日本一アツイ教育を実践する男が語るBLOG

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【片時も】

有志(ゆうし)の士は片時も

空空茫茫(くうくうぼうぼう)の間(かん)なし。



≪訳≫

志のある侍は、わずかな間でも、

空しく、ぼーっとしている時間はない。




『吉田松陰一日一言』より


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■ 「人事不省」(じんじふせい)■

事故や病気などで、意識がはっきりせず、知覚を失っているさま。

・人事不省に陥る
・人事不省の重体

「人事不省」→ → →「意識不明」

「人事」と聞けば、会社の人事異動をすぐ思い浮かべてしまい、

「人事を省みず」ならば、

権力者の横暴な人事のことかと思ってしまいそうです。


辞書には、

「人事」はここでは、人のなしうることの意。

「不省」はわきまえない、かえりみない意。とありましたが、

“人のなしうることをかえりみない”がどうして

“意識不明”になるのか腑に落ちません。

「人事」に何か隠されているのでしょうか。


<大辞林>
「人事」
1、(自然の事柄に対して)人間に関する事柄。
2、人としてなしうる事柄。人としてすべき事柄。
・人事を尽くして天命を待つ
3、(会社や組織内での)個人の地位・職務・能力などに関する事柄。
4、人としての知覚や感覚。意識。

<デジタル大辞泉>
「人事」
1、人間社会の出来事。人世の事件。自然の事柄に対していう。
2、人間の力でできる事柄。人間が行う事柄。
3、社会・機構・組織などの中で、
個人の身分・地位・能力の決定などに関する事柄。
4、俳句の季語の分類の一。人間に関する題材。


1・2・3までは共通ですが、最後が違いますね。

大辞林は“意識”という意味をとっていますが、

大辞泉はのせていません。

一方、「省」も"かえりみる"や"はぶく"という意味の他に、

"安否をたずねる"という意味がありました。

ますます「人事不省」のことがわからなくなりました。


さて気をとりなおして、

「省」のほうに目を向けますと、

「帰省」(きせい)は、

「故郷に帰って親の安否を気遣う」という唐の漢詩が語源だそうです。

辞書には、

郷里に帰ること。
また、郷里に帰って父母を見舞うこと。帰郷。

とあります。

私は“親の安否を気遣うという”意味があることは知らずに

単に帰郷という意味で使っていましたが、

実際はまさに親の顔をみるための里帰りでした。

“帰郷”の意味に、今では耳にしない「薮入り」という言葉があります。

江戸時代、商家に住み込みの奉公人たちは、

正月と盆の年に2回だけしか休みをもらえないというのが一般的でした。

その休みを「薮入り」といいました。

他にも「宿入り」「宿さがり」「六入り」などの言い方があります。

薮入りは初めは正月だけでしたが、

江戸中期からは7月にも薮入りをさせるようになり、

盆のものは「後の薮入り」と言いました。

薮入りの語源は、諸説あるようです。

*奉公人が親元に宿入りするから(宿は生家のこと)

*草深い田舎に帰るから

*父を養うために帰るから「養父(やぶ)入り」

*祭祀には野巫(やぶ)と呼ばれる陰陽師が欠かせないから「野巫要り」

ところで、

「藪」(やぶ)という語は、弥生(やぶ)の意味で、

“益々生える、いよいよ生える”からきています。 

もう少し一生懸命になろうじゃないか

もう少し

多くの人に喜んでもらえることに

一生懸命になろうじゃないか

地球だって

自転といっしょに

公転もやっている




東井義雄(教育者)

っぽい


「嘘っぽい」「オタクっぽい」「俗っぽい」

「っぽい」は何にでもつくようで、

高っぽい、細っぽいなどとは言いません。

何か法則があるのでしょうか。

辞書によると、

「っぽい」は接尾語(さまざまな語について形容詞を作る)で、

1、名詞に付いて
そのものでなないが、それに近い性質があるさま。

・愚痴っぽい
・色っぽい

2、動詞の連用形に付いて
・・・する傾向があるさま。

・飽きっぽい
・忘れっぽい

3、形容詞・形容動詞の語幹に付いて
・・・の性質がありありと感じられるさま。

・安っぽい
・きざっぽい

私達はこんな風に分類して使っているわけもなく、

・子供っぽい
・艶っぽい
・熱っぽい
・理屈っぽい
・埃っぽい
・骨っぽい
・水っぽい
・白っぽい/黒っぽい
・怒りっぽい
・惚れっぽい
・哀れっぽい
・夏っぽい

とても便利に使っています。

「っぽい」は、近年の言葉かと思いきや、

江戸時代末期には話しことばとして広く使われていたそうです。

へーーー。

最近は、より自由な「っぽい」の活用が起きています。

●文章+っぽい
・○○に似てるっぽい
・○○をやってるっぽい
・○○に嫌われたっぽい

●過去形+っぽい
「行ったっぽい」

●っぽいの過去形
・○○ぽかった

などなど。

【ありがたいなあ】

ありがたいなあ

ありがたいなあ

どんなに苦しいことがあっても

生きていることは

ありがたいなあ




『坂村真民一日一言』より

依頼心が強すぎると

依頼心が強すぎると

人間の思考力というものは

著しく衰えますね



思考が止まれば

当然、進歩も止まりますね

ですから

自分の頭で疑問を感じ、考え、行動に移し

そこに違和感があれば、

さらに考え、行動するという

姿勢が肝要なのです

人生とは

としてまれる・・・・・運命

としてきる ・・・・・責任・使命

かす   ・・・・・仕事

む    ・・・・・繁栄・育成・継続

惚れ込まなければダメです。

惚れ込まなければダメです。

 人が何と言おうが、この仕事が俺の天命、


 天職だと惚れ込んでやれば、


 必ず上手くいきますよ。



 
  ---永守重信氏(小型精密モーターで世界一のシェアを誇る、日本電産社長)

太陽

太陽は夜が明けるのを待って昇るのではない


太陽が昇るから夜が明けるのだ



東井義雄(教育者)

『青春』

青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相をいうのだ。
優れた創造力、逞しい意志、炎ゆる情熱、怯儒を却ける勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春というのだ。

年を重ねただけでは人は老いない。
理想を失うときに初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが、
情熱を失うときに精神はしぼむ。
苦悶や狐疑や不安、恐怖、失望、
こういうものこそあたかも長年月のごとく人を老いさせ、
精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと、十六であろうと、
その胸中に抱き得るものは何か。

曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、
その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、
事に処する剛毅な挑戦、
小児のごとく求めてやまぬ探究心、
人生への歓喜と興味。

人は信念とともに若く、疑惑とともに老ゆる。
人は自信とともに若く、恐怖とともに老ゆる。
希望ある限り若く、失望とともに老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、
そして威力の霊感を受ける限り、
人の若さは失われない。

これらの霊感が絶え、
悲嘆の白雪が人の心の奥までも覆い尽くし、
皮肉の厚氷がこれを固く閉ざすに至れば、
この時にこそ人は全く老いて、
神の憐れみを乞うる他はなくなる。

月刊致知 平成20年3月号より

【徳は孤ならず】

徳は孤ならず、必ず鄰(となり)あり

(論語・里仁第四)

【訳】
徳を持った人は一人ぼっちではない、

必ず共鳴する人がどこかにいるものである。

これは一つの主張といったものでも同じだと思う。

たとえば修養なんて流行(はや)らなくても、

修養を説いていれば、

その賛同してくれる人が必ず出てくる。

孤ではなく、必ず鄰があるわけである


                 『四書五経一日一言』より

【老の三つの意味】

 「老」という文字には三つの意味がある。

 一つは年をとる。

 二つは練れる。

 三つは「考」と通用して、
 思索が深まり、完成するという意味だ。

 老いるとは単に馬齢(ばれい)を加えることではない。
 その間に経験を積み、
 思想を深め、自己・人生を完成させてゆく
 努力の過程でなければならない。
 これを「老計」という。

 それには先ず学ぶことだ。
 学問は年をとるほどよい。

 百歳にもなっての学問は、
 実に深い味があろうと思う。

 老いてボケるというのは
 学問しないからにすぎない。
                    


『安岡正篤一日一言』より

【老いを忘れる】

真の人物は
気概があると共に、
どこかゆとりがあって、
楽しむ所がなければならぬ。

それではじめて老いを
忘れることが出来る。

また実際にいつまでも
老いないで暮らすことが
出来るのである。

 『安岡正篤 一日一言』より

年寄り笑うな行く道だもの

子供叱るな来た道だもの、

年寄り笑うな行く道だもの、

来た道行く道二人旅、

これから通る今日の道、

通り直しのできぬ道

財を残すは下

財を遺すは下

仕事を遺すは中

人を遺すは上



後藤新平


金を稼ぎ財産をいくら残したところで

たいしたことはない

それよりも事業、仕事を遺す方が意味があるし

もっと素晴らしいのは

後世に役立つ人財を遺すことである

【学力が育つ】

学力が育つということは、「人間」としても
「向上」を意味するものでなければならない。

ほんものの学力の育つ道すじの中で
「人間」そのものが耕され、
深められなければならない。



   『東井義雄一日一言』より

6つの失敗要因

だいたい会社がおかしくなる要因を
六つ挙げよと言われたら、
一番はマンネリでしょう。


それから油断、
そして驕り


人間はすぐこういう躓きをするのですが、
この段階はまだ元に戻せるのです。


その次が妥協


震災がきたのだからしょうがない、
円高だからしょうがないと妥協する。
これはもうさらに落ち込みますね。


次は怠慢です。


頑張っても怠けても給料は一緒じゃないかとかね。


そして最後はめです。


そんなこと言ったってできません、
という考えがはびこってきた時は末期症状ですね。


最初の三つはそんな大敵ではないけれども、
後の三つに陥ったらもう取り返しがつきません。

養生の心

人寿(にんじゅ)には自(おのずか)ら天分有り。
 然(しか)れども又意(おも)う、

 「我が身は即ち親の身なり。
 我れ老親に事(つか)うるに、
 一は以(もっ)て喜び、
 一は以て懼(おそ)れたれば、
 則(すなわ)ち我が老時も
 亦当(またまさ)に自ら以て喜懼(きく)すべし」と。

 養生(ようじょう)の念は此れより起る。



【訳】
 人の寿命には自ずから天の定めというものがある。
 しかし、またこうも思う

 「自分の体は親から授かったもので、
 親の体も同然である。
 だから、自分が年老いた親に仕えて、
 一方では長寿を喜び、
 一方では老齢を心配するように、
 自分が年老いたときもまた、
 自分で自分の長寿を喜び、
 それを心配するべきである」と。

 養生の心はこうしたところから起きるのである。



                  『佐藤一斎一日一言』より

■ 他人事(ひとごと)■

私は、この「他人事」をいつも「たにんごと」と読みそうになり、

なんと紛らしい漢字かと不満を持っていました。

ちなみに、パソコンで「ひとごと」と入力すると、

他人事
人事
ひと事
人ごと
他人ごと
人毎

・・が出てきます。


辞書を見ると、

「人事/他人事」(ひとごと)
自分に関係ない事。他人に関する事。たにんごと。

とあります。

あれ、「人事」と「他人事」両方の表記があります。

「ひとごと」=「他人事」と覚えていた私は、

ちょっと混乱してしまいました。

なにも紛らしい「他人事」でなく、「人事」を使えばいいのに。

何かあるのかとWebで探してみると、ありました。

まず、「ひと」には「他人」の意味があります。

もともと他人のことを意味する語には、

「ひとごと」という言い方しかありませんでした。

戦前の辞書は主に「人事」という漢字をあてていたようです。

ところが「人事」は「じんじ」と区別がつかないため、

「他人事」という書き方が支持されるようになりました。

これを誤って読んだものが「たにんごと」です。

私だけでなく、大勢の人が「他人事」を見て「たにんごと」と

読んでしまうわけです。

そして近年では「たにんごと」が定着してしまって、

辞書にもパソコン変換にも「たにんごと」という言葉が

載るようになったというわけです。

NHKや新聞社での扱いを見てみると、

読みは「ひとごと」

表記は、

NHKが「ひと事」

新聞社が「ひとごと」「人ごと」
になっているそうです。

みなさんは「ひとごと」のこんな経緯、ご存知でした?


最高の知性

最高の知性というものは

矛盾するもの、たとえば温情と非情、利己と利他

という相矛盾する両極端の考え方を持っていながら

それを局面に応じて矛盾なく正しく発揮できる人

だということになります


それは決して中庸を意味しているのではありません

強くならなければならないときは強くなれるし

弱くならなければならないときは弱くなれる



自信を持って集団を率い

どんな困難が待ち受けていようとも

ひるむことなく「我に続け」と集団を引っ張っていくような

強いリーダーシップをある場面では発揮し

また別の局面では

慎重にみんなの意見を聞きながら

間違いのない方向へ導いていく

このように相矛盾する両面を

正しく使い分けることができる人こそ

本当に最高の知性を持っている人だと思います




稲盛 和夫

自助・共助・公助

自助:共助:公助=7:2:1

自助とは

自らの身は自分で守るということです。
普段から災害に関する知識を身につけ,
災害を正しく理解し,
何を備えておけばよいかを考え,
災害に対する準備をしておいてください。
災害からあなたと家族の身を守れるのはあなた自身です。

共助とは
 
自分たちの住んでいる地域は自分たちで守るということです。
あなたは見知らぬ人が血だらけで倒れていた場合,
すぐに救護することができますか。
阪神・淡路大震災では,血だらけの被災者を前に,
他地域から来た消防団の方が身がすくんで
動けなくなったということもあるようです。
そんなときに頼りになるのが顔見知りの隣近所の方です。
普段から近所づきあいを大事にしておけば,
あなたに何かあったときに助けてくれます。
また,あなた自身が助けに行けます。
 
地域が昔はどんな場所だったか,
どのような災害が起きたかなどの地域の特性は,
昔からその地域に住んでいる方がよくご存知です。
地域で自主防災組織を結成し,
地域の特性を理解したうえで,
地域で災害に備えましょう

公助とは
 
地方公共団体(消防,警察含む),消防団,自衛隊などです。

読書と実行

 人間も自己を築くには、
 道具やこつが必要です。

 この場合
 道具とは読書であり、
 こつとは実行をいうのです。

 この二つの呼吸がぴったり合うところに、
 真の人間はでき上がるのです。



                『修身教授録一日一言』より

読解問題のマーキング

読解問題を解く上で文章にマーキングすることは大事です。
 それによって重要な部分もはっきりしますし
 解答を探す際のアンカーにも
 なるので真っ白な状態よりも探しやすくなります。

 ただ、マーキングの線を引きすぎたり
 線を引くルールを増やしすぎると
 かえって分かりにくかったり
 読みにくくなったりします。

 線の本数が多すぎると結局どこが重要なの?
 ということになってしまい
 ただ単に線を引いただけに終わってしまいます。

 線を引くルールが多すぎるとお子さんはかえって
 どこに線を引けばいいんだっけ?
 と混乱して文章を読むことに集中できません。

 なんでもそうですがやらせ過ぎはよくありません。
 『中庸』が一番いいですね。
 
 そもそもマーキングとはそれ自体が目的ではありません。
 あくまで文章を読みやすくし
 解答を探しやすくする手段なので
 そこに力を入れ過ぎる必要はないわけです。

 大事なことはどこに注意して読むのか?
 を子供たちに理解させることです。
 ですからマーキングのルールは
 あいまいなものであっても問題ありません。

 説明文なら「接続詞」、「理由」、「強調文」しか引かせませんし
 物語文であれば「登場人物」、「会話主の確定」、「心の声」
 に引かせています。

 数を少なくしたことで混乱することもなくなり
 以前の細かいルールよりもかえって
 読み取りやすくなっているような気がします。

 どうしても「線を引きなさい!」と言いたくなります。
 ただ、線を引けないには
 それなりの理由がお子さんにもあります。

 その理由がなんなのかを明らかにしてみてください。
 もし、どこに線を引けばいいのか
 分からないというのであれば
 シンプルなルールを
 つくってあげることがよいと思います。

【最善観】

わが身に振りかかってくる

一切の出来事は、

自分にとっては

絶対必然であると共に、

また実に絶対最善である



               『修身教授録一日一言』より


一箇不朽(いっこふきゅう)

 人生枯忽(しゅっこつ)
 夢の如く幻の如し

 毀誉(きよ)も一瞬
 栄枯も半餉(はんしょう)

 唯だ其の中に就き
 一箇不朽(いっこふきゅう)なるものを
 成就すれば足る。


【訳】
 人生というものは極めて短いものであり、
 夢、幻のようなものである。

 誹(そし)りを受けることも、
 褒められることも一瞬である。

 栄えることも
 衰えることも
 瞬時である。

 はかない人生である中で、
 一つだけでいい、
 永遠に朽ちない事柄をなし遂げられれば
 十分である。

                     『吉田松陰一日一言』より

モチベーションはやる気だけで 高まるものではない

夢というのは自分で大好きなことを
やってみたいという思いでしょうね。
だったらやったらいい。それだけの話です。


大好きなことをしっかり持つには感動が一番です。

「やってみたい」「すごい」という心があれば、
夢はいくらでも見つかると思いますよ。

でも、その時にできない理由を
いくつも思いついてしまうんですね。

そして、そのできない理由すら考えなくなる最悪の言葉が



「どうせ無理」



なんです。
この言葉が人間の脳波を止めてしまう。
思考が止まると楽ですが、それだと何も始まらない。




「どうせ無理」



ではなく



「だったらこうしたらできる」



と頭を切り替えて考え続けることで
道は拓けると思います。


だけどモチベーションはやる気だけで
高まるものではないんですね。
物事に挑戦し、それを諦められない理由が、
僕の場合は火事場の馬鹿力の源になっています。

僕は「どうせ無理」という言葉が大嫌いです。
この言葉が人の可能性を奪い、その連鎖が
正しくて優しくて弱い子供たちに向かうと知っていますからね。

繰り返すようですけど、僕は「どうせ無理」という言葉を
この世からなくしたい一念で宇宙開発をしています。
目の前の壁が大きいほど、その思いは強くなります。

だから、毎日火事場の馬鹿力を
出すことができるんだと思います。


* *


開発の世界ではゼロから一を生み出すという
大変厳しい問題に挑戦することもありますね。

これは一を二にしたり三にしたりというのとは
比較にならない難しさです。

その時、従来のやり方を維持しようとしたら
負けが始まるんです。

過去のノウハウばかりでなく
時に自分自身すら否定してしまって
「これでいいのか」と本気で動き出す時に、
ゼロから一が生まれるのだ思います。

いまの日本に必要なのは、
その執念と元気なのではないでしょうか。




植松努(植松電機専務)

【宇宙】

 宇宙は
 山も川も海も天も
 善も悪も 敵も味方も
 一様にだきかかえる偉大さを
 もっているとともに
 
 名もない 小さな草の実にも
 小蟻の小さい卵にも
 見残しなく
 あたたかく こまやかな
 愛情を注いでいる
 
 ほんとうの偉大なものというのは
 そういうものだ


              『東井義雄一日一言』より

関所

 禅家では関という一語をよく浴びせかける。
 関とは字のとおり、
 関ということであり、
 すなわち、引っかかり、行き詰まりであります。

 人生は、
 しばしば出会わねばならぬ関所を
 幾つも通り抜ける旅路であり、
 そこで一関、二関はうまく抜けても、
 三関、四関となると、
 往々にして、
 その関所を通ることができず、
 挫折する、引き返す
 ということになりがちです。

 そこが関所だ!
 そこを通り抜けろ!
 という意味で
 よく「関」ということを指示するのであります。

 辛抱して、努力して関を何関か通りますと、
 特に難解難透(なんかいなんとう)
 というようなことを
 禅僧がよく申しますが、
 難しい、解き難い、通り難い、
 すなわち、
 難解難透の関をいくつか通りますうちに、
 ついに真の自由 ──
 
 古い言葉で申しますと、
 無礙(むげ)自在というような境地に到達して、
 すなわち「無関に遊ぶ」ことも
 できるようになります。
                 『安岡正篤一日一言』より

【百二十点主義】

常に自己の力のありったけを出して、
もうひと伸(の)し、
もうひと伸しと
努力を積み上げていくんです。

真面目とは、
その努力において、
常に「百二十点主義」に立つということです。

もしこの態度を確立したならば、
人生の面目は
すっかり変わって来るでしょう。

             『修身教授録一日一言』より
                   森信三(著)

三感

 感心とは、心に深く感じいることであり、
 感服とは、なるほどと深く感心することであり、
 感動とは、強く心に感ずることである。

 どちらもおなじようなものだと
 思う人があるかも知れないが、
 文学作品や芸術作品は、
 感心するとか、感服するとかでは、
 まだ十分とは言えない。

 感動を与えるところまで行って
 初めて優れた作品と言えよう。

 感動とは感じて動かされることであり、
 動の方にウエートがある。



              『坂村真民一日一言』より


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プロフィール

矢野 一成

Author:矢野 一成
愛媛県新居浜市 アール塾塾長

備忘録、すなわち
忘れたときのために備えて、
書きとめておく、
個人的な雑記帳です。

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