が、
神倭朝の日本列島支配のプロセスの中に見られるわけである。

■ 竹内文書は「古代文化大革命」の存在を伝える

現代の日本の最大の文化的問題の一つに『漢字』の問題がある。
戦後十数回にわたって開かれた国語審議会の答申をめぐっての
カンカンガクガクの論議がその都度国民の間に起きてきたことはご承知の通りである。
 
竹内文書は、この問題の起源を日本に漢字が導入された『古代』にさかのぼって求める。
すなわち簡単な神代文字を捨てさせ、難解な漢字を強制することによって、
国民の知的レベルを低下させ、と同時に情報統制を図ろうとした勢力がいた。
そして彼らの企図が成功したことを文書は伝えている。
これが竹内巨麿氏らが言う「漢字(反?)革命」である。
 
だが(反)革命が成功するには、それなりの反対給付を民衆に提供しなければならない。
そこで考えられるのは、(反)革命推進派が高い生産性を持つ
農業技術を武器として漢字(反)革命が遂行されたことを示唆している。
そして、漢字(反)革命は、記紀による日本古代史の書き換えと律令体制への
移行によって完結する私は神倭朝の日本列島支配の正統性を確立した
古代におけるこれら一連の動きを「弥生文化代(反)革命」としてとらえてみた。

                          佐治芳彦 著  「謎の竹内文書 まえがき」による

何のために、勉強するのか?

「勉強」自体は、したいことではないかもしれません。
 でも、何か望みや目的があるから、勉強するのでしょう。

  勉強の目的がはっきりしていたほうが、
   やる気も出るし、身につくでしょう。
  その目的が自分にとって魅力的であるほど、
   意欲が持続するでしょう。

  自分が幸せになれる目的をもち、
   それを強く望む工夫をしながら、
   勉強を続けられたらいいのではないでしょうか。



『書を読むの際は、生きた人生に連想が及ぶことが必要だ。
   それを頭がひらめくと云う。
   学問が身についてきた証拠だ』          安岡正篤


『食欲なくして食べることが健康に害あるごとく、
          欲望をともわぬ勉強は記憶をそこない、
          記憶したことを保存しない』

                           レオナルド・ダ・ビンチ

『読書して考えないのは、
   食事をして消化しないのと同じである』      エドマンド・バーク


『読書は単に知識の材料を提供するだけである。
   それを自分のものにするには思索の力である』   ロック  


『読んだものを自分のものにするには、
   まず読みながら考え、
   読み終えてからも考えることである』       ジョン・トッド


『自分の中に取り組むべきテーマを
   なにももっていない人間は、いくら本を読んでも、
   何一つ新しい発見をすることができない』     中谷彰宏

天照大神

古代日本人は太陽神そのものを信仰するほかに
「日の神」に民族の祖神というイメージを重ねて祀った。
そうした二重の性格を備えた神が天照大神である。
 天照大神についての神話としては、
「天岩戸隠れ」が有名である。
天照大神が岩戸に隠れたために、
世の中は光を失い、悪霊が満ち、災いが起こる。
このことは日照時間が減ることによる不作、
あらゆる生命の衰弱、そのことによる
飢饉、餓死、疫病などを指しているのだろう。
さらに「太陽が隠れる」ことには、
古代の人々は冬至の頃とイメージを重ねていたようだ。
その時期には、人々は太陽の再生を願って神祭りを行った。
これは太陽の”死と再生”の儀式でもあった。
「天岩戸隠れ」には、こうした農耕儀礼が反映されている。
このことから、天照大神は大地の豊穣性を
体現する母なる女神ともいえる。

一方、この神には男性的な側面もある。
これを象徴するのが、
神話の中で天照大神が勇ましく武装する場面だ。
地上で乱暴狼藉を働いていた素盞鳴尊が
高天原を訪ねてきたとき、
彼女は「高天原の支配権を奪いにきたのでは」と
警戒してすぐさま武装した。
まず髪を角髪(みずら)という男性のものに結い直し、
手や髪それぞれに五百もの勾玉を糸に通した飾りを巻き、
さらに千本の矢が入る靭(ゆぎ)を背負い、
五百本の矢が入る靭を腹に抱え、大変な強弓を手にした。
そのように武装すると、
四股を踏むように両足を大地にめり込ませ、
素盞鳴尊を威嚇したのである。
弓矢というのは、古来軍事力を象徴する道具であった。
そういった武具をフル装備する天照大神は、
軍事を象徴する神でもあったといえるだろう。
軍事とは国土を守るための力である。
天照大神が皇祖神として崇敬されるようになった背景には、
そうしたパワーへの強い信仰があったとされている。
 
以上のように、天照大神は、
太陽の女神としての大地母神的な性格と、
武力・軍事力に象徴される男性的なパワーを兼ね備えている。
それがあまたの男性神を押しのけて、
実力ナンバーワンの日本の最高神として
君臨している理由なのである。

言霊

真理は一つ

  by 山科 誠(バンダイ社長)  

霜に打たれた柿の味、辛苦に耐えた人の味

  by 浅野喜起(経営コンサルタント)  

一事徹底

  by 黒田_之助(コクヨ会長)  

真剣に打ち込んでいると、いろんなものが見えてくる

  by 志太 勤(シダックスグループ代表)  

倦むことなかれ 

  by 孔子  

わくわくしていると天がついてくる

  by 竹田和平(竹田製菓会長)  

やさしさこそが大切で 悲しさこそが美しい

  by 向野幾世(奈良大学講師) 

「甘え」「うぬぼれ」「奢り」「マンネリ」——心の病気


  by 高原慶一朗(ユニ・チャーム社長)  

親孝行は人間の精神を感奮興起させる原動力

  by 安岡正泰(郷学研修所・安岡正篤記念館理事長)  

情報とは付き合っている人間の数

  by 上村圭一(大和ハウス工業会長)  

明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは 

  by 親鸞 

感謝する技術

  『感謝する技術とは、
   あなたの感謝の気持ちに手や腕や脚をつけ、
   声を加えることで感謝することである。

   感謝する技術とは、
   他人も幸福にしようと努力することで
   自分の幸福を感謝することである』 


W・A・ピーターソン

  『感謝の心が高まれば高まるほど、
   それに正比例して幸福感が高まっていく』 


松下幸之助


  『深い思いやりから出る
   感謝の言葉をふりまきながら日々を過ごす――
   これが、友をつくり、人を動かす妙諦である』 


デール・カーネギー

   『〈おかげさん〉でないものは、この世に一ツもありません。
   みんな〈おかげさん〉で成り立っているんです』 


相田みつを


  『「ありがとう」これをもっと素直に言い合おう』 

松下幸之助

    心から感謝できると、幸せな気もちになれます
     「ありがたいなぁ」「おかげさまで」
    感謝の言葉を聞いた人も、幸せな気もちになれるでしょう。

  感謝の気もちがあっても、言動に表さなければ、伝わらないでしょう。
  感謝の気もちを、相手に伝えることが大事なのでしょう。

  感謝(の気もち)を伝えられた人はうれしいはずです
  相手が喜んでくれれば、感謝した人もうれしいでしょう

  感謝できることは、誰にでもたくさんあるはずです。
  感謝を、(心の中で)言葉に表せば、
   幸せな気もちとともに、感謝の気もちがふくらみます。
  感謝の気もちを人に伝え、相手を幸せにすることができれば、
   自分も幸せな気もちになれるでしょう。

  感謝することは、誰にでも実践可能な、
   幸せになる技術(方法)の一つではないでしょうか。

「徳」は何によって生まれるか

商売は、賢愚の差より熱意の差。
  その熱意は魂の力、
  徳の力で生まれてきます。

  恩返しが上手な人ほど、
  魂が強くなって徳の力が強くなる。
  そして一番の恩返しが、やはり親孝行です。


日比孝吉(めいらくグループ代表兼CEO

成功する人間と失敗する人間

成功する人間と失敗する人間とは、
どこが違うと思いますか?

まずは心構えから違って来ます!

昔から自分は、何のとりえもないダメな人間だと思っているだけで、
無意識に少しずつそんな人間になってしまうのです。

自分をダメだとか鈍いとかバカだとか絶対に思ってはいけません!

多くの勉強が苦手な人は、
「自分は勉強が出来るはずはない!」と
自分の脳内のコンピューターにインプットしてしまっているのです。

受験生や大手の面接を受ける時にもマイナス思考の人は、
「自分は国立大学は絶対に無理だ!」
「あの大手の企業は敷居が高すぎて自分には絶対に無理だ!」と
心の中で決定しているのです。

マイナスな事を決定した時点で終了です。

プラス思考の人は、「国立大学なんて簡単だよ。みんな一緒さ!」と、
ほんの遊びの延長みたいな気持ちで、
心の底から簡単と決定しているのです。

世間一般の多くの人は、
物事を難しく考え、自ら難しくしているのです。
・・・・・・全部が全部じゃありませんが、
そういった人を「成功しない人」と呼びます。

つまり、「成功する人」は、
何でも難しく考えずに簡単にしてしまう人なのです。

要は単純なのです!

心の底には「難しい」の辞書が全くなく、
何でも簡単に思ってしまう人なのです。

そして「自分は成功するのがいつも当たり前なのだ!」と
自分の脳内のコンピュータにインプットしている人なのです。

成功する人の多くはイメージの達人です!
簡単にイメージング出来る人です!

憂うべき三つのこと

子(し)曰(のたま)わく、
古者(いにしえ)、民(たみ)に三(さん)疾(しつ)有(あ)り。
今(いま)や或(あるい)は是(こ)れ亡(な)きなり。
古(いにしえ)の狂(きょう)や肆(し)、
今(いま)の狂(きょう)や蕩(とう)。
古(いにしえ)の矜(きょう)や廉(れん)、
今(いま)の矜(きょう)や忿戻(ふんれい)。
古(いにしえ)の愚(ぐ)や直(ちょく)、
今(いま)の愚(ぐ)や詐(さ)のみ。

【訳】先師が言われた。

「昔は、民に憂うべき三つのことがあったが、
今はどうやらそれさえなくなった。
昔の狂(志が大きくて足元を見ないこと)は
肆(大まかでこせこせしないこと)であったが、
今の狂は蕩(気まま放題すること)。
昔の矜(自分を固く守ること)は
廉(節目を正して潔いこと)であったが、
今の矜は忿戻(怒って争うこと)。
昔の愚(おろかなこと)は直であったが、
今の愚は詐(ごまかし)ばかりだ」


(論語 陽貨第十七)

海 老

海老(えび)は永遠の若さを象徴しているというので、
めでたいものとされる。
というのは、あれは生ける限り何時(いつ)までも殻を脱(ぬ)ぎ、
固まらない。
ことに万物がぼつぼつ固くなる秋に、
彼は殻を脱する。

生ける限りよく殻を脱いで固まらぬ、
いつまでも若さを失わない、
よく変化していくという意味で、海老はめでたい。
 
自己の殻、学問の殻、仕事の殻、会社に入れば会社の殻、
役所に入れば役人の殻から、
なかなか脱けられぬものであります。
これが脱けきらぬと、人間が固まってしまう。


安岡 正篤

高杉晋作と野村望東尼(もとに)

夫の死後、それまで静かだった山荘は
勤王の志士たちの隠れ家として、
歴史の一舞台となっていく。
望東尼は親子ほども年の離れた若者たちと
和歌を詠むことで心を通わせあった。
京都で知り合った福岡藩御用達の
馬場文英とは手紙で情報を交換し合い、
彼から届いた京都の情勢を綴った密書は
ただちに志士たちに回覧された。
また、上京する志士を文英に紹介し、
宿の世話をしてもらったりもした。
山荘を訪れた志士たちの熱き思いに触れる時、
望東尼は彼らが互いの志を一本にして
日本を揺り動す原動力になってほしいと願うのだった。

もののふの大和心をよりあわせただひとすじの大綱にせよ

(諸国の武士たちの大和心をより合わせて一本の大綱にせよ)


長州の高杉晋作が、福岡に亡命してきたのは、
元冶元年(1864)11月のこと。
晋作は長州藩の内部抗争の末、
藩の実権を握った反対勢力である俗論党から身を守るため、
福岡藩志中村円太らの計らいで、
10日間余り平尾山荘に潜伏することとなった。

冬ふかき雪のうちなる梅の花埋もれながらも香やは隠るる
(冬の最中の雪の中にある梅の花は雪に埋れると香りは隠れるのであろうか、いや決して隠れはしない)



望東尼は晋作を梅の花にたとえ、
雪が花を覆ったとしてもその香が隠れることはない、
つまり、晋作がただならぬ人物であることを見抜いていた。
そして、晋作が再起することを強く願うのだった。
間もなく晋作は、長州藩内の事態の推移を
もはや黙ってみていることが出来ず、
再挙を図るため危険を覚悟して藩に戻っていった。
その時、望東尼は晋作のために着物を縫って与えた。
      
まごころをつくしのきぬは国の為たちかえるべき衣手にせよ
(真心を尽くして筑紫で縫った着物は国の為に戻って行く時の袖にしなさい)


長州に戻った晋作から御礼の手紙が望東尼のもとへ届けられた。
そこには、常に死を賭して行動しているので、
もはやこの世であうことはないであろうが、
来世でお礼をしたいと書かれていた。
しかし、その2年後には、獄中の望東尼を救出するという形で、
晋作は望東尼への恩返しをはたすことになる。

大宝律令(たいほうりつりょう)

大宝律令(たいほうりつりょう)は、
8世紀初頭に制定された日本の律令である。
唐の永徽律令(えいきりつれい、651年制定)を
参考にしたと考えられている。
大宝律令は、日本史上初めて律と令がそろって
成立した本格的な律令である。
律は刑罰法令、令は律以外の法令(主に行政法)に相当する。

律令の基本思想は、儒家と法家の思想である。
儒家の徳治主義に対して、
法家は法律を万能とする法治主義である。
古代中国には、国家や社会秩序を維持する規範として、
礼、楽、刑(法)、兵(軍事)があった。
儒家は礼・楽を、法家は刑・兵を重んじた。
刑の成文法として律が発達し、
令はその補完的規範であった。
次第に令の重要性が増して、
律から独立し行政法的なものになった。

大宝律令に至る律令編纂の起源は681年まで遡る。
同年、天武天皇により律令制定を命ずる詔が発令され、
天武没後の689年(持統3年6月)に
飛鳥浄御原令が頒布・制定された。
ただし、この令は先駆的な律令法であり、
律を伴っておらず、
また日本の国情に適合しない部分も多くあった。

その後も律令編纂の作業が続けられ、
特に日本の国情へいかに適合させるかが
大きな課題とされていた。
そして、700年(文武4年)に令がほぼ完成し、
残った律の条文作成が行われ、701年(大宝元年8月3日)、
大宝律令として完成した。

律令選定に携わったのは、
刑部親王・藤原不比等・粟田眞人・下毛野古麻呂らである。

濡れ落ち葉

濡れ落ち葉とは定年退職後の夫のことで、
仕事人間だった夫が家では
邪魔な存在であることを表現した言葉である。

濡れ落ち葉という比喩が出てくるまでは
『粗大ゴミ』などと表現されていたが、
それに比べると若干キレイな
(遠まわしな)言い方なので好まれているようである。

定年後の夫がなぜ濡れ落ち葉なのか?
これは妻が出かけようとすると「わしもついて行く」と言い、
どこにでもついてくる様が払っても払っても
なかなか落ちない濡れた落ち葉に似ているからで、

ある主婦がしたこの発言を評論家の樋口恵子が聞き紹介。
それが広がる中で濡れ落ち葉という言葉で定着した。


よろこび  

ひとりのよろこびは
みんなで 大きくして よろこび
ひとりのかなしみは
みんなで わけあって
小さくして 背負いあおう


東井 義雄

文字の力は大きい。

映像や画像の力も大きいけれど
 文字はその人の想像力をつかって
 どんどん膨らますことができる。

 自分の気持ちを
 文字にして伝える。

 そこには
 国語の力も必要はないし
 きれいな日本語も必要ない。

 あなたの想いが
 文字になる時
 人は心が動く。




● 相田みつを

どうもがいてもだめなときがある。
手を合わせるしか方法がないときがある。
本当の目が開くのはそのときである。 
●  三井高利
 
 楽観的に将来構想をせよ、

 しかる後に、
  悲観的に最悪の状況をも想定し、

 その上で、
   楽観的に行動せよ。

● マザーテレサ
 
人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。

あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。

目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。

善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく、し続けなさい。

あなたの正直さと誠実さが、あなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい。

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。
気にすることなく、作り続けなさい。

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。


● 天網(てんもう)恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏らさず
   《「老子」73章から》


天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、
悪人を網の目から漏らすことはない。
悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ。

● 一道を行く者は孤独だ

   だが前から呼んでくださる方があり

   後ろから押してくださる方がある 
   

by 坂村真民(仏教詩人) 


● 吉田松陰

「世の中の人は良し悪し言わば言え、我が為すことは神のみぞ知る」
「かくすれば かくあるものと知りながら、已むに已まれぬ大和魂」

● 坂本龍馬

「世の人はわれをなにともゆえばゆえ、われなすことはわれのみぞ知る」

今に生きる

    自分の心、目さえ曇らせずにいれば、
     暗闇の中にも必ず明るい展望を見出し、
     よき人物とも縁を結んで道をひらくことができる。


            牛尾治朗(ウシオ電機会長)

            
アメリカに端を発した金融不安が世界に広がり、
日本経済の先行きにも暗雲がたれ込めています。

江戸時代の儒者・佐藤一斎は、

「一燈を提げて暗夜を行く。
 暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め」


という言葉を残していますが、
この時期、真に頼みになる自己を確立していくことの
大切さを痛感させられます。

牛尾氏は、生前懇意にされていた
リコー元社長・舘林三喜男氏の言葉をひきながら、
この時期大切なことは、
まずは目の前にあることを一つ一つ片付けていくことに尽きる、
と説いています。

「人間には過去というものはすでになく、
 また、未来はわかりませんよ。
 あるのは今、現在だけなんです」

いま、目の前のことを一つひとつ確実にこなしていく中で
道はひらけていく。
過去を悔いず、未来を憂えず、
きょう現在を精いっぱい生きてゆきたいものです。

感覚

どんな思想にもついていけなくなったとき、
信じることができた最後のものは「感覚」だった。
私が信じようが信じまいが、
美しいものをみると「美しいな」と感じ、
「尊いもの」に対しては「尊い」と感じさせる感覚。
それは、私が、感じようと思わなくても、
私のいのちが、私の背後から、感じさせてしまう。
ということは、「感覚」は、
私たちの本然のいのちに直結しているということだ。


                                   東井 義雄

内観

内観はもともと浄土真宗の僧侶が「身調べ」として行っていたものだ。
それを戦後、吉本井信が宗教色を抜いて
自己修練の方法として確定した。
現代では国内のみならず、欧米諸国にまで、
日本初の自己修練法として広がっている。

内観の良さは、過去に遡って、
「父母からして頂いたことは何だったかなあ」
と徹底して考えることである。
それによて、こういうことがあった、
ああいうこともあったと思いだし、
本当は自分は手塩にかけて育てて頂いたのだという
事実が見えてくる。

内観は過去を漠然と振り返るのではなく、
具体的な事実を思い出すことを重視する。

たとえば、待ちに待った遠足のために作って頂いた
お弁当の美味しかったことや、
お母さんと一緒にお風呂に入って、
水鉄砲でお湯をかけあって遊んだことなどを
具体的に思い出すことによって、
自分がどんなに愛されていたのかを再発見する。

そうすると自分を縛っていた縄がいつしか解けて
屈託のない本来の自分が蘇ってくる。
内観を二度、三度、四度と繰り返すと、
一層深みに導かれていき、
「私を生んで下さり、命を授けて頂いたことがありがたい」
という心境まで進んでいき、精神的には全く自由になる。
そして、本当に自分の人生の主人公になり得たと実感するのだ。


                           神渡 良平

生ける屍

私たちにとって、マンネリズムほどおそろしいものはない。
これにとりつかれると、
目は「見れども見えず」ということになってしまうし、
耳は「聞けども聞こえず」ということになってしまう。
つまり、見たり、聞いたり、感じたり、思ったり、考えたり、
行なったりする仕事のエネルギーを蝕(むしば)み、
私たちを「生ける屍(しかばね)」にしてしまう。


                                       東井 義雄

日本民族劣化を目論む米国の占領政策

日本民族劣化を目論む米国の占領政策は、
食の分野にまで魔の手を伸ばしていたということです。
日本人が二度と白人に刃向かわないよう自虐史観で日本人を洗脳。
民族の誇りを奪って日本人を劣化、
というのはよく知られるところです。
それに加えて我が国の伝統食文化の破壊によっても
米国は日本人を劣化しようとした。
我が国の食生活は、戦後60年で人類に類例を見ないほどの
急激な変化をとげたそうです。
例えば現代人のお米のひとりあたり消費量。
昭和30年代と比べても約半分。
ご先祖様がその国土で食べ続けてきた食べ物。
その食べ物で健康が維持されるように
人間のDNAはプログラムされています。
まして、日本の伝統食生活は我が国先人の叡智の結集。
今や心と体を健康にする食として、
世界的なブームとさえなっているほど。
そんな偉大な食の伝統を捨て、
プログラム想定外の食生活に、
それも短期間で切り替えたらどうなるか。
医療が発達しても何故だか
病気と病人が増え続けているのは、
短期間の切り替えの結果です。
米国は、日本人の肉体劣化、
そして麦と脱脂粉乳の在庫処分の一石二鳥を狙って、
日本人の食生活を破壊し尽くしました。
そして今尚、教育現場では反日教育が続けられ、
給食にはパンと牛乳。ご飯給食は少数派です。
子供の頃の食生活が、
一生の食の好みを決めるといいます。
学校でパンばかり食べさせられ、
外に出たらマクドナルドが待っている。
この子が大人になったらいったいどうなるのか。
日本は、食を通しても、米国にしてやられました。
さて、我が国には「同食信仰」なるものがあります。
一つのお皿からおかずをとって食べるから個が家族になる。
三々九度などは、そうした信仰を儀式化したものなのでしょう。
天皇陛下が五穀豊穣をご祈願くださっています。
その祈りのこもったお米を「いただきます」と感謝して食べるから、
日本人は日本人になれるのではないでしょうか。
そんな貴いお米の消費量が減れば、
地球市民が増えるのも無理ない話です。
お米の消費を増やすことは、田園の再生にもつながります。
日本人の繊細な感性を養い育てた
美しい田園をよみがえらすこともできるのです。
美しい日本を取り戻し、本物の日本人になるために、
もっともっと日本の伝統食生活を大切にしたい。


小児科医・真弓定夫氏

善因善果

風呂に入って、両手を自分の方から向こうに押してみなさい。
水は、一度は向こうの方に押し出されるが、
左右の両側から入ってくるものです。

逆に向こうの方から自分の方に水をかきこむと、
いったんは水が自分の方に入ってくるようでも、
結局は両側から逃げてしまう。

だから、自分の利益を先にしてはいけない。
まず、他人の利益を考えてやれば、
必ず自分の方に利益が戻ってくるものだ。


二宮尊徳があるとき、弟子にこういう話をしていました。

背中が語る

 人を観るときは、前より後から観るのがよい。
 前はつくろえるが後はごまかせないからだ。
 
 後姿の淋(さび)しいというのは何よりもよくない。
 逆だと人間が出来たのだ。


 儒は濡である。思想とか学問が単なる知識や趣味に
 止まらずに、身につく、体になることだ。

 孟子のいわゆる「面に見(あらわ)れ、背(せ)にあふる」に至って、
 学問は真にその人の性命になる。

 人間は面より背の方が大事だ。徳や力というものは
 先(ま)ず面に現われるが、それが背中、
 つまり後姿―肩背に攴れるようになってこそ本物といえる。
 
 後光がさすというが、前光よりは後光である。


                                   安岡 正篤

ほんとうのほんね

迷いのままで、事を行なうと「すまん」とか「悪いなあ」
という思いがこみあげてくる。
その「すまん」「悪いなあ!」という思いは、
人間の一番奥底から出てくる思いだ。
それを手がかりに自分の底の底まで掘りおこしていくと、
そこに「ほんとうのほんね」が現われてくる。
「ほんとうのほんね」は、
自分を生かすだけでなく他をも生かすもの、
人間のいのちのふるさとにつながっていく。
倶会一処(くえいっしょ)の世界(ともにひとところにであう世界)、
そこから「ほんとうのほんね」は出てくるのだと思う。


                                         東井 義夫

旅人の話

ある町がありました。
一人の旅人がその町にやってきました。
町の入り口の門のところに
一人の老人が座っていました。
旅人は聞きます。
「おじいさん、この町はどんな町?」
おじいさんは聞きます。
「あなたが今までいた町はどんな町でしたか?」
旅人は答えました。
「いやあ、前にいた町は嫌な人ばかりでろくな町じゃなかったよ」
「そうですか、この町もあなたが前にいた町と同じ町です」

また別の日に旅人が来る。
「おじいさん、この町はいったいどんな町ですか?」
おじいさんは聞く。
「あなたがこの前にいた町はどんな町でしたか?」
「私が今までいた町は、すばらしい町で、
人々は親切で、あんなによい町は
ありませんでした。」
「そうですか、この町もあなたが前にいた町と同じ町です」
と答える。
 
これは逸話です。
言い方はいろいろあるようですが、
昔からある有名な話です。
二人の旅人が来た町は同じなんです。
結局この逸話の言いたいことは何か。
環境というものは「その人の心が決める」ということです。

我々が何のために学ぶのかというのは、
環境をよりよく作るために学んでいるわけですね。
結局環境を作るのはその人なんですね。
その人の心が環境を決める。

環境に左右されるのではなく、
環境をつくれる人間になりたいものです。


最後に、安岡正篤先生の言葉を紹介します。

「環境が人を作るということに捉われてしまえば、
 人間は単なる物、単なる機械になってしまう。
 人は環境を作るからして、
 そこに人間の人間たる所以がある、自由がある。
 即ち主体性、創造性がある。
 だから人物が偉大であればあるほど、立派な環境を作る。
 人間が出来ないと環境に支配される」

人に嫌われぬための五箇条

  
一、初対面に無心で接すること  
    有能な人間ほど、とかく慢心や偏見があり、
    どうしても有心で接する、これはいけない。
 
一、批評癖を直し、悪口屋にならぬこと
 
一、努めて、人の美点・良所を見ること 
 
一、世の中に隠れて案外善(よ)いことが
  行われているのに平生(へいぜい)注意すること

一、好悪を問わず、人に誠を尽くすこと

 
                                 安岡 正篤

東井先生の祈り

全篇これ、至極の内容ですが、中でも特に心に響いた、
あるお婆さんのお話をそのまま紹介します。


「私は主人が早くに亡くなりました。
 女の子一人の母子家庭だったんですけど、
 主人が亡くなってから、くず屋の仕事を続けて、
 女の子を養いました。

 幸い、小学校の頃は、いい子だ、やさしい子だと、
 皆さんから誉めていただいていたんですが、
 中学校になってから、ぐれ始め、
 とうとう中学二年の時には警察の
 お世話になるようなことになってしまいました。

 あのいい子だいい子だといわれた子が、
 なぜこんなことになったんだろうか、
 どう考えても分かりません。

 それが偶然わかったことですが、
『いくら勉強できるからといって、くず屋の娘やないか』
 といわれたことが大きなショックになって、
『お母さんがあんな仕事をやってるから、
 いくら勉強やったって、みんなからバカにされる』
 と考え、それからぐれはじめたということがわかりました。

 しかし、このくず屋の仕事をやめてしまっては、
 もう今日からの暮らしに困ってしまいます。
 かといって、ただ一人の女の子が、
 そんなことでは、亡くなった主人に申し訳ございません。
 長い間、ずいぶん迷いましたが、
 結局私の仕事をわかってもらう以外にはないと
 考えつきました。

 ある時、
『お母さんが長い間こんな仕事をやってきて、
 足腰が痛んで、どうにもこうにもあの下からの坂道、
 家まで車を引いて登ることが
 できなくなってしまったんだ。
 すまんけど、あの下のポストのところまで、
 明日の晩迎えに来てくれないか』

『ボロ車の後押しなんかイヤだ!』
 思った通り、はねつけられてしまいました。

『イヤだろうな、ボロ車の後押しなんてイヤだろうな。
 でもお母さん、足腰がもう痛んで、
 どうにも車があがらなくなってしまった。
 頼むからあのポストのところまで、迎えに来てくれないか』

いくら頼んでも、
『ボロ車の後押しなんてイヤだ』
『イヤだろうな、ボロ車の後押しなんて、イヤだろうな。
 でもな、6時には間違いなしに帰ってくるからな。
 あのポストのところまで迎えに来てくれんかい』

『じゃあ、6時ちょっきりやで。
 すこしでも遅れたらよう待たんで』
 ということで、どうにか承知してくれました。

 あくる日、車を引いてポストのところまで帰って来ると、
 ポストのかげに、恥ずかしそうに、
 しゃがんで待っていてくれました。

 そして、後を押してくれたんですが、
 車を引きながら、このボロ車に顔をそむけながら、
 どんな思いで後押ししてくれているかと思うと、
 こんな仕事やってきて、
 そして娘にまでこんなみじめな思いをさせると思うと、
 たまらん思いでしたが、おかげさまで
 家まで車を引いて登ることができました。

『あんたのおかげで、今日は久しぶりに
 車を引いて帰り着くことができた。
 明日もすまんけどな、お願いするよ』

 そのあくる日も迎えに来てくれていた。
 そんなことが五日ばかり続いたある日、
 ポストの倍のところまで迎えに来てくれていました。

 後押しをしながら、
『お母さんの仕事って、大変なんだな!』
 と叫んでくれました。

『お母さんだって、この仕事が好きなはずはない。
 でも私のために、この仕事、
 足腰が動かなくなるところまで頑張り続けてくれた。
 私のために。だのに私はお母さんを恨むなんて』

 気付いてくれていたんです。
 そのあたりから、立ち直ってくれました。
 今ではおかげさまで、いい母親になって、
 二人の子どもに恵まれているんですが」
 と聞かしてくれました。


この話に続けて、東井先生はこう言われています。


「自分を生かしてくれるものに、目が覚めてみるとね、
 ぐれたりなんか、自分勝手な生きざまが
 できなくなってしまうんですね。
 願いの中に自分が生かされている。
 どうかそのことを一つ味わっていただきたいんです」


おそらく、この言葉は聴いている生徒の心に
深く響いたことでしょう。

願いの中に自分が生かされている――すばらしい言葉ですね。

そのことを忘れると、バカになる、といわれています。
どうか皆さんは、自分で自分の人生を
粗末にするバカにならないようお願いしたいんです、と。

バカにならないよう、
心して人生を歩みたいものです。

心配ごとの90%は起こらない

『恐れている物事をやってみなさい。
そうすれば恐怖心は、あとかたもなく消える』

         エマーソン


『人が恐れている事態は、実際は想像するほど悪くないのだ。
 自分の心の中につくりあげている恐怖のほうが、
 現実よりずっとひどいのだ』

                   スペンサー・ジョンソン

『恐れは経験不足を生み出し、経験不足は無知を生み出し、
 無知はさらなら恐れを生み出すのだ。
 それでは悪循環だ』 

                   コリン・ターナー

『恐怖は逃げれば二倍になるが立ち向かえば半分になる』 

                   川北義則



『恐怖はつねに無知から生じる』 

                     エマーソン


恐ろしいのは「よく知らないから」ということを知らない
恐怖を作り出しているのは「自分の想像」ということを知らない
必要以上に恐れるのは「よくない」ということを知らない

経験がないこと、相手がわからないこと、先のわからないことなどに
恐怖を感じてしまうのは、知らないこと・わからないことを
あれこれと悪く想像してしまうからなのでしょう。

必要以上に恐れないために、
己の無知を自覚することで、悪い想像をしないように
心がけることができたらいいのではないでしょうか。


浪漫

ロマンをなくしちゃならん。
これをなくしたら、もうおしまいだ。
老い木は老い木なりに、
美しい花を咲かせるではないか。
若木の花よりも、老い木の花に、心ひかれる。
静かで穏やかで、
自分をそのままうち出しているからだ。
じっと見つめていると、
人間の在り方を教えてくれる。

                               坂村 真民

愛と技術

技術は、実践することで身につけていくもの
技術は、自分の経験や人や書物などから学んでいけるもの
技術は、努力と工夫で磨いていくことができるもの
技術は、何かの役に立てるもの

自分が幸せになる方法としての「愛」とは「人を幸せにすること」。
人を幸せにすることで感じられる幸せは、けっこう強いものです。
人を幸せにすることで得られる幸福感の質は、高いように感じます。
人の役に立てる幸せは、
自分の存在価値にもつながる良質なものです。
「自分だけが幸せでいいのか?」という“やましさのない幸せ”です。

愛(人を幸せにすること)は、
より幸せに生きるための最高の技術(方法)なのかもしれません。

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プロフィール

矢野 一成

Author:矢野 一成
愛媛県新居浜市 アール塾塾長

備忘録、すなわち
忘れたときのために備えて、
書きとめておく、
個人的な雑記帳です。

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