日本一アツイ教育を実践する男が語るBLOG

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益者三友

直きを友とし

諒を友とし

多聞を友とする



は益なり


季氏十六-四


直言して隠すことのない人

誠実で裏表のない人

見聞の広い人



が付き合って有益な友だと言ってます。
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人間がかかる4つの病

いくら組織を整えても、
やはり経営者自身が高い志を
持ち続けていないと難しい。


これは私の人生観にも繋がるものですが、トップが


「一生勉強、一生危機感、一生青春、一生情熱」

という4つのスタンスを身につけているか。
そういう生き方を貫いて、
示していくことが大切です。


ただ人間は放っておくと
心が病気になるんです。



症状には4つあって、




1つ目は「自惚れ」、




2つ目に「驕り」、




3つ目に「マンネリ」、




そしてベースにあるのは「甘え」





ではないかと思います。

失敗している経営者は
必ずこの心の生活習慣病にかかっていますから、
絶えず自制していかなければならないということです。


高原慶一郎(ユニ・チャーム会長)

可愛い子には旅をさせよ

本当にその子が可愛ければ

つらいことや苦労もさせるということです


乳児期には「肌を離すな」

幼児期には「肌を離して、手を離すな」

学童期には「手を離して、目を離すな」

青少年期には「目を離して、心を離すな」


成長の段階で苦労のさせ方は違います。

つまり、その子の将来を考えて

辛いことや苦労もさせることが本当の愛情です。

「成功者の習慣」

      スランプ状態に陥った時は、
      自分が最高の状態だった時に
      通っていた飲み屋に行く。

      そして自分の実力不足で負けているのか、
      運気が下がっているのかを冷静に見極める。
      その上で、運気のあるほうに
      自分を持っていくようにしている。




               米長邦雄氏(永世棋聖)

同食信仰

「同食信仰」というのは、
同じものを食べることで、
人と人の心がひとつになるという日本古来の考え方。
これが儀式化されたものが神前結婚式などで
行われる三々九度です。

家族揃って、
その家で心を込めて調理した
同じものを食べるから、
家族の心が一体となれる。
また、父祖が食べ続けてきたものを食べるから、
先祖とも一体となり、
伝統につながることができる。

そんな我が国の美しい精神的な伝統よりも
利便性を重視して、
心を込めて調理する努力や家族の絆、

すなわち「心」を捨て去るような施策を「食育」とまで呼ぶ愚かさ。

もはやつける薬がありません。

罪と穢れ

「つみけがれ」の「つみ」とは、犯罪などの「罪」という意味ではなく、
人間本来のすばらしい姿を包み隠してしまうもの 
= 包む身 を意味します。


また、「けがれ」というのは汚れたとか汚いという意味ではなく、
神様からいただいた気が枯れてしまった状態 
= 気枯れ を意味します。


これらは知らず知らずのうちに私たち人間のからだに付いて、
様々なトラブルを引き起こすわけですが、
これらはすべて「我欲」や「理屈」から生じるものとされています。


日本では古来より、これらの「つみけがれ」を祓うために、
「大祓いのことば」という祝詞(のりと)を唱えてきました。


「大祓いのことば」は現在でも
毎日全国の神社で唱えられている祝詞で、
これは昔、中臣氏の誰かが、神様の声を肌で感じ、
それを言葉として表し、以後ずっと語り継がれてきたことばです。


これを無我になって唱えることにより、
つみけがれを祓うことができるといわれています。


言葉というものは現代では
単なる情報の伝達手段と捉えられていますが、
本来言葉というものは神様・自然からの知恵を
表現するために生まれたものですので、
実はものすごい力を持っています。


ですから良いことを言えば物事は良い方向に向かいますし、
逆に悪いことばかり言っていれば
そのような方向に向かうということになります。


そして「大祓いのことば」には神様の知恵が込められているので
これをゆっくりと一言、
一言声に出すことによって神様のすばらしい
エネルギーを受けることができ、
「つみけがれ」といった悪いものを
良いものに変換してくれるそうです。


また、奈良の春日大社でも神職によって
世の中すべてが祓われるようにと
「大祓いのことば」が奏上されています。


私も毎朝大祓いのことばを神前で唱えていますが、
この習慣は大変重要なものと肌で感じています。




葉室 頼昭

日本文化の根底をなすものは『恥』であり

西洋文化の根底をなすものは『罪』である



我々人間は生まれながらに、

他の動物と比較して向上心というものが旺盛であります。

これは天から生まれながらにして与えられているものです。

その向上に当たって

目指す目標と自分と比べてあまりにも大きな隔たりがあるとき

その目標に対して抱く心情を『敬』といいます。

それに対して

なぜ自分は目標に及ばないのかと

自分自身に問うた時に起こる心情が『恥』というものです。



だから、『敬』と 『恥』は心の両面といっていいのです。

この両者が人間を限りなく向上させていく。


目標を持たないものは、『敬』も『恥』も感じないのです。



伊與田 覺

憎しみ

憎しみというのは
  自分自身への批判だと私は考えます。

誰かを憎むということは
自分自身を批判していることになり、
その人自身を停滞させてしまいます。



        イハレアカラ・ヒューレン(心理学博士)

学者と教育者

学者・・・自分の意見をうまく表現する

教育者・・・教える相手をよく知って

      相手によくわかるように

      高遠なる思想でも

      簡単な言葉で

      誰でもわかるように説く
     

「躾の三か条」

第一、朝必ず親にあいさつをする子にすること



第二、親に呼ばれたら必ず、
「ハイ」とはっきり返事のできる子にすること



第三、履物を脱いだら必ずそろえ、
   席を立ったら必ずイスを入れる子にすること



森 信三



朝の挨拶によって前向きな姿勢が、
「ハイ」という返事で素直さが養われます。

コップの口が下向きになっていたのでは
水を注ぐことができません。
上向きにすることで入っていきます。
子供の我を取り、上向きのコップのように
前向きで素直な心を養うのが、
挨拶と「ハイ」の返事なのです。

そして履物を揃え、
イスを入れる習慣を身につけることで、
人生でも仕事でも大切な、
後始末のしっかりできる子になるのです。

心得ておかなければならないのは、
躾はお説教では決して身につかないということです。

森先生は、ではどうすればいいのかという
具体的な着手点まで落とし込んで教えてくださっています。

挨拶をする子にするためには、
まず母親から我が子に挨拶をすることです。

こちらから「おはようございます」と言えば、
子供も「おはようございます」と応えます。

最初は子供も面食らい、
ボソボソとした挨拶しか返ってこないかもしれません。
それでも母親が笑顔を絶やさず、
根気よく続けていくうちに、
しっかりとした挨拶が返ってくるようになるのです。


「挨拶をしなさい」と何回言っても身につきませんが、
こちらから具体的な行動を毎日投げ掛けることで、
子供もそれに応じ、それが習慣となるのです。

「ハイ」の返事を躾けるにはどうしたらよいか。
それにはまず母親が、ご主人に呼ばれたら
必ず「ハイ」とはっきりした返事を
するよう努めることです。

子供は母親の様子をしっかりと見ています。
母親が父親の呼び掛けに
いつも素直に応じる姿を見れば、
子供も返事の大切さを実感して
それに倣うようになるのです。
自ら模範を見せることの大切さは、
履物を揃えること、
イスを入れることについてもいえます。

躾にも適期があり、できればこの三つの躾を、
小学校へ入学するまでに身につけさせたいものです。


[君子は和して同ぜず小人は同じて和せず]

君子は、争いはできるだけ避けようとするものだが、

かといって意見が異なる相手に無制限に同調することはない。

一方、凡人は主体性に欠けるところがあり、

有力な意見にはすぐに同調するが、

全体の調和などに心を配ることは少ない、




論語

【心花、静裡に開く】

人間は改めて勉強する時とは別に思いがけない時、
ふと目についた柱かけや扁額(へんがく)の文句などに、
はっと心を打たれ、目をみはることが少くない。

そしてそれが又、思いがけない時に思い出され、
心の養いになり、決断の力になることもある。




 『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)

聞・思・習

今の教育は単にものを覚えること

つまり、記憶力の偏差値だけで

優秀かどうかを決めて

大学へ送ってますね

ものを覚えるのが上手な人が

偉いと言われる時代ですね



覚えた、そんなのは何にもならない

耳から聞いて

聞いたことをきちんと整理して

自分の特性に合ったものを選んで

その教えを実践して習う

自分のものにしなければ

学問ではない

というのが論語の教えです

三学戒

「少にして学べば、則ち壮にして為すことあり。

壮にして学べば、則ち老いて衰えず。

老いて学べば、則ち死して朽ちず。」



佐藤 一斎

視観察

「視」とはその人の行動を観察すること。

まずは外から見て判断できる部分から観察します。
「ヒトは見た目が9割」とは言いますが、
人は見た目だけで大体判断できるという意味ではなく、
性格や考えなどの人間性は外見にもにじみ出てくるということです。

「筋の通った行動をしているか?」



「観」とはその人の行動の動機を調べること。


次にその人がなぜ上記のような行動をしているか、を知ることです。
そこからその人の内面が見えてくるのではないでしょうか?
その人と話してみないとわからない部分ではありますが、
情熱的に動機・夢を語る人って魅力的な人が多いですよね。

「察」とはその人がその行為に満足しているかどうかを知ること。


その人の究極の目的は何だったのかを考えてみる。

視も、観も共に「ミル」と読むが、
視は単に外形を肉眼によって見るだけのことで、
観の外形よりも更に立ち入ってその奥に進み、
肉眼のみならず心眼を開いて見ることである。

野心と志は違う。
志は人のため。
野心は所詮自分のためでしかない。

【感激の対象】

断えず熱中する問題を持つこと、
即(すなわ)ち感激の対象を持つことだ。

子供が大病の時、父母は飲食が咽喉(のど)を通らないということは、
誰しもが経験することだ。

これは固(もと)より好ましい場合のことではないが、
この平凡な事実を好い方面に心掛ければいいのだ。

人生は退屈することが一番いけない。
断えず問題を持つ者が、精神的に勝利を占める。

世の中が斯(こ)うなると、真面目な者は往々すね者になる。
すねると皮肉が出る。

彼等に欠けているものは気魄(きはく)だ。
ところが此(こ)の頃はすね者さえもいない。



 『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)

負けず嫌い

僕は「負けず嫌い」にも段階があると思っています。


まずは


「その場だけの負けず嫌い」。


勝負の世界に限らず、
負けるのが好きという人はそうそういませんから、
やはりやるからには当然勝利を目指すわけです。

しかし、それがその場限りのものであっては
「負けず嫌い」とはいえないと思うんですね。

自分が勝ちたい、もっとうまくなりたいと思ったら、
練習を積んだり体調を整えたり準備をするはず。
これが次の段階です。

趣味で取り組んでいるものであれば、
正しい努力と準備を行っていけば、
相当のレベルにまで到達すると思います。


しかし、「真の負けず嫌い」は
さらにもう一段階上じゃないかなと。

それは


「自分の人生のすべてを賭けて」



という部分が加わってくると思うんです。

一道を極めている人は
必ずどこかの時期でこの経験をしていると思います。

囲碁のように白黒はっきりつく勝負の世界に限らず、
事業家でも芸術家でも、
どこかで人生を賭けた大一番の勝負をしているはずです。
一度は寝食を忘れ、すべてを注ぎ込む時期を経ない限り、
道はひらけていかないと思います。



張栩(囲碁棋士)

人間の絆を作るには

同一の時間に

同一の場所で

同一のことをやる



教育の効果は

所属の欲求が生まれて初めて

「頑張ろう」という気持ちが生まれる

朝食は食べろ

勉強というのは、頭を使うことだ

一所懸命考える時や

ひとつのことに没頭しているときは

血液は脳に充満している

血液中のブドウ糖が大量に使われている

一日のエネルギーの消費量の約20%は脳が使う

血液中のブドウ糖の半分は脳が使う



朝起きて、十分朝食を摂って、学校に来るころに消化され

全身にまわると、授業がよくわかる

当然のことながら、わかれば面白いし、楽しい

朝食は一日三食の中で最も大切で重要です

朝食を食べないで来る生徒は

まず、授業を受ける資格がないも同然だ

【眼識】

人間というものは妙なもので、
内省を深めるようになると中味ができてきますから、
自(おのずか)ら風采(ふうさい)、態度が変ってくる。

即(すなわ)ち大分できてきたなということがわかる。

といってもわかるためにはこちらにも、
即ち観る方にも学問がなければならぬ。

学問をしなければ、人を観る目ができない、識見・眼識が生じない。
あいつは財産がなんぼあるとか、何の役をしておるとか、
いうようなつまらぬことは気がつくが、
人間そのものについては全くわからない。


しかし学問をして、それがだんだん身についてくると、
自然に本当のことがわかってくる。

つまり人を観る目が違ってくるわけです。

もっともしじゅうつきあっておると、なかなかわかりませんが、
しばらくぶりに遇(あ)ったりすると、これは大分勉強したとか、
あまり進歩しておらぬとか、
いう風に実に印象が新しくはっきり致します。

人に会うのも、そういう意味でよい勉強になります。





 『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)

四勿の教え

見ざる

聞かざる

言わざる

動かざる



ろくでもないテレビ番組を見ること勿れ

根拠のないおかしな話は聞くこと勿れ

その場の雰囲気でいい加減なことを言うこと勿れ

一時の流行に乗って変な動きをすること勿れ

人の罪をとがめても何も得られない

『あなたが人と仲違いをしたとき、
 人があなたに不満な様子を見せたとき、
 人があなたに背いたとき、
 その人に罪があるのではなく、
 あなたの中に善が足りなかったのだ
 と考えるほうが正しい』




          トルストイ

激しく考え、優しく語る

なぜ、そういうことを考えるように
なったかと申しますと、私は青春の頃、
いいかげんなことを考えて
激しく語っていました。

批判精神というものを非常に浅薄に考えていた。

私にとっての戦後民主主義とは
まさにそういうことだったんですね。
十分に考えることもせず、
簡単に他者を批判する。

そこに待ち受けていたのは反撥と挫折でした。


加えて何度も病気をし、いま振り返っても
青年期から中年期にかけては、
自分の思いどおりにならない
地獄の時代だったなと思います。


長いこと、そこから抜け出せずにいたのですが、
ある時思ったんです。


「語る時はできるだけ優しく。

 これを心掛けることが
 自分自身に対処する道ではないか」


と。すると、いままで考えていたことが
いかに薄っぺらだったかが見えてきたんです。

自分の人生を反省できるようになった時、
自然に浮かび上がってきた言葉が


「激しく考え、優しく語る」


ということでした。これが私の人生信條です。



  山折哲雄(国際日本文化センター前所長)

情報

「情報は一番熱くなっている人の所に集まってくるんです。
 こういうことをしたいと思って熱くなっていると、
 人に喋るし、目いっぱい行動するから、その分
 多くの情報が入ってくる。
 
 つまり、情報の量が仕事の質を決定するんです」




岩手県葛巻町前町長を務め、
葛巻を「日本一のクリーンエネルギーの町」に
変革させた中村哲雄

人はなぜ判断を間違うか

なぜ判断を間違うかといえば、
  「情報」が足りないからです。

  十分な情報が揃っていれば、
  どんな人でも判断を誤ることはない。

  要するに優れた人がよい判断をするのではなく、
  優れた人は必要な情報を十分に持っていて、
  その中で判断するだけだというんですね。


        松原要一(新潟労災病院院長)

【正道を知る】

正道(せいどう)の手筋を聞かなければ、
思いの外のことに遭(あ)って不覚をとる。

人間の学問でもその通りであります。

どれだけ才覚があっても、独学独習でやっておると、
得てして自分免許になり勝ちで、
思いの外の失敗をしでかすものであります。

これは正道を知らぬからで、
やはり人間はどうしても本筋の師匠について、
本格の修業をしなければならない。




 『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)

【五 美】

人を恵んで厭味(いやみ)なく
労して怨(うら)みず
欲して貪(むさぼ)らず
泰(ゆた)かで驕(おご)らず
威あって猛(たけ)からず─と。


(論語・堯日[ぎょうえつ])

人は誠にかくありたいものである。


 『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)

【五 悪】

盗賊より悪質な五つの問題がある。

1 仕事がよく出来て、心険(けわ)しいもの

2 行が偏向して、しかも頑固(がんこ)なもの

3 言うことが実は偽で、しかも口が達者なの

4 くだらぬことばかり覚えて、しかも博識であるもの

5 悪勢力に附(つ)いて、しかもよく恩を売るもの




 『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)

道草、寄り道、回り道

ただ轍に沿って
まっすぐ歩いていては
何の発見も得られないし、
何のアイデアも生まれてきません。


        横田尚哉(ファンクショナル・アプローチ研究所社長)


「ファンクショナル・アプローチ」
という独自の手法により、
橋梁工事を中心とした公共事業を
10年間で2,000億円削減することに成功した横田氏。

従来の固定概念にとらわれず、

「何のためにそれをやるのか?」
「誰のためにそれをやるのか?」

を徹底的に検証することで、
これだけ大幅な無駄が省けたのだといいます。

私たちの仕事も、ともすれば
従来のやり方を何の疑問も持たずに
踏襲してしまいがちです。

しかし、轍(前の人のやり方)に沿って
真っ直ぐ歩いているだけでは何も見えません。

そこで横田氏は

「道草、寄り道、回り道」

の大切さを説きます。

一つのテーマを探究する場合も、
道草や寄り道をしながら
いろいろアイデアを巡らせる中で、
真に考える力がつくというのです。

横田氏の斬新な発想も、
そういう中から生まれたのだと思います。

安穏とした生活に流されがちな現代人。
物事を深く考えなくても、生きていけるかもしれません。
しかし、この閉塞感を打破するには、
新しいアイデアを生み出す以外にないことも事実です。

固定概念を取り払い、いまこそ
本当の知恵を生み出す時ではないでしょうか。

キーマン

口コミの法則と同じで、
同じ話を3人から聞いた時に、
初めて人の認識って変わるんです。

そして、2・6・2の割合の、
周りの状況によって左右される
6の部分を占めていた人たちが動き出す瞬間がある。

僕はこれを


「壁だったものがドアになる」


と呼んでいます。


壁になっている人……、
それは国の役人であるかもしれないし、
職場の上司かもしれない。
時には世論が壁になることもある。

でもそういうものが、ころっとチェンジして
味方になってくれた時に、
物事って大きく動くんですよ。

その過程が、仕事を成功させる上では
絶対に必要なんですよね。
だからそういう壁を開けてくれる人のことを、僕は


「キーマン」


と呼んでいます。

文字どおり、鍵を持った人。


それは最初に現われる時は、
敵であることが多いんです。


だからそういう人を、ちゃんと説得できるだけの
材料も用意しなければいけないし、
自分もそういう人たちに認められるくらい、
本気で動かなきゃいけないということだと思うんです。



北川憲司(札幌市円山動物園経営係長)

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プロフィール

矢野 一成

Author:矢野 一成
愛媛県新居浜市 アール塾塾長

備忘録、すなわち
忘れたときのために備えて、
書きとめておく、
個人的な雑記帳です。

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