日本一アツイ教育を実践する男が語るBLOG

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「存在」

 ざこは

 ざこなり

 大海を泳ぎ

 われは

 われなり

 大地を歩く



坂村 真民


「我行精進、忍終不悔」(わが行は精進して忍んで終に悔いじ)。

修行に完成はない。
修行して修行して、
この道をあくまでも歩み続ける。
そのことに悔いなどあろうはずがない。
それこそが生きるということなのだ。

その決定心を毎晩刻み込んでいる真民先生の姿に
粛然とするものがあります。

詩人になるために詩を書くのではない、
自己を成熟させるために詩を書くのだ、とは
常々真民先生のおっしゃっていることです。
それは、先生の多くの詩で確かめることができます。
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まずできるかできないかということを忘れなさい

【断(だん)じて之れを行へば】

 断じて之れを行へば、
 鬼神(きじん)も之れを避く。
 
 大事を断ぜんと欲せば、
 先(ま)づ成敗(せいはい)を忘れよ。


【訳】
 
 決心して断行すれば、
 何ものもそれを妨げることはできない。

 大事なことを思い切って行おうとすれば、
 まずできるかできないかということを忘れなさい。



『吉田松陰一日一言』より

事業に失敗するこつ十二か条

●第一条
  旧来の方法が一番よいと信じていること



●第二条
  餅は餅屋だとうぬぼれていること



●第三条
  ひまがないといって本を読まぬこと



●第四条
  どうにかなると考えていること



●第五条
  稼ぐに追いつく貧乏なしとむやみやたらと骨を折ること



●第六条
  よいものは黙っていても売れると安心していること



●第七条
  高い給料は出せないといって人を安く使うこと



●第八条
  支払いは延ばす方が得だとなるべく支払わぬ工夫をすること



●第九条
  機械は高いといって人を使うこと



●第十条
  お客はわがまま過ぎると考えること



●第十一条
  商売人は人情は禁物だと考えること



●第十二条
  そんなことはできないと改善せぬこと

ほんもの

 追いつめられて
 初めて人間は
 本ものになる
 
 だから本ものになるためには
 絶体絶命の瀬戸ぎわに
 立たされねばならぬ
             


『坂村真民一日一言』より

信念

物事を実現するか否かは、

まずそれをやろうとした人が

出来ると信じることから始まる


永守重信(日本電産社長)

【事を済(な)すは誠(まこと)に在り】


【訳】
 物事をきちんとやり遂げることができるのは、
 まごころだけである。

             『吉田松陰一日一語』より

まずは、やってみよう

 人生はまず自分の手近にある義務を果たすことです。
 そうすれば自ずから先が見えてくる。

 人間や人生の意義は、何よりもやってみること、
 実践躬行するところにある。

 そして人間、死んだ気になってやり通せば、
 どんなことでも成し遂げられないことはない。



●李登輝氏(台湾元総統)

技術大国にっぽん

私自身は日本人の持つ素質に
まったく絶望していないんですよ。

しかしただ一つだけ危惧することがあるんです。
私は以前にも世界の国家は
「政治国家・経済国家・技術国家」の三つに分かれる
と述べたことがあるんですが、
日本はやはり技術国家、職人国家だと思うんです。

この技術国家は強くて、最後まで生き抜く力がある。

 けれどもそのために必要な職人精神が
 日本から徐々に失われつつある。
 これが一番の心配です。
 
 例えばソニーが技術以外の分野で商売をしようとして
 事業を失敗したでしょう。
 技術メーカーは技術一筋で取り組むべきなんです。
 
 小説家なら小説だけやればいいんです。
 他のことを考えるとダラクするの。


 いま日本の陶器は本当に売れなくなった。
 その理由は、まず家で料理をしなくなったこと。
 そして買ってきたお惣菜をそのまんま出して食べる。
 
 家で料理をしないことは、非常に大きな技術の崩壊であり、
 家庭の崩壊の始まりだと私は思うんです。

 この間、お箸を作っている職人さんの話をテレビで見ました。
 お箸って真っ直ぐなものだと思っていたら
 わずかに反らすんですって。
 
 そうすると汚れた箸先がテーブル面に付かずに済む。
 そういう卓越した技術力がほんの僅かな誤差も
 許さないコンピュータチップの開発などへ
 繋がってくるんですね。

 いずれにせよ、技術国家は
 何があっても守らなきゃいけません。
 私たちにとって最後の砦ですから。
 
 日本は政治大国にも経済大国にもなりようがない。
 またそんなものにならなくてもいいんです。



曽野綾子(作家)

故買(こばい)

盗品と承知して買うこと。


質屋さんや骨董屋さんはご存知でしたでしょう。

盗品と知っていて買ったのならばもちろん犯罪。

知らなくても本当の所有者が現れた場合は、

所有者に無償で返さなくてはいけないようです。

質屋に預ける品を「質草」と言いますが、

なぜ「草」なのでしょう。


質草(しちぐさ)
抵当として質におく品物。質種(しちだね)

元々は「質種」と書いて「しちくさ」と読みました。

「種」は「くさ」とも読むんですね。

「種/草」(くさ)は、何かを生ずる原因・材料、たねのこと。

「質草」「語りぐさ」「お笑いぐさ」のように濁ります。

「故買」と同じ意味の言葉に、

「窩主買い」(けいずかい)があります。

盗品であることを知りつつ売買すること。
また その人。故買。系図買い。

「窩」は あなぐら。
読みは、カ・ワ

腋窩・眼窩・蜂・心窩 などの熟語があります。

「窩主」は、
盗賊を匿ったり、盗品を隠したりすること。
また、そのものやそれを行っている宿。

この言葉も初です。

「故買」も「窩主買い」もワープロ変換できません。


「系図買い」(けいずかい)を見てみると、
1、貴族の系図を買って家の格を高く見せたこと。
2、縁組などの際、系図を重くみること。
3、窩主買い


室町末期の戦国時代、

のしあがって戦国大名になった諸国の土豪や武士たちは、

対面を保つために立派な系図を捏造したようです。

さらに江戸時代になると、

系図買い・系図作りなどの商売が

中流武家社会で繁盛している事実もあるそうです。

そう聞くと、系図も信憑性が問われますね。

物事を理解する2つのやりかた

一、自分がよく知っている要素に

  分解し、分析して理解する


二、自分がよく知っている別のものに

   たとえて理解する

プロとアマの差

 サラリーマンというのは、時間単位で
 賃金を得る労働者なんです。
 しかし職人の世界は、一つの仕事に掛かる時間を
 まったく問題にしない成果主義。
 
 アマとプロとのはっきりした違いはここですよ。

 例えば原稿用紙十枚の短編が二時間で書き上がることがある。
 一方、同じ枚数を書くのにいろんな取材をして資料を集め、
 一か月掛かることもある。
 
 だからといって私は出版社に
 「その分、原稿料を高くしてください」と言うことはない。
 時間単位で働くのではなく、
 自分自身の仕事に一心に懸けていくのが職人の世界。
 
 かつての日本人はそういう姿勢で自分の仕事に取り組み、
 その精神が技術大国日本を支えてきたんですね。



 曽野綾子(作家)

【否定の価値】

そもそも精神というものは、
それが真に伸びるためには、
必ずや何らかの意味において、
一種の否定を通らねばなりません。

すなわち、
この否定という浄化作用、
すなわち自己反省というものを通らずに伸びたのは、
精神としては真に伸びたのではなくて、
かえって度のすぎたものとして、
結局欠点になるわけです。

                   『「修身教授録」一日一言』より

『想う』と『思う』

「おも(う)」という訓読みが常用漢字表に載っているのは
「思う」だけだということ。
公文書や教科書、新聞記事などに「想う」を用いることはありません。

ただし、一般社会では、「想う」も好んでよく使われます。
「想う」が禁止されているわけではありません。

その使い分けに関して、
「『ことば』シリーズ29 言葉に関する問答集14」(文化庁)では、
次のように述べています。

「思う」は一般的に広くおもう場合に使われ、
思考・思案・思索・思慮・意思
などの漢語をつくるが、

「想う」はある対象を心に浮かべるという気持ちが強く、
想起・回想・追想・感想・予想・夢想・空想・発想
などの漢語を構成する。
特に、想を練る・楽想・構想・詩想などの語は、
絵画や音楽・小説などの
組み立てについて考えるという意味を表している。
以上から次のように結論づけられると”思い”ます。
広く「思う」が使われるが、
「ある対象を心に浮かべる」という気持ちが強い場合や、
「芸術作品の構想を考える」という場合には、
「想う」が用いられることも多い。

「人は生きてきたように死んでいく」


 人は生きてきたように死んでいくということです。
 これは私の実感ですね。

 ですから、しっかり生きてきた人は
 しっかり亡くなっていかれますし、
 表現はおかしいけれども
 ベタベタ生きてきた人はベタベタ亡くなっていく。
 
 それから、周りに感謝をして生きてこられた人は、
 我々にも感謝をして亡くなられるし、
 不平ばかり言って生きてきた人は
 不平ばかり言って亡くなっていくんですね。

 
 このことは、よき死を迎えるためには、
 よき生を生きなければいけない、ということを
 教えてくれていると思うのです。

 では、よき生というのはいったい何か。
 
 そこには個人の主観がだいぶ入ると思うんです。
 
 Aさんにとってよき生とはこうだし、
 Bさんにとってよき生とはこうだというふうに、
 人によって皆違う。
 
 ただ、二千五百名の看取りの中で私が感じることは、
 やはり前向きな人生ということ、
 それから周りに感謝できるということ。
 
 その二つに集約されるような気がして仕方がないんです。

 
 物事には必ずプラスとマイナスがありますが、
 物事のプラス面をしっかり見た生き方をしてこられた方々。
 そういう方々の生は、やっぱり前向きで
 よき生なんだろうと思うんです。

 それから、感謝というのはとても重要な
 キーワードだと思うんです。
 
 家族に対して、周りの人たちに対して、
 最後に「ありがとう」と言いながら、
 そして自分も相手からありがとうと
 言ってもらいながら生を全うできるのも、
 よき生だと思うんです。

 そういう生を全うする人を、
 私は人生の実力者と呼んでいるのです。

       
       
            柏木哲夫(金城学院大学学長)
        
            

目先の欲に溺れない

遠きをはかる者は富み

近くをはかる者は貧す


二宮尊徳(篤農家)

【情熱と生命】

そもそも人間というものは、

情熱を失わない間だけが、

真に生きていると言ってよいのです。

内面的情熱の枯渇した時は、

すなわち生命の萎縮した時と言ってよいのです。



                  『修身教授録一日一言』より

四つの大事なこと

女が身につけるべき四つの大事なこと
一、子供のしつけ
二、家計のしまり
三、料理
四、そして最後が清掃と整頓

では男が身につけるべき条件はと問われそうです。
一、責任感
二、決断力
三、実行力
四、洞察力と言えましょうか。

【知識・見識・胆識】

いつも申しますように、識にもいろいろあって、
単なる大脳皮質の作用に過ぎぬ薄っぺらな識は「知識」と言って、
これは本を読むだけでも、
学校へのらりくらり行っておるだけでも、出来る。

しかしこの人生、人間生活とはどういうものであるか、
或(あるい)はどういう風に生くべきであるか、というような
思慮・分別・判断というようなものは、
単なる知識では出て来ない。
そういう識を「見識」という。
しかし如何(いか)に見識があっても、
実行力、断行力がなければ何にもならない。

その見識を具体化させる識のことを
「胆識」と申します。
けれども見識というものは、
本当に学問、先哲・先賢の学問をしないと、出て来ない。
更にそれを実際生活の場に於いて練らなければ、
胆識になりません。

今、名士と言われる人達は、
みな知識人なのだけれども、
どうも見識を持った人が少ない。
また見識を持った人は時折りあるが、
胆識の士に至ってはまことに寥々(りょうりょう)たるものです。
これが現代日本の大きな悩みの一つであります。


安岡 正篤

たかまのはら

民族の文化は、民族の原点の心を失うことなく

そのうえに時代の環境に順応して

民族は文化を維持し進化して生き続けている。

これを日本人は不易流行と言っている。





原点の民族の文化を忘れて

新しいことばかり求めれば

それは進化ではなく変化であって

蜃気楼のごとく滅びる。

これを日本人は温故知新という。

【神州(しんしゅう)必(かなら)ず滅(ほろ)びざるなり】

挫(ざ)するなかれ、折(くじ)くるなかれ。
神州(しんしゅう)必(かなら)ず滅(ほろ)びざるなり。


【訳】
途中で、挫けてはいけない。志を変えてはいけない。
日本は絶対に滅びないから。

                  

『吉田松陰一日一言』より

【緩ならず急ならず】

人の事を做(な)すは、
須(すべか)らく緩(かん)ならず急ならず、
天行(てんこう)の如(ごと)く一般なるを要すべし。
吾(わ)が性急迫なれども、時有りて緩に過ぐ。
書して以(もっ)て自ら警(いむし)む。


(言志晩録二三七)


人が仕事をするときは、
ゆっくりすぎても急ぎすぎてもいけない。
あたかも天の運行のように、
自然にするべきである。
私は急ぎすぎる性質であるが、
時にはゆっくりし過ぎてしまう。
そのことをここに書いて
自らの戒めとするものである。

ドラッカー7つの教訓

 一、目標とビジョンをもって行動する。


 二、常にベストを尽くす。「神々が見ている」と考える。


 三、一時に一つのことに集中する。


 四、定期的に検証と反省を行い、計画を立てる。


 五、新しい仕事が要求するものを考える。 


 六、仕事で挙げるべき成果を書き留めておき、
  実際の結果をフィードバックする。


 七、「何をもって憶えられたいか」を考える。

『かくすれば』

凡そ学問の道死して後巳む。
若し未だ死せずして半途にして先ず廃すれば、
前項皆棄つるものなり。
学というものは進まざれば必ず退く。
故に日に進み、月に漸み、
遂には死すとも悔ゆることなくして、
始めて学と言うべし


大体、学問というものは死ぬまで継続すべきである。
もしも死んでもいないのに、
途中でやめてしまえば、
それまでの努力して得たものが
全て棄ててしまったことになる。
学問というものは、
進まなければ、
必ず後退するものである。
だから日に進み、月に進み、
その結果、死ぬとしても
後悔する事がないようになってこそ、
初めて学問ということができる。


吉田 松陰

なぜ学ぶのか

1.真実を知るため。
  (我々は、何が本当のことなのかをいつでも 知りたがっている)

2.人間は、考える動物であるから。
  (我々は、頭を使ってきたからこそ今まで生 き延びてきた)

3.理解する喜びを知り、自分の能力に自信を
  持つため。
  (我々は、何かを理解したときに喜びを感じ、そして成長する)

4.つらいことをすることによって、精神力・
  忍耐力を養うため。
  (真実を理解するまでには、我々には相当の努力が必要である)

5.人類全体を進歩・発展させるため。
  (勉強がなければ我々の科学の進歩はありえない)


王道と覇道

子曰く、斉一変せば魯に至らん。
魯一変せば道に至らん。



雍也第六


<口語訳>



斉の国が、今の覇道第一の
態度を改めるなら
魯国のようになれるでしょう。



魯の国が改革をするなら、
王道の国になれるでしょう。



武力により制覇することを
「覇道」といいます。



そして、徳治により統治することを
「王道」といいます。






急成長を求める会社では
「覇道」的経営を進めますが



いずれ、その成長も緩やかに
なり、また会社も大きくなると
「王道」を目指し会社を経営
したくなるようです。



「覇道」的な勢いは必要ですが、
「徳」を求める社風を最初から
作っていかないと、必ず「王道」
を求めようとする時には、時すでに
遅しとなるでしょう。

避難三原則

●一つ目は「想定にとらわれるな」。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

端的に言えば、ハザードマップ(災害予測図)を
信じるなということである。

最初に取り組みを始めた鵜住居(うのすまい)小学校は、
マップ上では浸水想定区域外にあったため、
子供たちは「自分の家は安全だ」「この学校も大丈夫だ」と
安堵していた。

しかし、災害時に非常に多いのは、
マップの想定に基づいた行動を取って人が亡くなるケースである。

そこで私は子供たちに、

「ハザードマップはあくまで想定にしかすぎない。
 相手は自然なのだから、どんな想定外のことも起こり得る。
 先生が大丈夫と言ったから安全だ、といった
 受け身の姿勢でいては絶対にダメだ」
 
と伝えた。



●二つ目は「その状況下において最善を尽くせ」。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ここでは、今回の地震発生時、
釜石東中学校の子供たちが取った行動を紹介したい。

三月十一日午後二時四十六分、
約五分間にわたる激しい揺れが続いた。
教頭先生が校内放送で避難を呼び掛けようとしたが、
停電によって音が流れない。

しかし、部活動をしていた中学生は、
すでに揺れている最中から自らの意思で校庭を駆け出し、
隣の鵜住居小学校に向かって
「津波だ。逃げるぞ!」と大声で叫んでいた。

児童たちは当初小学校の三階に避難していたが、
日頃から中学生と一緒に避難する訓練を重ねていたので、
その声を聞いて一斉に校舎を飛び出し、
中学生と合流して避難を始めたのである。

そして彼らは予め指定してあった避難所に辿り着いた。
しかし避難所の脇にある崖は崩れかけており、
海へ目をやると津波が防波堤に当たって
激しい水飛沫(みずしぶき)を上げている。

この様子を見たある男子生徒が
「先生、ここじゃダメだ」と言って、
さらにその先にある施設へと移ることを提案。

無事全員が移動し終えたわずか三十秒後、
最初にいた避難所は津波にさらわれることとなった。

当初、学校は津波に浸からないものとされていたが、
校舎の三階に車が突き刺さっているほどだから、
屋上まで冠水したことは疑いがない。

もし想定にとらわれて、学校や最初の避難所に
とどまっていたとしたら、命を守ることはできなかっただろう。
 


●三原則の最後は「率先避難者たれ」。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

もし“その時”がきたら、他人を救うよりも、
まず自分の命を守り抜くことに専心せよ、という意味である。

今回の津波でも、大声を出しながら全力で駆け出した
中学生たちが児童を巻き込み、大挙避難する彼らの姿を見て、
住民の多くも避難を始めた。

子供たちは文字どおり率先避難者となり、
周りの大人たちの命をも救ったのである。

ただし、この三原則で述べられていることは
多くの子供たちにとって受け入れ難いものでもある。

それまで先生の言うことや教科書に
書かれてあることは正しいと教えられてきたのに、
資料を配られて、いきなり「この地図を信じるな」と言われる。

混乱を招いてしまうかもしれないが、
想定にしかすぎない資料を見て安易に
それを鵜呑みにしてしまう人間の弱さに気づかせ、
災害に向かい合う姿勢というものを持たせるのである。


「率先避難者たれ」も、それまで教わってきた
倫理観からすると大きく逸脱しているかもしれない。

自分だけが助かればよいのかという
捉え方になってしまいがちだからだ。

そこで私は、子供たちにこんな話をした。


「人間はいざという時に、逃げるという決断が
 なかなかできないものだ。
 例えば、非常ベルが鳴った時に逃げ出す先生を見たことがあるか。
 ベルの意味合いは分かっていても、
 『ええ、本当に?』と、誰もその情報を
 すぐには受け入れようとはしない。

 皆が疑心暗鬼になってはいるが、
 いまがその時だとは思えずに、周りをキョロキョロ見ている。
 
 “初着情報の無視”とも言うべき
 この人間の習性を打ち砕くには、
 同じことを意味する二つ目の情報を与えなくてはいけない。


 だから君が逃げるんだ。


 君が率先避難者になれ。


 その状況を打ち砕くのは君なんだ」



 すると生徒の表情が少し変わる。



「でも想像してみてほしい。
 非常ベルが鳴った時、最初に部屋を飛び出していくには
 非常に勇気がいる。
 
 何だか弱虫でおっちょこちょいのようだし、
 大抵は誤報で、皆から囃し立てられながら
 再びここへ戻ってこなくてはならない。
 
 けれども、実際に災害が起こると、
 そういう状況の中で大勢の人が亡くなっていく。
 君自身が逃げるという決断をすることで
 皆を救うことができるんだ」


 そして、逃げるという行為がいかに知的で、
 自分を律した行動であるかを言って聞かせるのである。

 このように、彼らには地震や津波の
 “知識”を与えたわけではなく、
 防災へ向かい合う“姿勢”を与える教育を行ってきた。
 
 この先どんな事態が襲ってきたとしても、
 自分の最善を尽くし、生き延びる姿勢を
 持った子であってほしい。
 
 そして今回、釜石市内にある十四の学校の子供たちが
 それを見事に実行してくれたおかげで、
 約三千人の命が守られることになったのである。



   片田敏孝(群馬大学大学院教授)

成功するまで続けれる

現代の若者は「志」「目標」を持たないという。
「志に日付をいれると目標になる。」
生きる事は、自分の持っている宝を見つけること。
発見するために失敗も壁にぶつかる事もある。
その中で志が、自分を成長させてくれることに気付くだろう。
志が、だんだん大きくなるような人生は素晴らしい。
特別な人間が成功するのではない。
「できない」と思う事が自分自身を自制している。
成功の要件は簡単なこと!
成功するまで続ければ良いのだ。

決して、決して、途中であきらめてはならない!

「運」と「縁」

●茂登山長市郎(サン モトヤマ会長/グッチなどをいち早く紹介)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  私は今年の秋で満九十歳になるが、

  人生というものは「運」と「縁」の二つに尽きると

  最近になってつくづく思うようになった。

  運とは天から授かるもので、縁は自分からつくるものだ。

  煎じ詰めれば所詮、人生は誰に会ったか、

  誰と会えたかで決まってしまうと言っても過言ではない。

アインシュタインと神道

「近代日本の発達ほど世界を驚かしたものはない。

その驚異的発展には他の国と違った

なにものかがなくてはならない。

果たせるかなこの国の歴史がそれである。

この長い歴史を通じて一系の天皇を戴いて来たという

国体を持っていることが、

それこそ今日の日本をあらしめたのである。
 
私はいつもこの広い世界のどこかに、

一ヶ所ぐらいはこのように尊い国が

なくてはならないと考えてきた。

なぜならば、世界は進むだけ進んで

その間幾度も戦争を繰り返してきたが、

最後には闘争に疲れる時が来るだろう。

このとき人類は必ず真の平和を求めて

世界の盟主を挙げなければならない

時が来るに違いない。

その世界の盟主こそは武力や金の力ではなく、

あらゆる国の歴史を超越した、

世界で最も古くかつ尊い家柄でなくてはならない。

世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。

それはアジアの高峰日本に立ち戻らねばならない。

続ける

「学問の上で大いに忌むべきことは、
 
したり止めたりである。

したり止めたりであっては、

ついに成就することはない」

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プロフィール

矢野 一成

Author:矢野 一成
愛媛県新居浜市 アール塾塾長

備忘録、すなわち
忘れたときのために備えて、
書きとめておく、
個人的な雑記帳です。

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