日本一アツイ教育を実践する男が語るBLOG

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心願

心願をもって貫かねば

いかに才能がありとも

その人の『一生』は

真の結晶にならぬ



森 信三




『心願』というものは『志』とは少し違います

『志』とは掲げて目指していく

といった趣がありますが

『心願』というのは、もっと心の奥深く

貫いていくというニュアンスでしょう

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マンネリズム

マンネリズムの中には教育はない

非教育があるばかりだ




東井 義雄

待つこと

口で教えることの安易さ


待つことの大切さを知ろう





東井 義雄

学校

学校は、できない子を

できるようにしてやるところです

わからないという子どもを

わかるようにしてやるところなんです

わからない子のために

学校があり、先生があるのです




東井 義雄

自家発電能力

「夢と目標をセットしなければ、
 人の能力は絶対に向上していかない。
 そしてもし夢を持ったなら、その夢を
 “目的”と“目標”に分け、
 達成までの期限を決めなさい」



* *


私が思うに、ほとんどの人は
明確な目標を持っている時、懸命にそれに取り組む。
しかし本当の苦しみは、
その目標を達成した後に始まるのではないだろうか。

例えば念願の金メダルを手にした途端、
ケガや不調に見舞われ、試合に勝てなくなる五輪選手。
「地域一番店になる」「自社ビルを建てる」
と燃えていたが、その目標を達成した後、
目指すべきものが分からなくなり、
行き詰まっている経営者。

その人がいる「現在地」は、
本人の成長段階に合わせて刻々と変化していく。
私が、夢や目標を持つということと
同等に大切だと思うのは


「いまの自分の実力を知り、
 その実力に合った目標を設定できる」
 
 
ということ。
世の中で成功し続けられる人というのは、
一様にこの能力を備えた人ではないかと思う。

五輪や世界選手権で金メダルを
取り続けている柔道の谷亮子選手などは
その代表的な例だと思うが、私は以前、
こんなやりとりを目にしたことがあった。

二〇〇〇年のシドニー五輪が始まる直前のことである。

彼女は自転車競技で連続の金メダルを取った
ある外国人選手とテレビ番組で共演していた。
その時、あなたが五輪に出る目的は何かと
尋ねられた谷(当時は田村)選手は


「もちろん金メダルです」


と答えた。
五輪選手はその答えを受けて


「それじゃダメですね」


と述べ、こう後を続けたのである。



「私は金メダルを取ることを
“目的”にしたことは一度もなく、
 金メダルを取ることは、
 祖国の子供たちに夢と希望を与えるための
 “手段”にしかすぎない。


もっと多くの子供たちに
夢と希望を持ってもらうために、
私には絶対に金メダルが必要なの。



あなたのように金メダル獲得を目的にすれば、
取ったとしてもそこで終わってしまうでしょう」


この後、谷選手はシドニー五輪で
自身初となる金メダルを獲得し、
四年後のアテネ五輪でも、
見事、二大会連続となる金メダルを獲得した。

谷選手にあの時、どんな心境の変化が
あったのかは分からないが、
人は明確な理由に基づいて行動していくと、
必ずよい成果を出すことができる。

それが「セルフモチベーション」や
「自家発電能力」といわれるものである。

日本人はよく、テンションが高い人のことを
「モチベーションが高い」と捉えてしまいがちだが、
モチベーションは明るさや元気さのことを指すのではない。

一見暗い性格で、地味な雰囲気の人でも、
やるべきことが明確で、
その目標に向かってこつこつこつこつ努力を続ける人は、
偉業を成し遂げることができる。

大切なのは、いまの自分の実力に合わせた目標を設定し、
絶えず新鮮なモチベーションをつくり出すことである。



 覚張利彦
      (がくばり・としひこ=SMIオブジャパン公認エージェンシー
       “リバティ福岡”北海道エリア担当・「キャリエール札幌」代表)

【座右の書】

心を打たれるような身に沁(し)むような
古人の書をわれを忘れて読み耽(ふ)けるときに、
人間は生きるということは誰もが知る体験である。

それを積んでおると、
しだいに時間だの空間だのという制約を離れて真に救われる。
いわゆる解脱(げだつ)をする。

そういう愛読書を持つことが、
またそういう思索・体験を持つことが
人間として一番幸福であって、
それを持つのと持たぬのとでは
人生の幸、不幸は懸絶(けんぜつ)してくる。



 『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)

無心

ひとつの行いに

あなたの注いだ

愛の報いを求めてはならない

もしも愛の報いを期待すると

それでお仕舞いになる

そうではなくて

愛を目的に

あらゆる行いをしなさい

そうしたとき

いま求めているものが

最後には手に入るのだ

そのことが

はるか昔の思い出になった頃

あなたのもとには

誰も取っていくことが出来ない

永久不滅の財産が

残っていることである




エドワード・カーペンター(19世紀のイギリスの詩人)



奉仕は見返りを求めない一途な行いですよ

人間と言うのは

一心に思っていると

その人の夢をよく見るそうですよ

夢と言うのは非常に尊いものがある

昔から「夢を語るは痴人に等し」というけれど

真剣になったら夢に出てくる

何かことを成さんとする場合には、夢を見るんですね



また、夢は真実の場合があります

我々は起きているときは邪心・邪欲もありますから

真実がなかなか見えない

ところが熟睡しているとき

無心の状況にあるときにポッと現れてくるものの中には

真実がこもっていることが多いようです



伊與田 覺『孝経』致知出版社より





使命

私たちはただ生きるだけではなく

よく生きる力を身につけなければなりません

それが私の使命です

使命は「命を使う」と書きますよね


自分の『いのち』を使い、よく生きるためには

①いつもにっこり笑うこと

②人の身になって思うこと

③自分の顔に恥じないこと



この3つのことを胸に刻んでおきましょう

われは草なり

  われは草なり
  伸びんとす
  伸びられぬ日は
  伸びぬなり
  伸びられる日は
  伸びるなり
  
  
  われは草なり
  緑なり
  全身すべて
  緑なり
  
  
  毎年かわらず
  緑なり
  緑の己れに
  あきぬなり
  
  
  われは草なり
  緑なり
  緑の深きを
  願うなり
  
  
  ああ 生きる日の
  美しき
  ああ 生きる日の
  楽しさよ
  われは草なり
  生きんとす
  草のいのちを
  生きんとす


 ..........(高見順「重量喪失」より)

『なぜ』ではなく、『何のために』

私たちは自分の思い通りにならない時

「なぜ、私ばかりがこんなひどい目に・・・」

と思います。


その「なぜ」という言葉を

「何のために」と置き換えてみましょう。

「この挫折は何のために私に与えられているのだろう」

「この病気を何のために私は頂いているのだろう」


「なぜ」と原因究明をするのではなく

「何のために」と前向きに考えることで

道が開けてくるような気がします。

道徳

徳という字の旁を見ると

目が横についてますね

目が横についているものですから

本来であればこちらが正しい

この旁は「素直な心」と読みます

ぎょうにん偏は、実践すなわち行うということ


つまり、素直な心でルールを知って

これを行ったときに徳になるのです


道徳と言った場合には、

知るだけじゃいけない

行動が伴うものなのですね



伊與田 覺

伝わる

 人間、夢を持ってそれに懸けて生きていれば、
   「こいつ、すごい懸けているな」って
   周囲の人に伝わるでしょう。

   そうすると周りの人が助けてくれる。
   それが神様に伝われば神様が助けてくれるんです。



小出義雄(マラソンの高橋尚子選手らを指導)

革新

    私は革新というものは、逆境を逆手に取る形で
    現われてくるものじゃないかと考えているんです。

    世の中の価値観は絶えず変化しているのだから、
    それに合わせてつくり手の姿勢もまた
    変わり続けなければならない。

    そして変化を嫌うのではなく、
    それを最大限に利用しながら、
    次の一手を打っていかなければならないと思うんです。



●小仲正久(日本香堂会長)

とことんやる

   おそらく何の仕事でも、まずはとことんやる。
   それがなかったらダメですよ。
   初めから「なるようになれ」というのは手抜きです。

   本当にやり尽くした上で無心で取り組めれば、
   物事というのは叶えられていくものではないかというのが、
   私の四十年に及ぶ会社再建人生での実感です。


●長谷川和廣(赤字会社再建の名手)


草莽崛起(そうもうくっき)とは

草莽崛起(そうもうくっき)とは


吉田松陰の思想です。


志のある人物が立場をこえて、

同じ目的を持って立ち上がることです。

現状を打破しなければ、

物事が目標に向かって進んでいくことはありません。


今、地球上に生存している動物は

環境適応能力に秀でていたためだと言われますが、
「環境の変化」だけでなく「環境の悪化」にも対応しすぎては、
「成長」がなくなってしまいます。
「成長」しなくなっては「価値」がなくなってしまいます。




企業には、顧客から期待された使命があり、ミッションがあります。


L・W・ポーターとE・E・ローラーの期待理論では、
期待感×主観的価値(魅力)によって、
やる気引き起こすとされています。




期待感とは、顧客の期待感、スタッフの期待感、市場の期待感、…。
主観的価値(魅力)も同様。




お客様は常に会社からの価値提供を待っています。



こういう時代だからこそ、
一丸となった草莽崛起の精神が多くの企業に望まれるのです

日本人なら必ず知っておきたいこと

『君が代』ができるまで




僕が世界に誇れる日本美として
挙げたいものの一つが『君が代』である。

『君が代』は長い間、軍国主義の
象徴のように捉えてきたが、
調べを進めるに従って、
決してそうではないことが分かってきた。


『君が代』の起源を辿ると、
その最も古い形は、『古今和歌集』の賀歌
(祝賀の際に歌う歌)の部のはじめに、
「題しらず よみ人しらず」として
掲げられた次の歌であるという。


「我君はちよにやちよにさざれいしの巌と成て苔のむすまで」


「よみ人知らず」ということは、
本書が編まれるずっと以前から
人々の間に歌い継がれてきたわけで、
ざっと千二百年ぐらい前の歌と考えられるだろう。

国学者の本居宣長は『古今集遠鏡』において、
この歌を次の平易な言葉に訳している。


「コマカイ石ガ大キナ岩ホトナッテ苔ノハエルマデ
 千年モ万年モ御繁昌デオイデナサレコチノ君ハ」


宣長のいう「コチノ君」とは、
祝賀を受ける席の主賓を差し、
天皇ただ一人を意味しているわけではない。

これが江戸時代に入ると、流行り歌「隆達節(りゅうたつぶし)」の、


「君が代は千代に八千代にさざれ石のいわおとなりて苔のむすまで」


という歌詞になり、「君」は婚礼では新郎を差すなど、
祝賀の宴の主賓に向けられた寿歌として
広く庶民に歌われてきた。

さらにこの歌詞は全国に普及して、
薩摩の琵琶歌『蓬莱曲』の中にも取り入れられることになる。


そして明治二年、イギリスの軍楽隊長の



「外国の国々には必ず国歌というものがある。
 日本にも国歌を制定する必要がある」


という進言を耳にした薩摩藩砲兵隊長の
大山弥助(後の大山巌陸軍元帥)が、

「それを新たに作るよりも、
 古くから庶民に歌い継がれてきたもののほうが
 いいのではないか」
 
と考え、『君が代』の歌詞が国歌として選定されたのである。


実に千二百年以上もの歴史を有し、
庶民に歌い継がれてきた歌を、
以前の私のように、
また左翼系団体や日教組が目くじらを立てて、
「天皇絶対崇拝の歌」や「軍国主義の象徴」と捉えるのは、
いかにとんでもない言い掛かりであるかが
ご理解いただけるだろう。




長部日出雄(作家)

【教育勅語の十二の徳目】

孝行(こうこう) 親に孝養をつくしましょう
友愛(ゆうあい) 兄弟・姉妹は仲良くしましょう
夫婦(ふうふ)ノ(の)和(わ) 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう
朋友(ほうゆう)ノ(の)信(しん) 友だちはお互いに信じあって付き合いましょう
謙遜(けんそん) 自分の言動をつつしみましょう
博愛(はくあい) 広く全ての人に愛の手をさしのべましょう
修学(しゅうがく)習業(しゅうぎょう) 勉学に励み職業を身につけましょう
智能(ちのう)啓発(けいはつ) 知識を養い才能を伸ばしましょう
徳器(とくき)成就(じょうじゅ) 人格の向上につとめましょう
公益(こうえき)世務(せいむ) 広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう
遵法(じゅんぽう) 法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう
義勇(ぎゆう) 正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう

【知識・見識・胆識】

いつも申しますように、識にもいろいろあって、
単なる大脳皮質の作用に過ぎぬ薄っぺらな識は「知識」と言って、
これは本を読むだけでも、
学校へのらりくらり行っておるだけでも、出来る。

しかしこの人生、人間生活とはどういうものであるか、
或(あるい)はどういう風に生くべきであるか、
というような思慮・分別・判断というようなものは、
単なる知識では出て来ない。
そういう識を「見識」という。

しかし如何(いか)に見識があっても、
実行力、断行力がなければ何にもならない。
その見識を具体化させる識のことを「胆識(たんしき)」と申します。

けれども見識というものは、
本当に学問、先哲・先賢の学問をしないと、出て来ない。
更にそれを実際生活の場に於いて練らなければ、
胆識になりません。

今、名士と言われる人達は、
みな知識人なのだけれども、
どうも見識を持った人が少ない。
まだ見識を持った人は時折りあるが、
胆識の士に至ってはまことに寥々(りょうりょう)たるものです。
これが現代日本の大きな悩みの一つであります。


 『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)

【煩厭うは大病】

貝原益軒が
「煩を厭うは是れ人の大病である」
とその随筆集『慎思録』に書いております。

わずらわしいことを避けて、
なるべく簡単にしようとするのは人間の大病であって、
そのために人事に関する問題が駄目になり、
事業が成功しません。

どんなにわずらわしい事が多くても、
すべて自分のことは自分でやらなければなりません。

いくらうるさい、わずらわしことであっても、
意外に苦労が少なくて成功するものです。



安岡 正篤

清く、明るく、正しく

神道の

清さの原点は「大海原の水の清さ」

明るさの原点は「太陽の輝きの明るさ」

正しさの原点は「杉や檜の直立する様子」



に置かれてます。

「どうしたら、お金持ちになれますか?」
よく聞かれます。

「どうしたら、お金持ちになれますか?」

そりゃ、お金があればそれにこしたことはありません。

あればあるだけ何でも買えちゃうし、願いが叶っていく。

お金持ちになりたいっ!……多くの人の切実な願いです。

でもね。

お金には気まぐれな羽が生えていて、
追えば追うほど逃げていきます。
お金は追うものではないのです。

お金は愛してください。

お金を愛すれば、感謝の気持ちが生まれます。
関わってくれている全ての人に「ありがとう」が言いたくなるし
喜びを分かち合いたいと感じるようになります。

そうなれば

喜びが喜びを生み、大きな波となって広がり
お金に愛されるようになります。

お金に愛されれば、お金が集まってくるのです。

お金は追うものでなく、愛すれば愛される。


ただし ひとつだけ 大切な話があります。

お金持ち=幸せな人生

とは限らないということ。  

持てるお金はある程度、生まれながらに決まっています。

もちろん
創意工夫と努力によってその幅を広げていくことは可能です。

ただ
分不相応なお金を望めば…人生は確実に軌道がはずれてしまうのです。

だから
お金を追うのでなく

まずはお金を愛しましょう!

一途に! ひたむきに! 

喜神

第一に心中常に「喜神」を含むこと。

神とは深く根本に指していった心のことで、

どんな苦しいことがあっても、

心の奥の方に喜びを持つということです。

実例で言えば、人から謗(ソシ)られたり、

あられもないことを言われると、

憤(イキドオ)るのが、人情であるが、

たとえ起こっても、その心のどこか奥に、

「イヤこういうことも、実は自分を反省し、

錬磨する契機になる。

そこで自分という人間ができてゆくのだ。

結構、ありがたいことだ」と思うことです。

人の毀誉褒貶(キヨホウヘン)なども、

虚心坦懐に接すれば案外面白いことで、


これが「喜神」です

春夏秋冬

人に接するときは、暖かい春の心。

仕事をするときは、燃える夏の心。

考えるときは、澄んだ秋の心。

自分に向かうときは、厳しい冬の心

「穴は深く掘れ。直径は自ずから広がる」

  「穴を深く掘れとは、
   仕事を一所懸命深掘りすることだ。

   深くなればなるほど直径は広がっていく。
   この直径は人の輪、交流だな」



松尾新吾(九州電力会長)


人を見る一つの物差しとして、
この人は自分の仕事を深く掘り下げようとしているのか、
直径だけを広げようとしているのかを
判断の基準に置いている、といいます。

「深く掘る」とは、換言すれば、
仕事に精通し、プロになること。
その過程で、人との固い絆が生まれます。

そうした本当の絆を持たない人は、
いくら知り合いが多くても、
人間的深みに欠け、人間関係も
希薄であるということなのかもしれません。

靖国神社

靖国神社は
黒船来航から大東亜戦争まで
日本が近代国家を形成し
弱肉強食・人種偏見が当然のこととして
許されていた国際社会の中で
必死の生き残りを賭けた激動の時代に
日本国のために命を捧げた戦没者等を
英霊としてお祀りしています
その数は246万6500くらいといわれています

足るを知り、足るを知らしめよ

狭い小道では、他人に一歩を譲り、

美味しい物は腹七分で満足して三分を他人に分け与えるのが、

世の中を楽に楽しく生きて行く秘密の方法である。

つまり、これこそが謙譲の美徳と現世利益なのだ。

言い換えれば、譲って失うものより、

見返りとして得るものの方がはるかに大きい。



■菜根譚 前集13項 

競争より協奏、強調より協調


利益は、他人に先じて手に入れようとしてはならないし、

善行は、他人に遅れてはならない。

報酬は、限度を超えて貪るな、

修養は、できる限りの努力を怠るな。

つまり、活人の道は強欲には向かわず、

公正に向かうべしということ。

言い換えれば、

競争より協奏、強調より協調こそが、

活人道と言えるだろう。




■菜根譚 前集16項 

変革

「最も強い者が生き残るのではない。

最も賢い者が残るのでもない。

唯一生き残るのは変化する者である。」




(チャールズ・ダーウィン)

人間を一流に導く根源

現状への妥協、満足、限定、
これは二流のラインにとどまらせる根源です。


何も感じない。
何も考えない。

鈍感は二流の思想とイコールです。
二流の思想では決して一流にはなれません。



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プロフィール

矢野 一成

Author:矢野 一成
愛媛県新居浜市 アール塾塾長

備忘録、すなわち
忘れたときのために備えて、
書きとめておく、
個人的な雑記帳です。

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