日本一アツイ教育を実践する男が語るBLOG

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至誠

「故(ゆえ)に至誠(しせい)は息(や)む無(な)し。
息(や)まざれば則(すなわ)ち久(ひさ)しく、
久しければ則(すなわ)ち徴(しるし)あり」


中庸


「至誠」というのは天の心であり、聖人の心です。
その心はもちろん本気です。
「息む無し」とは休む時がないという意味です。
つまり、本気だから久しく続くということ。
すると、ある時、ひょこっと兆しが現れてくる。
これを「久しければ則ち徴あり」といっています。

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『不況克服の心得十ヶ条』

第一条 「不況またよし」と考える

 不況に直面して、ただ困ったと右往左往していないか。不況こそ改善へのチャ
 ンスであると考える前向きの発想から、新たな道もひらけてくる。

  ⇒現状を事実としてしっかり受け止めよう。そしてどうするかを見極めていこう。


第二条 原点に返って、志を堅持する

 ともすれば厳しさに流されて判断を誤りやすい不況こそ、改めて原点に返り、
 基本の方新に照らして進むべき道を見定めよう。そこから正しい判断も生れ、
 断固といた不況克服の勇気と力が湧いてくる。

  ⇒一度原点、基本に戻ろう。そして自分の気持ちや考えを確かめよう。


第三条 再点検して、自らの力を正しくつかむ

 ふだんより冷静で念入りな自己評価を行い、自分の実力、会社の経営力を
 正しくつかみたい。誤った評価が破綻を招くのである。

  ⇒敵を攻める前に己を見直し、己を知ろう。己の強みや弱みを知っておこう。


第四条 不撤退の覚悟で取り組む

 なんとしてもこの困難を突破するのだという強い執念と勇気が、思いがけな
 い大きな力を生み出す。不況を発展に変える原動力は烈々たる気迫である。

  ⇒ことに取り組む自分の気持ちを確かめる。情熱を持ってことに当たろう。


第五条 旧来の習慣、慣行、常識を打ち破る

 非常時ともいえる不況期は、過去の経験則だけでものを考え行動してもうま
 くはいかない。これまでの当然のこととしてきた習慣や商売の仕方を、
徹底的に見直したい。

  ⇒発想の転換を図ろう。思い切って逆転の発想を。常識を疑ってみよう。
   オズボーンのチェックリストも活用しよう。打つ手は無限だ。


第六条 時には一服して待つ

 あせってはならない。無理や無茶をすれば、深みにはまるばかりである。
 無理をせず、力を養おうと考えて、ちょっと一服しよう。そう腹を据えれば、
 痛手も少なくなる。終わらない不況はないのである。

  ⇒時には一息つこう、一服しよう。見えないものも見えてくる。

   いま、わが国は100年に一度の大不況、人口減、市場縮小時代に入っ
   たともいわれています。あわてず騒がずにちょっと一休みして、これから
   のビジョンやビジネスプラン(事業計画書)を作り直すのもよしでしょう。

第七条 人材育成に力を注ぐ

 「苦労は買ってでもせよ」というが、不況とはその貴重な苦労が買わずと
 も目の前にあるときである。
不況のときには出来ない人材育成の絶好の機会としたい。

  ⇒プラスになる人との人脈を拡げよう。良い仲間を増やそう。


第八条 「責任は我にあり」の自覚を

 業績低下を不況のせいにしてはいないか。どんな場合でも、なり方いかん
 で発展の道 はある。うまくいかないのは、
自らのやり方に当を得ないところがあるからである。

  ⇒すべては自己責任だ。種は自分で蒔いている。


第九条 打てば響く組織づくりを進める

 外部環境の変化に対する敏感な対応は、よい情報も社員からどんどん上がってくる、
お互いの意思が縦横に通いあう風通しのよい組織であってこそ可能となる。

  ⇒情報は発信するところに集まってくる。自分の思いは正しく伝えること、
   発信すること。口頭で、書面で、メールで、ホームページ等々。


第十条 日頃からなすべきをなしておく

 不況時は特に、品質、価格、サービスが吟味される。その吟味に耐えられ
 るように、日ごろからなすべきことをなしていくことが必要である。

  ⇒当たり前のことを当たり前に。あいさつ、返事、後始末、時間を守る、
   約束を守る・・・・・、そして夢を見ること。



「故(ゆえ)に君子(くんし)はその独(ひと)りを慎(つつし)むなり」

君子は独りを慎む。

すなわち慎独(しんどく)です。


(君子にもさまざまな種類がありますが、
ここでいう君子は成徳といって、
徳の非常に優れた立派な人物のこと、
あるいは立派な人物になろうと志して
努力している人を指しています)

誰に見られることがなくても独り、自らを律していく。

これは、東洋の道徳において最も重要なものです。


憂い


むかしの人の詩にありました

君看よ、双眼の色
語らざれば、憂い無きに似たり

憂い・・・が無いのではありません
悲しみ・・・が無いのでもありません
語らない、だけなんです
語れないほど、深い憂い-だからです
語れないほど、重い悲しみ-だからです

人にいくら説明したって
まったくわかってもらえないから
語ることをやめて
じっと、こらえているんです
文字にも、ことばにも
到底表わせない
深い憂い-を
重い悲しみ-を
心の奥深く、ずっしり沈めて
じっと黙っているから
眼(まなこ)が澄んでくるのです

澄んだ眼の底にある
深い憂いのわかる人間になろう
重い悲しみの見える眼を持とう

君看よ、双眼の色
語らざれば、憂い無きに似たり

語らざれば、憂い無きに似たり


相田 みつを

「喜者皆美(きしゃかいび)」

鍵山 秀三郎さんの著書に
「喜者皆美(きしゃかいび)」という言葉があった。

喜ぶ者は、皆美しいという意味です。

たしかに、どんな人でも、

喜んでいるときの顔は実に美しいものです。

美しい人に接していると、自然に心も浄化されます。

いつも清らかな心でいたいと願うのであれば、

どうすれば人を喜ばすことができるかを考えることですね。

わたしが一番きれいだったとき


     わたしが一番きれいだったとき
     街々はがらがら崩れていって
     とんでもないところから
     青空なんかが見えたりした


       わたしが一番きれいだったとき
       まわりの人達が沢山死んだ
       工場で 海で 名もない島で
       わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった


     わたしが一番きれいだったとき
     だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
     男たちは挙手の礼しか知らなくて
     きれいな眼差だけを残し皆発っていった


       わたしが一番きれいだったとき
       わたしの頭はからっぽで
       わたしの心はかたくなで
       手足ばかりが栗色に光った


     わたしが一番きれいだったとき
     わたしの国は戦争で負けた
     そんな馬鹿なことってあるものか
     ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた


       わたしが一番きれいだったとき
       ラジオからはジャズが溢れた
       禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
       わたしは異国の甘い音楽をむさぼった


     わたしが一番きれいだったとき
     わたしはとてもふしあわせ
     わたしはとてもとんちんかん
     わたしはめっぽうさびしかった


       だから決めた できれば長生きすることに
       年とってから凄く美しい絵を描いた
       フランスのルオー爺さんのように
    

                     
               (詩集「見えない配達夫」から)

日用心法

第一、毎日の飲食を適正にやっているか。

第二、毎晩よく眠れるか。

第三、自分の心身に影響を与えているような悪習慣はないか。

第四、適当な運動をしているか。

第五、日常生活上の出来事に一喜一憂しやすくないか。

第六、精神的動揺があっても、仕事は平常どおり続け得るか。

第七、毎日の仕事に自分を打ち込んでいるか。

第八、自分は仕事にどれだけ有能か、自分は仕事に適するか。

第九、現在の仕事は自分の生涯の仕事とするに足りるか。

第十、仮に自分の仕事がどうしても自分に合わぬ、
   自分の生活が退屈であるとすれば、自分の満足は何によって得るか。

第十一、自分が絶えず追求する明確な問題を持っているか。

第十二、自分は人に対して親切か、誠実か。

第十三、自分は人格の向上に資するような教養に努めているか。

第十四、特に何か知識技術を修めているか。

第十五、自分は何か信仰・信念・哲学を持っているか。



 『安岡正篤 一日一言』より

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運とツキ

物事に悲観的になっている人やしょげている人には、
けっして運とツキはおとずれません。
明るく頑張っている人、努力を惜しまない人に
運とツキはやってくるものです。


必ず勝とうとする気持ちが相手よりも強く
情熱が長続きしたところが勝つ。


運とツキに恵まれたければ自分をごまかさないこと。
他力本願では運とツキはやってこない。

自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
     ひとのせいにはするな
     みずから水やりを怠っておいて

     気難かしくなってきたのを
     友人のせいにはするな
     しなやかさを失ったのはどちらなのか

     苛立つのを
     近親のせいにはするな
     なにもかも下手だったのはわたくし

     初心消えかかるのを
     暮しのせいにはするな
     そもそもが ひよわな志にすぎなかった

     駄目なことの一切を
     時代のせいにはするな
     わずかに光る尊厳の放棄

     自分の感受性くらい
     自分で守れ
     ばかものよ

            (詩集「自分の感受性くらい」から


みんな来た道往く道じゃ

みんなが認めてきた道じゃ

 怒るな笑うな往く道じゃ

 来た道往く道独り道

 みんな来た道往く道じゃ

 これから通る今日の道

 通りなおしの効かぬ道

 今やらねばいつ出来る

 わしがやらねば誰がやる


六方拝

 お釈迦様は東西南北と天地、要するに
 すべてに感謝しなさいと言われました。
 
 これをアレンジして、
 東に向かって先祖に、西に向かって家族に、
 南に向かって恩師に、北に向かって友人に、
 そして天地に向かって自然に感謝してみよう。



 また、用紙に自分の名前を中心に書いて、
 その周りに恩師とは誰なのか、
 家族には何を感謝するのか、ということまで
 明確に書きこんでみましょう。

 私たちは、生かされているという感覚を
 養っていただきたいものですね。

創意工夫

いい商材やアイデアがあっても、
そこで終わっている場合が多々ある。
今一歩、進めてみる。もう一段の創意工夫をすることが大切。
よく考えてみること。
「考」(考える)と言う字と「老」と言う字をよく見みてみよう。
字の下の部分であるが、途中で終わると「老」になってしまうが、
そうせずにぐっと下に伸ばして、
左に曲げれば、「考」という字になる。
途中で止めずに、もっと考えよ。
途中でやめれば「老い」になってしまう。
いい仕事をして顧客満足度を上げる。
スピードを上げる。いい現場作りをする。
現場で指揮を取る者の意識を上げる。
全員のモチベーションを上げる。

無字の書

 学は自得(じとく)するを貴(たっと)ぶ
 人徒(いたず)らに目を以(もっ)て
 字有るの書を読む。
 故(ゆえ)に字に局(きょく)して、
 通透(つうとう)するを得ず。
 当(まさ)に心を以て字無きの書を読むべし。
 乃(すなわ)ち洞(とう)して自得する有らん。


佐藤 一斎

学問は本心において体得することが大事である。
ところが、世の中の人はいたずらに
目で文字の書かれた書物を読むだけである。
そのため、文字に囚われて、
その背後にある物事の道理を見通すことができない。
心眼を開き、文字の書かれていない書、
すなわち実社会の諸々の事象を読み解いて、
自らの修養とすべきなのである。そうすれば、
悟りを得て自らの本心に体得することができるだろう。




始めなければ始まらない

面倒なこと、

気乗りしないことに手をつけるのを、

一日延ばしに延ばしていないか。

早くやらなければ、と気にしながらも、

いたずらに

時を費やしていたのでは、

事態は益々悪くなる。

難しく考える必要はない。

取り組みやすいところからでいい。

肝心なのは、

まず始めること。

始めなければ何事も

始まらないのである。

『思い』で人生が決まる

19世紀後半アメリカで活躍した啓蒙思想家

ラルフ・W・トラインは

 あなたが抱く、どの考えも力となって出ていき

 どの考えも同じ考えを引き連れて戻って来る



心に佳き思いを持った時

それはよき力となって出ていき

よき結果を連れもどってくる

利他と利己

ある時、若い雲水がご老師に、
「地獄、極楽というものは本当にあるのでしょうか」と尋ねたというのです。
禅宗と言うのは、来世のことについてはほとんど教えないからでしょう。
その雲水は問います。
地獄に行くと閻魔大王や怖い鬼がいて、
人が現世で犯した悪行の報いを受ける、
一方の極楽は大変素晴らしい所だと子供の頃から聞かされてきましたが、
そんなものが本当にあるのでしょうかと。

ご老師はすかさず、「うむ、確かにある」と答えます。
雲水は「どんな所なのですか、地獄と極楽というのは」と聞きます。
そして、ご老師は静かに語り始めました。
実は、地獄も極楽もちっとも変わらない。
少し見ただけでは同じような場所なのだ。
けれども、そこに住む人たちの心が違う。

例えば釜揚げうどんはとてもおいしいだろう。
地獄にも極楽にもそれはそれは大きな釜があって、
お湯がぐつぐつ煮立っている。
うどんを湯がいているその大きな鍋の周りを、
腹をすかした者たちが10人も20人も取り巻いている。
手にはつけ汁のお椀と2mもある長い箸を持っている。
ここから先が違うのだ。

地獄では、みんなが我先に争って箸を突っ込む。
何とか、うどんをつかむことはできるのだけれども、
箸が2mもあるものだから手元のつけ汁のお椀にまで
持ってくることができないし、
食べることもできない。
そうこうするうちに、
向こう側にいる者が箸先に引っ掛かっている
うどんを横取りしようとするので、
「それは俺のもんだぞ、食うな」と怒り、
相手を箸の先で叩き、突く。
すると「何を、この野郎」と相手も突き返してくる。

そんなことがそこらじゅうで始まって、
うどんは鍋から飛び散ってしまって、
誰も1本も食べられずに、
殴り合いの喧嘩が始まってしまう。
もう阿鼻叫喚の巷と化してしまうのだ。
それが地獄なのである。


では、極楽というのはどうなっているのか。
極楽にいる者は皆、利他の心、
他人を思いやる美しい心を持っている。
2mの箸でうどんをつかんだら、
釜の向こう側の人のつけ汁につけて、
「さあ、あなたからお先にどうぞ」と言って
食べさせてあげる。
すると、今度は向こう側の人が同じように
自分に食べさせてくれる。
1本たりともうどんを無駄にすることなく、
みんながおなかいっぱい食べられる。

地獄と極楽は確かにある。
人の心のありさまがそれらを作り出すのだよと、
ご老師は若い雲水に話して聞かせたというのです。


永久に

               
水はうたいます 川をはしりながら
               
海になる日の びょうびょうを
                
海だった日の びょうびょうを
               
雲になる日の ゆうゆうを
                
雲だった日の ゆうゆうを
               
雨になる日の ざんざかを
                
雨だった日の ざんざかを
               
虹になる日の やっほうを
                
虹だった日の やっほうを
               
雪や氷になる日の こんこんこんこんを
                
雪や氷だった日の こんこんこんこんを


               
水はうたいます 川をはしりながら
                
川であるいまのどんどこを
                
水である自分のえいえんを



木村 将人

感動

感動が、一日一日逃げていく
感動が、一瞬一瞬逃げていく
その一瞬を逃がすことは
永久にそれを失うことだ
逃した感動のあとには
うつろな心のみが残る

つかまえた感動は
次々と新たな感動を生みだす
その彼我にあるものは
ただ一瞬の沈思にすぎぬ
ただ一行の文字にすぎぬ

その一瞬をとらえることの難しさ
その一行をとらえることの難しさ

感動をとらえなければならぬ
この一本のペンで
確実につかまえなければならぬ

石を思え

腹の立つ時は 石を見よ

千万年も黙って 濁世のなかに

坐り続けている 石を思え



坂村 真民

清く、明るく、正しく、素直に

考えや行動の動機は、清く

辛くても、明るを忘れずに、

判断は、欲得ではなく、正しか、正しくないか

大自然の摂理に対して、素直に生きる。

正しい「考え方」

つねに前向きで、建設的であること。

みんなと一緒に仕事をしようと考える協調性を持っていること。

明るい思いを抱いていること。

肯定的であること。

善意に満ちていること。

思いやりがあって、優しいこと。

真面目で、正直で、謙虚で、努力家であること。

利己的ではなく、強欲ではないこと。

「足るを知る」心を持っていること。

そして、感謝の心を持っていること。




稲盛 和夫

日本の活路

世界的歴史学者アーノルド・トインビーの発言をご紹介しよう。

トインビーは神道を高く評価し、「日本の活路」で言った。

「戦後、日本人は近代化の道を邁進してきたが、

その見返りとして心理的ストレスと

絶えざる緊張にさらされている。

それは産業革命がもたらすまぬがれない代価である。

ところが神道は、人間とそのほかの自然との

調和のとれた協調関係を説いている。

日本国民は、自然の汚染によって

すでに報いを受け始めているが

実は神道の中にそうした災いに対する

祖先伝来の救済策を持っているのである。」。

5S

整理・整頓・清掃・清潔・躾

笑顔

笑顔は人に話をさせます。

笑顔は人を安心させます。

笑顔は人を喜ばせます。

笑顔は人を引き寄せます。

笑顔は人をリラックスさせます。

笑顔は人に一緒にいたいと思わせます。

笑顔は人を許します。



笑顔はあなたに何をもたらしてきましたか?


幸せだから笑顔になれるというわけではありません。

笑顔だから幸せを感じることができるのです。


笑顔で不幸には絶対なれません。

原因と結果の法則

原因と結果の法則とは?
 
ジェームズ・アレンは、次のように書いています。

 私たちがこれまで考えてきたこと(原因)が、

私たちを、いまの環境(結果)に運んできたのです。
 

自分の現在(の環境)は、

自分の過去の行動の積み重ねの結果として生まれている。

行動は思考から生まれる。
 
つまり、過去の自分の考えという原因が

今の環境という結果を生み出している、

ということではないでしょうか。

発顕還元の原理

二宮尊徳の「たらいの水」の話があります。


「欲を起こして水を自分の方にかきよせると、向こうに逃げる。

人のためにと向こうに押しやれば、わが方にかえる。

人の幸せも、物質も、お金も みんな同じである。」

ということです。




このことを「発顕還元の原理」というんです。

報徳思想(ほうとくしそう)は、
二宮尊徳が説き広めた思想であり、経済学説のひとつ。
経済と道徳の融和を訴え、私利私欲に走るのではなく
社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されると説く。
たらいの中の水に例えることも多い。

不屈不撓(ふくふどう)

「新しき計画の成就には、
ただ、不屈不撓(ふくふどう)の一心にあり。
さらばひたむきににただ想え。
気高く強く一筋に」



中村 天風


新しい計画の実現を望むのであれば、

どんなことがあろうとも、

けっしてあきらめず、

ただひたむきに気高く、

強烈に思い描き続けることが大切だ。

そうすれば

どんな難しい目標であろうとも、

必ず達成できる。

有意注意

目的を持って真剣に意識を集中することを
有意注意といいます。
私たちはどんなときでも、
どんな環境でも、
どんなささいなことであっても、
気を込めて取り組まなくてはなりません。
最初は非常に難しいことのように見えますが、
日頃、意識的にこれを続けていると、
この有意注意が習慣になってきます。
そうなれば、あらゆる状況下で気を込めて
現象を見つめるという基本ができていますから、
何か問題が起きても、
すぐにその核心を掴み、
解決ができるようになります。
物事を、ただ漫然とやるのではなく、
私達は日常どんなささいなことにでも
真剣に注意を向ける習慣を身に付けなければなりません。

この「有意注意」というのは、
自分から意識をそちらのほうに向けて、
一生懸命その事に意を注ごうということです。
意というのは自分が持っている意識です。
これに対応しますのに無意注意があります。
これは何も心しないで、
たとえばパタッと音がしますと、
ちょっと雑音がするとポッと振り返る。
なんだろうと思って見る場合は有意注意なのですが、
なんだろうではなしにフッと見る。
そういうのを無意注意と言います。

日常起こってくるどのようなことでも、
事は小さいように見えても、
自分の会社にとっては非常に重要なことばかりのはずです。
ところが重要なはずなのに実は、
まあ大したことはないわ、
簡単なことやないかというので、
あまり深くも考えないで、
フムフム、ウンウンと聞いたり、
または人さんの話をウンウンと聞いたりというのが、
我々の実際の仕事をしている通常の姿だと思います。



稲盛 和夫

読書

読書ということは、修養の上では、比較的たやすい方法ですね。

したがってそれさえできないような人間では問題にならないですね。

つまり真の修養というものは、

単に本を読んだだけでできるものではなくて、

書物で読んだところを、

実行して初めて真の修養となるのです。

それゆえ書物さえ読まないようでは、

まったく一歩も踏み出さないのと同じで、

それでは全く問題になりませんね。

仮に日々善行はできないとしても、

せめて書物だけは、

毎日多少でも読むようにせねばならないですよね。



食物ですと、

一食たべなくてもすぐに体にこたえます。

いや、一食どころか、

一時間遅れても不平たらたらでしょう。

ところが肝心の心の食物となると、

日抜けようと、一向平気な人が多いようです。

しかし人間も、読書をしなくなったら、

それは死に瀕した病人が、

もはや食欲がなくなったのと同じで、

肉体は生きていても、

精神はすでに死んでいる証拠です。

ところが人々の多くは,この点が分かってないようです。

それというのが、人々は、

欲をもって心と誤り考えているからでしょう。

だから「お前の心はもう死んでいるぞ」と言われても

「何、そんなことあるか」と一向平気でいるのですが、

心が生きているか死んでいるかは、

何よりも心の食物としての読書を欲するか否かによって、

知ることができるのです。

これこそ自分の心の死活をはかる、

なによりのバロメーターと言ってよいでしょう。

【老の三つの意味】

“老”という文字には三つの意味がある。

一つは年をとる。

二つは練れる。

三つは“考”と通用して、思索が深まり、完成するという意味だ。

老いるとは単に馬齢を加えることではない。

その間に経験を積み、思想を深め、

自己・人生を完成させてゆく努力の過程でなければならない。

これを “老計” という。

それには先ず学ぶことだ。学問は年をとるほどよい。

百歳にもなっての学問は、実に深い味があろうと思う。

老いてボケるというのは学問しないからにすぎない。

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プロフィール

矢野 一成

Author:矢野 一成
愛媛県新居浜市 アール塾塾長

備忘録、すなわち
忘れたときのために備えて、
書きとめておく、
個人的な雑記帳です。

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