時代劇の1シーンで、寺子屋で師範の読み上げる声に続いて生徒たちが
「子曰く〜」と論語を読み上げている光景を見たことがありますか?
そうです、あれが素読です。
素読とは、文章の意味を考えることなく、
その文章を暗誦できるようになるまで繰り返し音読することです。
多くは寺子屋でのシーン同様、お手本を読む役の人がまず一文読み上げ、
それに全員が続く形式をとります。
素読は文章を頭で理解するものではなく、
何度も繰り返し読むことにより、
体に覚え込ませることを目的としたものです。
一見非効率的に感じるかもしれませんが、
文章を目で見、耳で聞き、声に出すことによって体に染み込ませた
内容は、単に目で読んで覚えたものよりも深く心に刻まれます。
評論家の小林 秀雄さん曰く、
素読を暗記強制教育だったと
簡単に考えるのは、
悪い合理主義ですね。
『論語』を簡単に暗記してしまう。
暗記するだけで意味がわからなければ、
無意味なことだと言うが、
それでは『論語』の意味とは何でしょう。
それは、人により、年齢により、
さまざまな意味にとれるでしょう。
一生かかってもわからない意味さえ
含んでいるかもしれない。
それなら意味を考えることは、
実にあいまいな教育だとわかるでしょう。
丸暗記させる教育だけが、
はっきりとした教育です。