日本一アツイ教育を実践する男が語るBLOG

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幸福

幸福とは求めるものでなくて、与えられるもの。

自己の為すべきことをした人に対し、

天からこの世において与えられるものである。



森信三(哲学者)
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孟子 × 荀子


同じく孔子の弟子として出発した孟子と荀子だが、
人間が本質的に善であるか悪であるかについて対立したとは
どの教科書にも載っていることである。
時代的には、孟子が性善説を述べ、
これに対して荀子が反論したという順番になる。
荀子は、意識して孟子の反対論を立てたのであるから、
この二説は明らかな対立関係にあり、
構図としても対照的に、非常によくできたものであったため、
中国の思想の中で大きな問題として論じられてきた。
 
しかし、荀子の反論は、孟子の立論とは微妙なずれを見せている。
このことは、いわゆる孟子の四端の説において明らかである。
孟子の考えでは、惻隠の心、羞悪の心、恭敬の心、是非の心という四つが、
それぞれ、孔子の教えに言うところの仁、義、礼、智に対応して、
それらの端緒となる、というのである。

つまり、人間にはもともと惻隠の情(思いやりの気持ち)
というものが備わっており、それが発揮されることによって
いわゆる「仁」が生まれる、
同様に、羞悪の心(罪悪感)から「義」が発露され、ということである。

つまり、孟子が人間にとって本性的、生得的であるとするのは、
実は「仁義礼智」といった「善」そのものではなく、
それらの端緒・萌芽となるようなものなのだということである。

つまり、人間は顕在的に善であるというのではなく、
本性的なレベルでは、潜在的に、
ポテンシャルに善なのだということなのである。
実際孟子は、「仁義礼智は人間が外部から受け取るものではなく、
本来的に所有しているものだが、
それに気付かないだけなのだ」と言っている。
 
しかし、これに対する荀子の反論は、
そうした四端の説という意味での性善説ではなく、
顕在的な意味での性善説であった。
荀子はこう反論する。

もし、人間の本性が善であるのなら、
そもそも孔子が説いたような教えは
意味を失ってしまうのではないか。
いにしえの聖人や君子たちを敬い、
孔子の教えを尊ぶべきなのは、
人間が本質的には悪であるからだ、と。
 
しかし、既に見たように、
この主張は孟子の立論に対する反論としては妥当しない。
なぜなら、孟子の考えでは、人間が潜在的な善であることと、
その善なる本性を引き出し、
顕在化することとは全く違ったレベルだからである。
 
荀子は人間はもともと悪なのだから、
善であるようにするには人為が必要だと説く。

孟子は、人間は潜在的には善であるが、
それを引き出すにはやはり教えが必要だとする。
つまり、孟子に対する荀子の反論は、
ここで人間の本性という議論から、
教育・政治の議論へと引き継がれざるをえないのである。


(孟子 × 荀子 教育についてより

よき仲間

●自分の喜びを一緒に喜んでくれる人

●「あなたはあなたのままでいい」と言ってくれる人

●同じ方向を向いて、同じ価値観で生きてる人

●同じ話題を、同じように笑顔で話せる人

●不平不満を口にせず、常に感謝をしている人

人生の後半は

何をするかではなく

誰とするかである

人の価値

人の価値とは

その人が得たものではなく

その人が与えたもので測られる




アインシュタイン

教育とは

「何程(なにほど)、制度方法を論ずるとも、
 
その人にあらざれば行われ難し。

人ありて後、方法の行われるものなれば、
 
人は第一の宝にして、己れその人に成るの心がけ肝要なり」



西郷 隆盛

いくら立派な制度、方法を考えても、
それを担当する人間に実力がなければ、何の価値もなくなる。
まず自分が物事を立派に運用できる人物になろうと心がけることこそ肝要だ。

志と野望

志とは・・・・・・・
自分の利益を追求するのではなく、
みんな(公)の利益を追求することが大義である。
志を自分自信で貫くことができない場合でも、
他人が引き継いで行ってくれることもある。

野望とは・・・・・・
己の利益を追求する考え方であり、自分のために行動する。
野望は人へと受け継がれることはなく、己一代で終焉する。

この違いだけでみれば、「志」は美徳であるが、
「野望」は不要にも思えてしまうが----
そうではない!

志を支えているのが野望ではないだろうか?
「今よりも良くなりたい!」 「もっと大きくなりたい」
こんな自分自身の野望から始まり、
他人のことを考えられる志へ成長すると思う。

また、「志」とは、理屈ではなく体の中からどうしようもなく、
湧き上がってくる思いで、
皆の為に善かれかしという思いが、
こうせずにはおれないくらい心を動かし、
体を動かすようなものだと解釈しています。

しかし、ある一定の時期までは
「野望」というものも必要かもしれません

【学問の効用】

学を為(な)すの効(こう)は、

気質(きしつ)を変化するに在(あ)り。

其(そ)の功は立志に外(ほか)ならず。
  


(言志耋禄 二八)

<訳>
学問をなす効能は、人の気質を善く
変化させるところにある。
そして、それを実践するのは立志に外ならない。

【経書と史書】


 経書は実生活の注脚として読むべきだが、

 それには世故(せこ)を積み、齢を重ねること、

 世の辛苦(しんく)を嘗(な)めることが大切だ。


 そこで若い間は史書を読むこと、

 人物を研究して経史を一如(いちじょ)にすることを

 心掛けねばならぬ。



安岡 正篤

【呼 吸】

 多くの人は、呼吸を吸って
 吐くものと思っているが、
 
 医学的には先(ま)ず吐いて
 吸うのが正しい。
 
 出す、排泄(はいせつ)という機能が、
 人間の生理では非常に大事なことだ。
 
 宿便が生命を殆(あやう)くする
 所以(ゆえん)でもある。



安岡 正篤

【先祖を祭る】


 若夫婦が自発的に先祖の祭をする風俗があれば、
 その国、その郷土、その家庭は確かだ。
 
 これに反するを薄俗(はくぞく)と言い、
 必ず享楽的になって当(あて)にならぬ。
 
 足許から忍び寄るこの危機を見よ。



安岡 正篤

うしろ姿

うしろ姿

語る人貴し

語るとも知らで

からだで語る人

さらに貴し

導く人貴し

尊くとも知らで

うしろ姿で導く人

さらに貴し



安積 得也

長文読解力をつけるためには

長文読解力をつけるためには

とにかく繰り返し文章を読むことです。

3年生であれば過去の高校入試問題の

問題文を読むのが一番良い方法です。

同じ文章を5回~10回読んでください。

私がこれまで指導してきた経験から

5回以上読まないと力はついてきません。

これを1日1題毎日続けてください。

早ければ1ヶ月で成果が現れてきます。

特に説明文、論説文などでは文章を

10回読んだ後、本文を見ずに内容をノートに

要約するとさらに良いでしょう。

そのときに問題を解く必要はありません。

問題を解く時間があれば1回でも2回でも

余計に読んだほうが読解力がつきます。

読解力をつけるには同じ文章を10回毎日読もう。

集中して取り組めば驚くほど成果が出ます。

人を知る基準

昔から、「その人を知らんと欲せば、まずその友を見よ」
と言われているのも、大なる真理があると思うのです。


ついでながら、人を知る標準としては、
第一には、それがいかなる人を師匠としているか、

第二には、その人がいかなることをもって、
自分の一生の目標としているかということであり、

第三には、その人が今日までいかなる事をして来たかということ、
すなわちその人の今日までの経歴であります。


そして第四には、その人の愛読書が
いかなるものかということであり、

そして最後がその人の友人いかんということ。


大よそ以上五つの点を調べたならば、
その人がいかなる人間であり、
将来いかなる方向に向かって進むかということも、
大体の見当はつくと言えましょう。

悩む

この世には

自分にしかできないことが

もっともっとあるはずだ



もし悩むとしたら

ひとつのことを

ひたむきに

3年以上やり遂げた後で

悩むことにしよう

ひらく

心をひらく

自分をひらく

瞬間をひらく

いきがい

“させられる仕事”から“する仕事”に変わるとき、

苦しみは喜びに変わり、生きがいに眼を輝かせる。



東井義雄(教育者)

選択肢の消去の仕方

選択肢問題は合っている選択肢を選ぶよりも
消去法で間違った選択肢を消して残ったものを正解にすることが
正解にたどりつくための一番の方法です。  

ただ、ここで大事なことは 
消去する際にも雰囲気で消去してはいけないということです。  

・なんとなく間違っていそう 
・よく分からない言葉だから間違いだろう  

こんな風に感覚で消すのだと合っているものを選ぶということと 
大して違いがなく「最後の2つまでは絞れるけど……。」
の罠にはまります。  

選択肢問題で正解にたどりつくためには 
感覚ではなくしっかりと選択肢を精査することが重要です。  

そのためには選択肢全体で判断するのではなく 
選択肢を部分部分に分けて本文と突き合わせることが有効です。  
なぜ選択肢問題を間違えるかというと 
選択肢の細かい部分の誤りに気がつかずに
正解だと思ってしまうことが主な原因です。  

選択肢全体をながめるとどうしても
その細かい部分の誤りを見落としがちで 
正解の選択肢だと思ってしまいがちです。  

ですから部分部分で区切って本文と突き合わせることで 
細かい部分の誤りを見落としにくくなり
正解の選択肢を残しやすくなります。  

部分部分で区切るというのは具体的に言うと
読点で区切るということです。 
どうして読点で区切るのかというと
分かりやすいからというだけです。  

国語が苦手な子に細かく分けて
本文と突き合わせなさいと言っても 
一体どこで区切ればいいのかが分からずに
結局は区切りません。  
しかし「読点で区切る」という風に
明確な基準をつくってあげることで 
いちいち考える手間もなくなりやりやすくなります。  

子供たちに今やっていないことを
やらせようとしたいときには 
出来る限り手間を省き 
簡単にできるような作業にしてあげることです。 
これは国語にかぎらず他の科目でも一緒です。   

ですから選択肢を判断するときには読点で区切って間違っているところに 
×をつけるようにしなさいというと比較的行動に移せるようになります。

3つの感を磨け

感性がないと感動できない

感動がないと感謝できない

感謝をすると感性が育つ

いい人、わるい人

悪い人もいい人もいない

悪い部分といい部分がどれくらい

今その人の表面に現れているかだ

だから人類に少しだけは希望が持てるのだ

抜く

力を抜いて

手を抜かない

その意味とコツが

だんだん掴めてきた

部活経験者は実年齢マイナス20歳


 文部科学省が体育の日に合わせて公表した
「体力・運動能力調査」では、
20~64歳の成年について、学校時代の運動部での活動経験と
体力・運動能力との関連も分析した。

中学・高校で運動部での活動を経験した人は、
経験しなかった人に比べて最大で20歳ほど若い人と
同じ程度の体力があることが分かった。

 体力テストの合計点(60点満点)の平均値は、
男子は40~44歳の中学・高校の運動部経験者(35.85)が、
25~29歳の未経験者(35.43)を上回った。
また、女子も45~49歳の中学・高校の運動部経験者(36.17)が
20~24歳の未経験者(34.67)より高かった。

 文科省は「継続的な学校時代の運動部での経験が、
その後の運動・スポーツ習慣につながり、
生涯にわたって高い水準の体力を維持するためには重要だ」
と分析している

淡々と

期待に応えようとするでない

やれることからやっていくだけだ

与えられるものを

与えていくだけだ

ただ淡々と

混同しない

場の空気を読むことと

自分の気持ちを抑えることを


混同してはいけない

平和な日

何もない平和な日が

かけがえもない一日だと

常に思える人でありたい

優柔不断

優しくて、柔らかい

すぐに断じない

「優柔不断」

うん、いい言葉だ

自立

どの集団にも属さない

自立とは

そういうものだ





依存せずに自立するためには

その過程で

「わがまま」が必須である

このことを知らない人があまりにも多すぎる

夢中

「頑張ろう」と思うより

子供のころのように

いつの間にか

夢中になる方がいい

何とかなるし、なんとかする

どうせ夢を描くのであれば

こうなりたいと思うより

そうなったらどうするか

このことを精一杯イメージしたほうがいい



何とかなるし、何とかする

覚悟

変われないんじゃない

変わることが

心の底では怖いだけなんだ




変わることの覚悟

成長の壁を作っていたのは

ただ、意識のみだった

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プロフィール

矢野 一成

Author:矢野 一成
愛媛県新居浜市 アール塾塾長

備忘録、すなわち
忘れたときのために備えて、
書きとめておく、
個人的な雑記帳です。

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