日本一アツイ教育を実践する男が語るBLOG

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初心

初心には、謙虚さ素直情熱があります。
修行にしても仕事にしても
毎日同じことですと
つい慣れが出てしまいますが
いつも新鮮な気持ちと熱い情熱を持ち
初心で持って人生の判断を続け
日常の振る舞い、言葉遣い、心配りを深めていくことです。


by 塩沼 亮潤
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克己

人生は克己の二字にある。

      これを実行するところに成功があり、
      これを忘れるところに失敗がある



            安田善次郎



数々の破綻銀行を救済し、「金融王」の異名を持つ
明治期の大事業家・安田善次郎。
善次郎は生前、処世に関する書も数多く執筆していますが、
ある雑誌の中で彼は、自分がお金持ちになれた理由を
次のように記しているそうです。

「毎日毎日自分で決めたことをしっかりと
 積み重ねていけば、凡夫でも必ずお金持ちになれる。
 驚くような仕掛けも何もない。
 一歩一歩、目標に向かって着実に歩んでいくのがある
 最も大切なことなのだ」と。


伊能忠敬や二宮尊徳など、多くの偉人のご子孫に
お話を伺わせていただきましたが、
偉人といわれる方々の心構えは共通しています。

「私の先祖は、いわゆる“偉人”ではない。
 もともとは凡庸なタイプでありながら、
 コツコツコツコツした努力を
 一生涯積み重ねていった人だ」

安田善次郎も最晩年、
「この20年間守り通した処世の信条は?」と問われ、

「勤倹、克己、一(いつ)にもってこれを貫く」

と答えたそうです。
立派な人間になったり、世の中で成功したりするためには
「自分に打ち克つ」という意志の力を持たなければならない。
勤倹、克己を旨とし、富山藩の下級武士から
一代で安田財閥をつくり上げた軌跡が
そのことを立証してくれています。

寄り道、回り道、一本道

今は耐えるとき
ただ耐えるとき
私は苦しむために行じているのではありません
喜びながら歩んでいるのです

人は苦しむために生まれてきたのではありません
苦しみの中から喜びを得るために生まれてきたのです。
しかし、この境地に至るまで
どれほどの涙を流したでしょうか

死にたくなければ
どんな苦しみにも耐えられます
人生とはその苦しみの中で
どれだけ感性を研ぎ澄ませるかどうかです
清らかな『こころ』を素直に表現し
人を喜ばせる努力が大切です

『こころ』に留めれば苦
『こころ』で受け止めれば苦
苦と思えば苦
苦しみの河で流されるごとく
身を任せて生きることが御仏の喜びならば
私はそのように生きます

あせらない、急がない
空を流れる雲とともに
今日という日を御仏に捧げます

もっともっと、という気持より
いつもいつものびのびと
のびのびと生きて
のびのびと耐える

苦しみは喜びに変わることはありませんが
やがて苦しみ方が違ってきます
苦しみを活かす智慧が備わります
涙を流して得た『こころ』の幸せこそ
人生の喜びです
そして、今
生きる喜びを得て
皆さんに幸あれと祈る日々

決して強くなんかない
清くなんかない
ただそうありたいと
願い続けているだけなんだ

寄り道、回り道をしながら
今日もぼちぼち歩いています


by 塩沼 亮潤

真のエリート

真のエリートとは

断れば断ることのできる

特別の社会的責務を

敢えて受諾する人である。

自分に要求するところ多く、

自分自身の上に

困難を積み重ねる人である。

これを真のエリートという。


by オルテガ(スペインの哲学者)

純真

如何に見えるかよりも
如何にあるかを心配する
如何に見せるかよりも
如何に歩むかをこころする
眼前のボロを隠すよりも
溢れる真実で相手を包む
そういう女性を懐かしむ


by 安住 得也

憎らしい母なら死んでも悲しまないでしょう。

少年は両親の愛情をいっぱいに受けて育てられた。
殊に母親の溺愛は近所の物笑いの種になるほどだった。

その母親が姿を消した。
庭に造られた粗末な離れ、そこに籠もったのである。
結核を病んだのだった。
近寄るなと周りは注意したが、
母恋しさに少年は離れに近寄らずにはいられなかった。

しかし、母親は一変していた。
少年を見ると、ありったけの罵声を浴びせた。
コップ、お盆、手鏡と手当たり次第に投げつける。
青ざめた顔。長く乱れた髪。荒れ狂う姿は鬼だった。
少年は次第に母を憎悪するようになった。
悲しみに彩られた憎悪だった。

少年六歳の誕生日に母は逝った。
「お母さんにお花を」と勧める家政婦のオバサンに、
少年は全身で逆らい、決して棺の中を見ようとはしなかった。

父は再婚した。少年は新しい母に愛されようとした。
だが、だめだった。
父と義母の間に子どもが生まれ、少年はのけ者になる。

少年が九歳になって程なく、父が亡くなった。
やはり結核だった。

その頃から少年の家出が始まる。
公園やお寺が寝場所だった。
公衆電話のボックスで体を二つ折りにして寝たこともある。
そのたびに警察に保護された。
何度目かの家出の時、
義母は父が残したものを処分し、家をたたんで蒸発した。

それからの少年は施設を転々とするようになる。

十三歳の時だった。少年は知多半島の少年院にいた。
もういっぱしの「札付き」だった。
ある日、少年に奇跡の面会者が現れた。
泣いて少年に棺の中の母を見せようとした
あの家政婦のオバサンだった。
オバサンはなぜ母が鬼になったのかを話した。
死の床で母はオバサンに言ったのだ。

「私は間もなく死にます。あの子は母親を失うのです。
 幼い子が母と別れて悲しむのは、
 優しく愛された記憶があるからです。

 憎らしい母なら死んでも悲しまないでしょう。
 あの子が新しいお母さんに可愛がってもらうためには、
 死んだ母親なんか憎ませておいたほうがいいのです。
 そのほうがあの子は幸せになるのです」

少年は話を聞いて呆然とした。
自分はこんなに愛されていたのか。
涙がとめどなくこぼれ落ちた。
札付きが立ち直ったのはそれからである。



作家・西村滋さんの少年期の話です。

人間は目標以上には大きくならない

例えばヒマラヤに登ろうという志の人は、
      富士山は容易に登れるんですね。

      ところが富士山に登ろうという志の人は、
      富士山にも苦労する。
      何の志もない人は
      その辺の低い山でも四苦八苦します。


            和地孝(テルモ会長)
            
             
創業88年、売り上げ3000億円を超える
医療メーカー・テルモの和地会長は、
経営者が備えるべきリーダーの条件の一つに
「高い志を持つ」ことを挙げています。

この言葉は、人はどこに目標を置くかで
その心持ちも結果も変わるということでしょう。

先日、ある女性経営者から興味深い話を聴きました。
「ウサギとカメ」の昔話で、なぜウサギがカメに負けたかというと、
ウサギが目標としていたのは「カメに勝つこと」であり、
カメが目標としていたのは「山の頂上に行くこと」ではなかったか。

そのため、たやすくカメに勝てると思った
ウサギは途中で居眠りし、
カメはウサギに勝つことが目標ではなかったため、
ひたすら頂上を目指せたということでした。

それを聞き、「なるほど~」と深く頷きました。
自分自身を振り返ってみて、
「今日中に10個の仕事を終わらせよう!」と決意した時、
少なくとも6個のことは終わりましたが、
「6個ならできるかな?」と思った時は、
3、4個しかできないことがあったからです。


「人間は目標以上には大きくならない」と
和地会長は言われます。
日々の仕事の中で、自分を限らず、
常に高い目標を持つことの大切さを
教えていただきました。

無心の読書

読書、思索は無心でやるのがよい。
金剛経にいう「無住心」だ。

ためにするところがあると、
折角の読書、思索も害になる。
少なくもわずらいとなる。
 
昔の学生は大部の書を読むことを
一つの楽しみとし、誇りとした。

「史記」や「資治通鑑(しじつがん)」などは
その恰好の材料だ。

よい意味での猛気(もうき)といってもいいが、
この気魄(きはく)がないと学問もものにならない。


by 安岡 正篤

賜生(しせい)

私たちの人生も生命も、
すべて天地宇宙より賜ったものだということです。

私たちは自分の体を自分のものと思って生きていますが、
そうではありません。
すべて天地からお借りしたものです。
だから、その時がきたら、すべてを置いて、
私たちは旅立っていくのです。


仕事

我々が生きるということは、
 仕事を通してであります。
 従って我々は若い時から
 確固とした仕事観を持つことが
 極めて重要なのです。


          北尾吉孝(SBIホールディングス代表取締役CEO)

医療と似ている教育

病気を治すのは、
病人が持っている治癒力であって、
医者や治療師が治すのではありませんね。

医療行為者は、病人の治癒力を
引き出す手伝いをしているだけですね

教育も同じですよ。

子どもたちには本性を開花させようとする力
すなわち、自己教育力が宿っています。
それを引き出すお手伝いを、
親や教師がするに過ぎません。

教育によって人が変わることは確かにある。
才能が大きく伸びることもあります。
しかしそれも、本人がやる気になり、
自分で意欲を燃やし、
努力して取り組んだからこそ可能になった。
自分が自分を育てているわけです。


by 丸山 敏秋 

「知」と「行」

今日は「自然をたたえて生物をいつくしむ日」として
昭和23年に休日として制定された【春分の日】です。



「知は行の始めなり。行は知の成るなり」
という王陽明の説明がある。
「知」というものは行ないの始めである。
「行」というものは「知」の完成である。

これが一つの大きな循環関係をなすものである。
知から始まるとすれば、
行は知の完成、
そしてこれは行の始めが知だから、
知というものは循環するわけです。
本当に知れば知るほど
それは立派な行ないになってくる。
知が深くなれば行ないがまた尊くなる。


by 安岡 正篤

「泥を肥やしに咲く花」

松原紗蓮(しょうれん)さんという尼僧の方は両親の離婚により、
2歳7ヶ月の時に、愛知県の浄名寺に預けられます。

その事実が分かったのは中学2年の時。
自分の生い立ちを知った少女は、
それまでの聞き分けのよい少女から一変、
髪は金髪、耳にピアス、暴走族の仲間に交じり、
薬に手を出し、幾度も自傷行為を繰り返す。

しかし、そんな彼女を事実上の育ての親である庵主は
一切とがめず、松原さんが20歳になった時、
断固として寺修行に行かせ、立ち直らせたのです。

後日、自分の愚かな行為を反省するまでに成長した松原さんが
「なぜ、私を叱らなかったのか」
と訊ねると、庵主はこう言ったといいます。

「人間は、時が熟さなければ分からないことがある。
 ひと月前のおまえに私がどれだけよい言葉を聞かせても、
 かえって反発を生むだけだった。
 いまおまえが分かるということは、
 おまえに分かる時がきたということだ。
 仏道は待ちて熟さん」
 


これはすごい言葉ですね。
このひと言を発した庵主さんはただ者ではないと思います。

あらゆるものに機縁がある。
人が言葉と出合うのにも機縁がある。

人間は生まれて死ぬまで、どのくらいの言葉と出合うのでしょうか。
おそらく無数・無限の言葉と出合います。

その中で、ある時、ストンと心に落ちる言葉がある。
心の土壌と、言葉の種がうまく合致した時、
その言葉はその人の心の中で大きく成長し、
その人の運命を招来する力となる。

そんなふうに思います。

進歩の源泉

人間の進歩というものは、
偉大なる発明発見でも悟りでも、
すべてインスピレーションとか
感動から始まる。

ただし感動するためには、
我々の心の中に感受性がなければならない。

感受性というものは、
自分が充実しなければ出てこない。
放心したり、
自分が自分を忘れていたら、
これはあるわけがない。


by 安岡 正篤

人間の不幸

何ものにも真剣になれず、
したがって、何事にも
己(おのれ)を忘れることができない。
満足することができない、
楽しむことができない。

したがって、常に不平を抱き、
不満を持って何か陰口を叩(たた)いたり、
やけのようなことを言って、
その日その日をいかにも雑然、
漫然と暮らすということは、
人間として一種の自殺行為です。

社会にとっても非常に有害です。
毒であります。


by 安岡 正篤

「独」というものは
人の世から離れた、
さびしい隠者の一人という意味ではなくて、
「絶対」という意味だ。

「独立」というものは
なんら他に依存せず、
自分自身が絶対的に立つということだ。


by 安岡 正篤

温故知新

故きを温めて新しきを知る

・・・過去のできごと、歴史、伝統

・・・尋ねる

歴史や伝統を習熟し、
そこから煮詰めたスープのように知恵を獲得する。
そうして、現実の問題に対処する新しい知恵を導き出す。
これが温故知新の原意です。


過去と未来が続いているように、
温故と知新はつながっていなければなりません。
知新によって温故が生き、温故によって知新が実るのです。

この四字熟語の出典である『論語』には、
温故知新に続く四文字があるのですが
あまり知られていません。

可以為師・・・もって  し  たる  べし


つまり温故知新はリーダーになるための条件なのでした。

王道と覇道

某雑誌に寄稿されている「徳に基づき、組織を治める」の中の文章から。

組織をまとめていくには「力」で治めていく方法と、
「徳」で治める方法があります。
つまり、集団の統治には、
徳に基づく「王道と力に基づく「覇道」という
二通りの方法があるのです。

中国革命の父「孫文」が日本(神戸)でおこなった講演の一部から。

このなかで「西洋の物質文明は科学の文明であり、
武力の文明となってアジアを圧迫している。
これは中国で古来言われている「覇道」の文明であり、
東洋にはそれより優れた「王道」の文化がある。
王道の文化の本質は「道徳」「仁義」である。

あなたがた日本民族は欧米の「覇道の文化を取りいれている」と
同時にアジアの「王道文化の本質も持っている」。
日本がこれからのち世界文化の前途に対して
西洋の「覇道の番犬」になるのか、
東洋の「盾と城」になるのか、
あなたがた日本国民がよく考え、慎重に選ぶことにかかっている。

残念ながら日本は孫文の忠告に耳を貸さず「覇道」を突き進み
富国強兵の道をとりつづけついには1945年敗戦に至るのです。

王道」とは「徳」に基づいた国家政策のことであり
「徳」とは中国では古来「仁」「義」「礼」という
三つの言葉で表されていました。
「仁」とは他を慈しむこと礼とは礼節をわきまえていることです。
また、この「仁」「義」「礼」の
三つを備えた人を「徳のある人」と呼んでいました。

女人に五徳というものがある。

第一は「平素人と争競(そうきょう)せず」。

武家社会で婦人に社交を戒めたことには
深い意味がある。
とかく無教養な婦人ほど社交に出ると
他人と比較争競したがるからだ。
人と争い競わぬというのは
男女を問わず大切な徳である。
 
第二に「苦難中怨言(えんげん)無し」。

苦しみ悩みの中にあって
怨(うら)み言を言わない。
或(あ)る人が会社に辞表を出して帰って来た。
妻に一言、「辞表を出したよ」と言うと、
彼女は言下(げんか)に
「それじゃまたお好きな魚釣りができますね」
と言ったという。
これは嬉しい。
かくあるのが本当の女性だ。

第三は「飲食を節す」。

これは美徳だ。
牛飲馬食の女性ではいささか興が冷める。

第四が「事を聞いて驚喜せず」。
激情を露(あらわ)にせずに、
しっとり落着いているのがよい。

第五は「よく尊敬す」。

何事によらず
尊敬することを知るというのは貴い徳だ。
人間はこれあるによって進歩する。


by 安岡 正篤

日本のリーダーの現状

重要なことは、日本を世界になくてはならない
     国にすることです。

     日本のトップはそういう大きな視点に立って
     政治を行ってほしい。
     欧米人が驚くくらいのビジョンを掲げるべきです。
     国がやらなくても、私が個人のレベルで必ずやりますよ。



原 丈人(デフタ・パートナーズグループ会長)


日本のリーダー不在を嘆く声は早くから上がっていました。
最近は、漢字を間違って読む演説や「もうろう会見」等々、
唖然とするような低レベルの問題が続出し、
国の行方も、いよいよ末期的な
危険ゾーンに入った感があります。

もちろん、リーダーそのものの問題もあるでしょう。
しかし一方で、日本のリーダーの現状は、
いまの国民のレベルを反映しているとも言えるのではないでしょうか。

サミュエル・スマイルズ著『セルフ・ヘルプ』
(邦題・西国立志編、自助論など)には、
19世紀のイギリスの黄金時代は、
誠実、勤勉で努力を怠らない、
高い人間性を備えた国民一人ひとりによって
支えられていたことが明らかにされています。

いま私たちがしなければならないことは、
自分自身に矢印を向けること。
いっぱしの評論家を気取り、
リーダー批判を酒の肴に溜飲を下げることではなく、
まずは自分の居場所で少しでも自分を高めていく努力をすること、
自分にできることを実践していくことではないでしょうか。

初心を原ねる

何か生涯の大仕事をやり遂げて、
そして人生の行路も終わった、
即(すなわ)ち「功成り行満つるの士」は
その末路を見る。

これでやれやれなんて思うと、
老いこんでしまったり、
あるいは有頂天(うちょうてん)に
なって弛(ゆる)んでしまう。

その反対に、行き詰まってしまって、
勢も蹙(すぼ)まり、意気上がらぬ、
どうにもこうにも
ぺしゃんこになってしまった人間は、
そこでへこたれず、
元気であった初心を原(たず)ねるが宜しい。

そうすれば、また新しく出かけることができる。


by 安岡 正篤

人生において一番大切なこと

人間は弱いもので、困難に遭遇すると、
それに正面から挑戦することなく、
すぐに言い訳を考え、逃げ出そうとします。

しかし、それでは決して成功できません。
どんな厳しい状況にあっても、
それを正面から受け止め、誠を尽くし、
誰にも負けない努力を続けることが、
困難に打ち克ち、成功するためには必要なのです。


by 稲盛 和夫

人間の第一義

名高い言葉に、
how to do good
(如何{いか}に善を為{な}すか)
ということよりも、
how to be good
(如何に善であるか)
ということの方が大事である、
というのがありますが、
人間の第一義は、
何を為すかということではなくて、
何であるかということである。



by 安岡 正篤

美しい心は美しい言葉から生まれる

これは、今回とりあげる書籍の
著者・土屋秀宇氏が長年の教員生活を
通して得た経験から導き出した信念の言葉です。

現在、日本各地に広がりをみせる教育特区(各自治体が
地域の独自色を出すための取り組んでいるもの)。
そのほとんどが英語教育に焦点を当てています。
そんな中、いま注目を浴びているのが
世田谷区の日本語教育特区です。

「日本語」という授業の枠組みの中で
子供たちは、古来から語り継がれてきた美しい
日本語の調べに触れる機会が与えられています。

その授業の教材の製作にかかわってこられたのが、
本書の著者である土屋氏です。


土屋氏は、子供たちが『万葉集』の和歌や漢詩などを、
大きな声を出して読む姿が日本中の学校に広がること、
なにより子供たちが嬉々として、
目を輝かせて古典に親しむ姿が溢れることを
夢見ながら日々活動されています。

本書は、そんな著者の熱い想いが
こめられた1冊です。


  「美しい心は美しい言葉から生まれる」


いま子供たちが切れやすくなっているという
現状があります。これには言葉が大きく
関係していると土屋氏はおっしゃいます。

なぜなら、言葉が乏しいと自分の気持ちを
上手く表現できないので、体で表現する、
つまり暴力的になってしまうのだそうです。

ですからしっかりとした日本語教育を行うことは
子供たちの幸せな生き方にもつながります。



そして、子供たちは繰り返しが大好きです。
繰り返しは子供の脳にもとても
よい作用があるといわれます。
その特性を活かし、子供たちには本書を何度も何度も
かみしめるように読んでいただきたい。
そうすることが豊かな感情を育むことに
つながっていくと思います。

子供の教育に悩まれている親御さんには
ぜひ手にしていただきたい一冊。
 
親子で本書に親しみ、、
「美しい言葉」のシャワーを浴びながら、
楽しい学びの時間を過ごされてはいかがでしょうか。



    ◇◆◇ 目次より ◆◇◆

第1章 新年を祝う 年の始め
第2章 四季を生きる1
     春――いのちの芽生え
     夏――いのちの輝き
第3章 四季を生きる2
     秋――静寂を楽しむ
     冬――厳寒に蓄える
第4章 求めて歩く
     天地の間――森羅万象を讃える
     旅する人――孤独とともに歩く
第5章 真実を見つめる
     家族の力――愛する人のために
     人生二度なし――本物の生き方を求めて
第6章 国を想う  
     望郷――いつの日か帰らん
     祈り――平和を願う
     歴史――大和の国に生まれて

心を整える

人間の心は庭のようなものです。
それは知的に耕されることもあれば、
野放しにされることもありますが、
どちらの場合にも必ず何かが生えてきます。

もしあなたが自分の庭に、
美しい草花の種を蒔かなかったら、
そこにはやがて雑草の種が無数に舞い落ち、
雑草のみが生い茂ることになります。

優れた園芸家は、庭を耕し、雑草を取り除き、
美しい草花の種を蒔き、それを育み続けます。


by ジェームズ・アレン

日本のこころ

『蟹工船』という小説を書いた小林多喜二という作家がいます。
この人は戦前、思想・社会運動を取り締まる特高警察に検挙されました。
取り調べといっても実際には、竹刀やムチで打たれたり、
投げられたりする毎日で、
目は腫れ、口は裂け、髪の毛もずぼっと抜けるなどのひどい拷問でした。

多喜二はやがて東京・多摩の刑務所に入れられますが、
北海道の小樽にいる多喜二のお母さんに、
5分間だけ面会が許されることになりました。


字の読めないお母さんは、刑務所からの手紙を読んでくれた人に、
「5分もいらない。1秒でも2秒でもいい。
生きているうちに多喜二に会いたい」
と訴えました。
貧乏のどん底だったので、
近所の人になんとか往復の汽車賃だけを借りて雪が舞う小樽を発ち、
汽車を乗り継いで指定時間の30分前に刑務所に着きました。

看守がその姿を見て、あまりにも寒そうなので火鉢を持ってきました。
するとお母さんは、
「多喜二も火にあたっていないんだから、私もいいです」
と、火鉢をよたよたと抱えて面会室の端に置きました。
今度は別の看守が朝に食い残したうどんを温め直して差し出しました。
お母さんは車中、ほとんど食べていません。それでも、
「多喜二だって食べてないからいいです」
と、これも火鉢のそばに置きました。

時間ぴったりに看守に連れられて面会室に現れた多喜二は、
お母さんを一目見るなりコンクリートの床に頭をつけ、
「お母さん、ごめんなさい!」
と言ったきり、顔が上げられません。
両目から滝のような涙を流してひれ伏してしまいました。

わずか5分の面会時間です。
言葉に詰まったお母さんを見かねた看守が、
「お母さん、しっかりしてください。
 あと2分ですよ、何か言ってやってください」
と言いました。
ハッと我に返ったお母さんは、
多喜二に向かって、この言葉だけを残り2分間繰り返したそうです。

「多喜二よ、おまえの書いたものは一つも間違っておらんぞ。
 お母ちゃんはね、おまえを信じとるぞよ」

その言葉だけを残し、お母さんは再び小樽に帰りました。

やがて出獄した多喜二は、今度は築地警察署の特高に逮捕され、
拷問によりその日のうちに絶命しました。
太いステッキで全身を殴打され、
体に何か所も釘か何かを打ち込まれ、亡くなったのです。

もはや最期の時、特高がまだステッキを振り上げようとすると、
多喜二が右手を挙げて、しきりと何かを言っているようです。
「言いたいことがあるなら言え」
と特高が水をコップ一杯与えました。
すると、多喜二は肺腑から絞り出すような声で言いました。

「あなた方は寄ってたかって私を地獄へ落とそうとしますが、
 私は地獄には落ちません。
 なぜなら、どんな大罪を犯しても、
 母親に信じてもらった人間は必ず天国に行く
 という昔からの言い伝えがあるからです。
 母は私の小説は間違っていないと信じてくれました。
 母は私の太陽です。
 母が私を信じてくれたから、必ず私は天国に行きます」

 そう言って、彼はにっこり笑ってこの世を去ったのでした。

お母さんは、字はひらがなぐらいしか読めません。
したがって、多喜二の小説は一行も読んではいないのです。
しかし、自分の産んだ子は間違ったことはしていない。
かあさんはおまえを信じている、と言ってくれました。
そういうお母さんに対し、多喜二は「母はオレの太陽だ」と言ったのです。

ここにおられる女生徒の皆さん、
あなた方はあと十年もすれば愛する人を見つけて結婚なさると思います。
どうかそのとき、その愛した男性に対して
「お父さま」とおっしゃってください。
どうか「尊い人」と言ってあげてください。

男性も女性から尊い人と言われれば、本当に命をかけて、
あなた方の命の安全と幸福のために汗を流して頑張ります。
人間のこの父母である夫婦が尊敬しあい、
いたわりあわなければ、子供が健全に育つはずがありません。

だから、皆さんの世代になったら、
ぜひ日本人の母になってください。
カミ様になってください。
男の生徒さんは、たくましく、
優しい日本人の男になってください。

そして、だれも真似できない太陽を胸に輝かせた
自分というものをしっかり確立してください。
それが、皆さんの永遠の心棒です。



「日本の心」(作家・境野勝悟)より

情熱なき理論は理屈にすぎない

人間というものは情熱なくして
偉大な仕事のできるものではありません。
真に力のある生きた思想というものは、
偉大なる情熱が、
次第に澄みゆくところに、生まれるものであって、
情熱の伴わない理性というようなものは、
真の理性ではなくて、
単にこざかしい理屈にすぎないのです。


by 森 信三

今日は啓蟄(けいちつ)にあたります。
暦の二十四節気のひとつです。
“啓”は『ひらく』、“蟄”は『土中で冬ごもりしている虫』の意で、
文字通り地中で冬ごもりしていた虫が春の到来を感じ、
草木が芽吹く と同時に地上へ這い出してくるという意味です。
この時期、北国では 福寿草が咲き、東京では紋白蝶が見られます。


『啓蟄や蚯蚓の紅の透きとほる』(山口青邨)

二十四節気(にじゅうしせっき)とは?

太陽年をその黄経に従って24等分して、
季節を表すのに用いる中国 古来の語。
等分点はそれぞれ
立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨・
立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑・
立秋・処暑・白露・秋分・寒 露・霜降・
立冬・小雪・大雪・冬至・小寒・大寒


と名付けられていま す。

異邦人

学ぶことを止めれば,悩みも消える。
 “ああ!”と言い,“おう!”と応える,
 その間にさしたる隔たりがあろうか?
“善”と言い“悪”と言うも,
 何ほどの差があろうか?
人が恐れるところでは, 
 恐れないと言うわけには行かない。
しかし,まあなんと,目覚めの兆しから離れていることよ!

世間の人々は笑いさんざめいており,
 供物を神に捧げるお祝いの席にいるかのように,
 春,高楼での楽しみの真っ盛りだ。
私は,独り静かに,世間とは縁なき形で,
 まだ笑うことも知らない新生児のように,
 独り離れて,世捨て人のようだ。

世間の人々は,豊富に満ち足りているが,
私だけは独り,すべてが失われているかのようだ。
 私の心は,白痴のそれのように,
 ぼんやりとして,かすみの中にただよう!

俗人たちが,訳知り顔で,明るく立ち回っているのに,
 私は独り,ものうく,当惑したままだ。
俗人たちが,賢げに,自信に満ちているのに,
 独り私だけが,気落ちしたままだ。
海に浮かぶ受難者のように,
 目当てなく,漂い続けている。

世間の人々は,しっかりと目標に向かって進んでいるのに,
 私だけは,融通が利かなくて不器用なままである。
私独り,他の人々とは異なり,
 自然なる母に養われることの大切さを知る。


老子20章より

国を支えて、国を頼らず

人間は自分のために一所懸命生きる時に
     崇高になるのではありません。

     周りのため、人のため、
     国のためになろうと思った時に、
     初めてそこに徳が生まれ、
     品格が生まれてくるものだと思うのです。



            北 康利(作家)


福沢諭吉の評伝もお書きになっている北さんは、
諭吉が生涯を懸けて訴えようとしたことの本質を、
「国を支えて、国を頼らず」の一言で表現されました。

福沢諭吉といえば、「天は人の上に人を造らず」で始まる
『学問のすゝめ』が有名ですが、
そこに書かれている内容について知る人は、
現代には少なくなっています。

書名を見ると、学問奨励をやさしく説いた本のようにも思えますが、
諭吉は本書で、国民は自分の勉強不足を棚に上げ、
政府に対する不満ばかりを口にしている、と批判し、

「この程度の国民だから、国家もこの程度なのだ。
 学問をしろ、馬鹿者どもめ!」

と頭から冷水を浴びせたのだと、北さんは言われます。

諭吉の中には、「物事を変える時には、
 アジテート(扇動)しなければいけない」
という考えがあり、激しい講演活動も行っていた彼は、
命を狙われたことさえありました。
しかし、これで命を取られるなら本望だ、
と涙ながらに語り、国民を啓蒙し続けたといいます。

立国は私なり、公に非ざるなり――。

「国を支えていくのは、志を持った一人ひとりの国民である」
という思いを私たち一人ひとりが持つことが
富国有徳の道への第一歩であり、
また、そのすべてだとも言えるかもしれません。



機と経絡

人間に最も大切なものは
「機」というものであります。
これは人間のみならず、
自然もすべて「機」に満ちている。
したがって人生というものは、
すべて「機」によって
動いているといってよろしい。

のんべんだらりとしたものではなくて、
常にキビキビとした機の連続である。
機というものは「つぼ」とか
勘どころとかいうものであって、
その一点ですべてに響くような一点を「機」という。

そこで機を外すというと響かない、
つまり活きない。
人間の体もそういうつぼ、
点で埋まっているわけであります


by 安岡 正篤

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プロフィール

矢野 一成

Author:矢野 一成
愛媛県新居浜市 アール塾塾長

備忘録、すなわち
忘れたときのために備えて、
書きとめておく、
個人的な雑記帳です。

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